読書・論考

DEC.19,2018_ソル・ルウィットについて

ソル・ルウィット(Sol LeWitt,1928-2007)のプロジェクトで特徴的なのは、構想された概念(concept)がまずもってあり、展示される作品において展開されるのはそれを「表象する手続き」であるということだ。彼の言葉を借りれば、概念(concept)を表現する…

DEC.14,2018_方位論文を近いうちにまとめようと思う

○ 最近カントをよく読んでいるが、今更ながらあらためて、カントめちゃくちゃおもしれ〜となっている。ただ単純に読み物として面白い。『カント事典』という書籍もその内容の充実っぷりが神がかっていて、流し読みするだけでもすごく楽しい(日本のカント研…

NOV.4,2018_パラーディオと額縁性

イタリアで撮った写真⑫ パラーディオの「ヴィラ・ロトンダ」はいわずとしれた超名作なのでぼくが特段何か書く必要も感じないのだけど、実際に訪れてみて個人的にはじめてわかったことが一点あって、それは内部の壁画と建築の構成の関係が思った以上に密接で…

OCT.30, 2018_サンテリア幼稚園

イタリアで撮った写真⑩ 「カサ・デル・ファッショ」から「サンテリア幼稚園」へ。今回の旅行で最も感動した建物だった。というか、ぼくの生涯でいまのところナンバー1だ。あきらかに。散々図面や写真で見てきたが、その想像を遥かに超えてきた。実はそういう…

OCT.24, 2018_カサ・デル・ファッショほか

イタリアで撮った写真⑨ 引き続きコモ。《ノヴォコムン》の周辺をうろちょろする。すぐ近くにテラーニ最後の実施作品である《ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅》(1939-40) があるのだけど、それはまた個別の記事で。まずはコモ湖周辺ででみたものをざっ…

OCT.14, 2018_プロジェクト・アウトノミア

新しい政治的主体性を構築する試みは、とりわけ戦後の社会がポスト工業社会へと転換するなかで、世界同時多発的に起こったことであった。 たとえばイタリアにおいて、1960年代を通して専門領域の垣根を超えて議論され理論化された「自律性」のプロジェクトは…

OCT.5, 2018_ガララテーゼの集合住宅

イタリアで撮った写真⑥ 前回書いた《サンドロ・ペルティーニ記念碑》からすぐそこにあるレストランでミラノ・カツレツを食べたあと(骨付きの肉厚で超おいしかった)、《ガララテーゼの集合住宅》(1969-73)へとむかった。《ガララテーゼの集合住宅》は建築…

SEPT.30,2018_セグラーテの噴水

イタリアで撮った写真④ フィレンツェの翌日。この日は午後から学会のオープニングパーティーがあったのだけど、それまでの時間でミラノ市内のアルド・ロッシの建築物を見学した。研究室の助教で、アルド・ロッシの専門家である片桐先生がツアーを組んでくだ…

SEPT.25,2018_捨て子養育院

イタリアで撮った写真② デル・フォオーレをちらちら観察しながら、ブルネレスキの初期の代表作である捨て子養育院(Ospedale degli Innocenti)へと向かう。大聖堂からは多分歩いて10〜15分くらいのものだったのだけど、あまりに暑かったので、その倍くらい…

SEPT.24,2018_ブルネレスキのクーポラ

今日から、アップしそびれていたイタリアにいったときにとった写真をアップしていこうと思う。 ICGGという国際学会のための渡航で、8月1日から10日までの滞在だったのだけど、ぼくの発表は6日の午前。当然学会には参加したかったから、1日かけて出かけられる…

SEPT.23,2018_帰ってきたGMC

先週の土曜日の話になってしまうのだけど、近美のゴードン・マッタ=クラーク展を再訪した。土曜日限定で公開されていた奥村雄樹さんの「帰ってきたゴードン・マッタ=クラーク」(Welcome Back, Gordon Matta-Clark)という映像作品をみるためだ(企画展の…

SEPT.20,2018_リー・キット展

品川駅の西口をでて400mほど歩いたくらいで、ぽつぽつと降っていた雨が徐々に強くなり、50mほど進んだくらいでどしゃ降りになった。はいていたスニーカーはかかとの部分がすり切れて破けてしまっているので(そろそろ買い替えたい)、くつのなかは完全に水没…

SEPT.19,2018_2018年がすごい

2018年はいろいろとすごい。 まず、ついにアウレーリ(ぼくが本ブログでもたびたび言及していた建築理論家)の翻訳がついに出版された。彼の著作の、初の邦訳。『The Project of Autonomy』だ。やっとか、、という感じ。本当にうれしい。 プロジェクト・アウ…

SEPT.18,2018_眼がスクリーンになるとき②

前回からの続き。 www.ohmura-takahiro.com * * * 前回は「感覚-運動系」の大枠を「知覚-情動-行動」という図式で確認したが、ドゥルーズこの図式をC.S.パースの記号論と結びつける。 パースは、彼が「現れ(phaneron)と呼ぶ、心に対して現れるもののすべて…

