スタンスミスについてまだ考えている。白スタンスミスについてどう考えるか。白スニーカーってザ・定番って感じのものだけれど、そもそも扱うのが難しいのではないかと感じている。汚れが目立つとかそういうことではなく、足元だけ明るくなって浮くというか。前にネットで、フェティコの舟山さんとハルノブムラタの村田さんが対談してる記事(https://tokion.jp/2023/05/24/fetico-harunobumurata-interview/)を読んだんだけど、ここで村田さんがadidasの白いForumのようなスニーカーを履いていたことを思い出す。白Forumは白スタンスミスよりさらに難度が高いはずで、しかし、なんでこんなに良い感じに収まっているんだと驚いて、記憶に残っている(というかブクマしてた)。現在スタンスミスには、普通のモデル、少し良い革のモデル、全体がふにゃふにゃしたDeconなどがある。紐かベルクロか、白か黒か。選択肢が無限に枝分かれし、頭を抱えている。
2月10日
卒業論文の発表会。二日間、朝から夕方まで、研究背景、目的、方法、結果、考察を聞き続ける。油断するとさっき聞いた研究の目的といま聞いている研究の方法が頭のなかで混線してしまう。同じ研究室だと非常によく似た研究があったりして、余計にまぎらわしい(しょうがないけれど)。二月は卒論と修論に入試業務が重なってあっという間に過ぎてしまう。
大村研からは高須くんと結城くん。高須くんは、生物多様性に配慮して設計された建築と土木構造物を国内外から集めて整理した。大枠の整理は卒論でできたので、修士では実地調査ができるとよい。結城くんは、専門家でない人が施工に参加した建築から、45種類の接合部を取り出して分析した。施工の難易度を指標化して多変量解析にかける。おもしろかったのは、施工者への負担の高低という軸に加えて、イリイチのコンヴィヴィアリティに近い軸が出てきたことだ。高度に近代化された施工技術に依存するのか、その辺のハンマーがあればできてしまうものなのか、と。
2月6日
普段履きのOAOのスニーカーのソールが剥がれた。いそぎ生協でアロンアルファを買い、その場で接着する。いちおう元に戻ったようには見えるが、大丈夫なような、大丈夫でないような。あしもとに、歩いているうちにまた剥がれてくるのではないかという気配がずっとあるのは、思ったよりもストレスになる。というわけで、普段使いできるスニーカーを探している。ダッドスニーカーのブームもなんとなく過ぎつつあるように思える。いま買うなら、もう少し薄くて簡素なロープロファイルのものだろうか。代表格はコンバースだけど、僕の足はコンバースに合わない。履いていると小指が死んでいく。きちんと計測したことはないが、たぶん幅広で甲が低く、ウェストンのワイズでいうとEくらいだと思う。あくまで予想なので一度きちんと測ってもらいたい(ちなみにウェストンのGOLFはずっと欲しいと思っているので、多分ウェストンの店舗には近づかないほうがいいのだが)。VANSも良いと思うけれど、スケーターじゃない僕が履いていい靴じゃない、という強迫観念がどうしても拭えない。
これまで最も足に合っていたのは、結局ずっと履いてきたアディダスだった。WALES BONNERとのコラボは欲しいが、今さら感はある。サンバ以外のロープロファイルならParisかTokyoだろうか。でも、そこまで薄いスニーカーを買っても、結局あまり履かなくなる気がする。いろいろ考えた末、学生のころから何度も履いてきたスタンスミスに戻る。定番の重力は強い。むしろ、いまスタンスミスなのではないか。僕の世代にとってスタンスミスは急におしゃれなものとして格上げされたスニーカーだった。ラフ・シモンズやフィービー・ファイロが履き、街に白いスタンスミスが増えたのだった。僕が当時履いていたのは黒のベルクロだったけど…。ベルクロのスタンスミスは絶妙にダサくて、悪くなかった。
2月5日
先週のことだけど、高速バスを使って東京にいった日があった。家のすぐ近くに東京 駅行きのバス停があり、片道2000円ほどで行ける。電車だと特急代を入れて片道4000円くらいかな。節約しようにも、特急を使わないそもそもと行く気にならないほど時間がかかってしまう。車でも、ガソリン代と高速料金を足せばだいたい同じくらい。バスは空いていて、思った以上に快適で、帰りも家の近くまで運んでくれる。時間はかかるけれど。
グラフィックデザイナーの本庄さんの事務所へ、新しく名刺をデザインしていただくのでその打ち合わせへ。いろいろ話した結果、なにもかも本庄さんに任せてしまおうという気持ちが明確になる。僕もこう思われるデザイナーになりたいものだ。本庄さんの事務所は新宿中央公園のすぐ近くにある。この公園は昔から好きだ。都庁の足元にあるのに雑多で、何をする場所なのかなんだかよくわからない雰囲気があって良いと思う。都市公園というより、郊外の空き地がそのまま高層ビルのあいだに残っているような感じ。
