2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
建築の場合、理論と呼ばれているものは小さな判断の次元において(現場での選択において)要請されるのであって、スタディのスタート時はもっと圧倒的に受動的でいいのではないかと最近は思う。具体的なかたちをあれこれ考える以前に、提案のおおまか道筋を…
伴示的意味(コノテーション)を中止させるためにあえて家らしいシルエットを採用する、70年代の坂本さんのあの態度(既存の文化コードのうちで建物が欲望の対象となることを避けること)と、牛腸茂雄が『SELF AND OTHERS』(1977)で写真の黒枠を残した態度…
京都アニメーションの放火事件が、とてもむごすぎて、きのうは一日あまり身体がうごかなかった。とにかく、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。そして、療養中のみなさんが一刻もはやく快復することを。ぼくを含め、京アニのアニメに救われた…
14日のブログでちらっとふれた平倉さんの論考「マティスの布置──見えないものを描く」(『ディスポジション:配置としての世界――哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』, 柳澤田実編, 現代企画室, pp.21…
ふだん個人の自宅で飾られている美術作品が、その所有者へのインタビューとともに集められた展示をみた。とてもよかった。所有者の方々が絵や彫刻にまつわるエピソードを聞いていると、なんというか、とても胸がしめつけられる気分になった。愛(着)につい…
今年公開されたコードギアスの新作「コードギアス 復活のルルーシュ」は劇場では見逃していたのだけど(え、復活するの?まじで?とはおもっていたのだが)、そろそろDVDもでているだろうということで、作業しながらAmazonプライムでコードギアスの前劇場版3…
視覚より聴覚のほうが、いくぶん強烈に空間を構成する(少なくともぼくにとっては)。視覚はけっきょく、文化的なコードや伝統的なコンヴェンションからはなかなか脱け出ることができないけど、音響はもっとなんかこう、バシっと直接くる。視覚的な空間を壊…
先週からぼくの部屋ににある唯一の花瓶(緑色のガラスでできている)に生けられていた──いや、そこで現に生きていたというべきか──薄緑色の紫陽花は、もう枯れてしまった。徐々に茶色くなっていって頭を垂れていく様をみるのは少々痛々しかった。窓辺に置い…