SEPT.8,2018_眼がスクリーンになるとき①

4日から6日にかけて日本建築学会大会が仙台であって、その後、東北の復興状況をみてまわろうということで、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田と北上している。いまは釜石で、明日東京へ戻る予定。その関係で色々ばたばたしていて、ブログが更新できなかった。 …

AUG.21,2018_建築、たんに見たままの

倉賀野駅前の風景その②。 (Mamiya RB67 Professional, Sekor 127mm F3.8, FUJICOLOR PRO 160NS) /////////////////////////////////////////////////昨日のつづき。本書で貫かれている、適応主義への批判と「見たまま」を重視するという姿勢に共感するのは、…

AUG20,2018_ 倉賀野駅前の風景その①

プロジェクトを進めている、倉賀野駅前の風景。 ずっと工事中、という感じの場所。 (Mamiya RB67 Professional, Sekor 127mm F3.8, FUJICOLOR PRO 160NS) /////////////////////////////////////////////////『眼がスクリーンになるとき』を一度読んだので、…

AUG11.2018_イタリアで買った本

昨日、無事にイタリアから帰国することができた。今回は行きも帰りもアリタリア航空、ミラノまでの直行便だったので、長いトランジットもなく、とても快適だった。機内食もおいしかった。この値段で直行便のれるんだ、、、?ってくらい航空費は割安だったの…

JULY29,2018_オブジェクト指向存在論⑤

○今日はバケツをひっくり返したような、すごい雨が降ってた。午後になってもまだ断続的にスコールがあったけれど、そのあいまには嘘みたいな青空が広がっていてとても綺麗だった。スコールの様子を見ながら、「地球の歩き方」を買いに駅に向かったのだけど、…

JULU27,2018_オブジェクト指向存在論④

○そろそろイタリアにいってしまうので、OOOを読んでいく作業は、中途半端なところでストップするかもしれない。発表練習しなきゃ。。 (Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400) ///////////////////////////////////////////////…

JULY25,2018_オブジェクト指向存在論③

○久しぶりに日高敏隆を読んだが、やはりとても面白い。建築が専門じゃなかったら、動植物の生態学を研究してみたかったな。高1くらいまではたしか獣医を将来の夢欄とかに書いていたのに、いつごろどう間違って建築学科の方へ来てしまったのか、いまとなって…

JULY24,2018_通路を見出すこと

○もうコメントの方でご指摘いただいているけれど(指摘されたらうれしいなとは思っていたのでとても嬉しい)、21日の写真と22日の写真は、清野賀子の写真集『至るところで 心を集めよ 立っていよ』(オシリス, 2009)という写真集におさめられているショット…

JULY23,2018_オブジェクト指向存在論②

○この暑さ、辛いのは人間だけではないのだろう。道端の虫や植物の多くが命を失っていた。春と秋は生の季節という感じだけれど、夏と冬は死の季節という感じ。 (Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400) ////////////////////////…

JULY21,2018_オブジェクト指向存在論①

○10年という年月は、長いのか短いのか。10年前そこにあったものは、大抵まだそこにあるように思うのだけど、それはただ、失っていることに気づいていないだけかもしれない。と、この写真をとったときにはたしか、「記録する」ということに関して考えていた。…

JULU20,2018_無と無限

○グラハム・ハーマンについてまとめるとかいってたけれど、途中でフッサールやらハイデガーやらカントやらホワイトヘッドやらを読み直していたら作業が一向に進まない(国際学会にむけた英語の発表の練習は現実逃避気味、、)。ハーマンの哲学はコラージュ的…

JULY18,2018_建築における幾何学 / R. エヴァンス

ロビン・エヴァンス(Robin Evans)は1993年に49歳という若さで急逝してしまった建築家・建築史家である。彼のテキストは興味深いものばかりなのだが、なかでも有名なものは、『Translations from Drawing to Building and Other Essays』(The MIT Press, 1…

JULY12,2018_建てることの権利について

○今月の『10+1』に掲載されている福尾匠さんによる論考「プロジェクション(なき)マッピングあるいは建てることからの撤退」がとてもおもしろかった。今月はヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館の特集で、選考段階でいろいろ問題があったことが記憶…

JUNE29,2018_ビュスタモントとメルクリ

○蒸しかえるような暑さが続く。もう一回くらいまとめて雨が降ったりするのかな。去年の記事で「結露に近いような汗」と書いた日のことを思い出す。ちょうどいまくらいの気候だった気がするのだけれど、しかし今年は季節の進行が早いなと思う。 www.ohmura-ta…

JUNE10,2018_カントの復習

○ジル・ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』(法政大学出版局, 1991)をドゥルーズを専門にする研究者の方と精読するという、謎のハードコアな会に参加させて持っているのだが、もちろんぼくは哲学は門外漢なので、かなりついていくのが大変だ。 ドゥルーズ…

JUNE5,2018_部分的つながり②

○昨日の続き。ウセン・バロクの人々の儀礼における「図と地の反転」の基底にあるものはなんだろうか。 o-tkhr.hatenablog.com * * * ひとつは、各々のオブジェクトが「同じ素材」からつくられているという認識である。 まず、ワントアト盆地の住人は儀礼…