そのあと、根津に用事があったのでその流れで、ずいぶん久しぶりに藝大の卒業制作展を見にいった。普川さんの「ポーズ」という作品が面白かった。空間というより「距離」としか言えないような質を建築の素材にできている。いくつかの不整形な敷地に、建設途中の建物が置かれている。基礎だけが立ち上がった場所、仮囲い、架構に仮設的に取り付けられた膜、ビニールハウスのようなもの。ただの原っぱもあった気がする。細部は思い出せないが、どれも完成へ向かう途中で一旦休止した建物の痕跡のようなものだった。それらが連携して、ひとつの建築的な全体を組織するということだろうと思った。断片的なそれぞれの敷地の建物未満のそれらが各々のペースで建設され、次の段階へ進んでいくと、それらの組織・連携によって立ち上がる全体、建築のようなもの、は、その都度まったくべつものとして現れるだろう。そのたびごとの姿を作者は「ポーズ」と呼んでいるのだろうか。
2月4日
先週の日記を公開するのかしないのかで悩んだ結果、しばらく寝かしておこうという決断にいたる。たぶん、1-2ヶ月後くらいにしれっと公開しているだろう。いったんLOGは休止するけれど、iPhoneのメモアプリに、その日あったことを断片的な日記のようなものとして書き残すことは、できるだけ続けたいと思う(誰に向かって書いているんだ僕は)。
2月1日
土日は子どもと水戸で過ごしていた。台風のように遊び続ける。ただ、あまりに寒くって、公園へ行っても長くは外にいられず、思ったほどの運動量を確保できない。家遊びをするにもここにはおもちゃは何もないので、場所を作ることをあそびにする。水戸では今、茨城大学の教員宿舎のようなところに住んでいる。一人暮らしには無駄に広く部屋が二つ余っていて、そのうちひとつを子どもの部屋として渡すことにした。徒歩100メートルほどのところにセリアがある。一緒に行って飾り付けに使えそうなものを買い込んで、からっぽの部屋で、壁に何を貼るか、どこに何を置くかを子どもに決めてもらう。こんなに買って、大丈夫かな…(汗)と思ってお会計をしても意外と大丈夫なので、百均はすごい。一緒に過ごせる時間は以前より多くないから、ここへ来たときにしかできないことや時間を少しずつ作ってあげられればと思う。今のところ、この家にしかないものは宿舎特有の無駄な広さくらいしかないのだが、それも使いようだ。
1月28日
おそらくいろいろな事情から、この日記が公開されるのはずいぶん先になると思うが、少し前に離婚が成立した。親権はあちら。長いあいだ協議を続けてきて、ヴェネチアの帰国展がオープンしたこの時期に、正式に手続きができたのだった。詳細は書かないが、僕は去年の一時期、完全にメンタルが参ってしまい、そうとう追い詰められていた。今はそういう状態ではなく、少しずつ眠れるようになり、仕事のことを考えられる時間も戻ってきている。一方で、子どもに会える時間は大きく減った。できるだけ土日は一緒に過ごしたいと思っているが、これまでのようにはいかない。場合によっては月に一度しか会えないこともあるかもしれない。あの状況から離れることと、子どもから離れることが、同じひとつの手続きのなかで起きたことに、自分のなかでまだうまく整理がついていない。
1月25日
卒論と修論の発表会まで、残るゼミはあと二回ほど。いよいよ最後の追い込みに入る。ここに来てようやく分析の突破口が見つかった学生もいる。もっと早く見つかっていればと思わないこともないが、研究はたいてい、締め切りから逆算して都合よく進んではくれない。それまで集めたデータの見え方が急に変わることはよくあること…とはいえ、分析に入る時期をもう少し前倒しできればいいと毎年思うのだけど、そうもいかない。最後の追い込みが重要ですからね、と言いながら、それが学生に向けた言葉なのか、自分に向けた言葉なのか、少しわからなくなる。僕自身はぎりぎりまで「まだ動く時間じゃない」と腕を組んでいて、最後にダッシュするタイプなので、自分がそれいう?的な。とにかく、がんばれ、と思う。
1月24日
京都を早朝に出る。夕方の同期会に間に合うよう車を走らせる。浜松、御殿場、海老名で休憩した。ちょうど夕方に海老名へ差しかかり、東名は大渋滞。この時間に通るべきでないのはわかっていたが、今日はしょうがない。少し進んでは止まる。海老名は以前住んでいた場所でもある。サービスエリアの近くに住んでいて、当時は歩いてよく来ていた。ここは高速の外からも入れる。深夜に歩いてきて、成城石井でパンを買うことがあった。旅行の途中に寄る場所ではなく、近所の少し大きな売店のように使っていた。渋滞していると、やることもないので、あのころ歩いた道のこととかをよく思い出す。サービスエリアの近くに、なだらかな西向きの斜面が続く公園がある。風がよく抜け、夕焼けがきれいに見えた。同期会には一時間半ほど遅れて合流。知っている顔が、それぞれの場所で元気にやっていた。
1月23日
設営はどうにか間に合い、今日は内覧会。なんと記者会見もあった。聞いていなかった。子どもをベビーシッターに預けることも考えたが、京都があまりに寒い。現場の周りに長く過ごせる場所もなく、一日付き合わせるのは厳しい。そこへ、妻の親戚が預かってくださることになった。記者会見は13時から。朝5時ごろに起き、子どもを連れて新幹線に乗る。9時半ごろ東京に着き、子どもを渡して、そのまままた新幹線で京都へ戻る。朝に京都を出て、昼には京都へ帰ってきた。休む間もなく記者会見、内覧会、立食パーティーと続く。作品を見てもらえるのは嬉しいし、久しぶりに会う人も多い。ただ、僕はこういうパーティー的な場が著しく苦手である。しばらく会場にいて、早々に抜けてホテルへ戻る。明日の夕方には大学の同期会があり、早朝に車で京都を出なければならない。ベッドに座って、目覚ましをいくつも設定する。今日のことを考えるより先に寝た。