FEB.5,2024

そういえば書き忘れていたけれど、先週の日曜日には、一月中にやっておこうということで、初詣に行ったのだった。大学が卒論前でけっこう忙しくて、日常の記録がなかなかできてない。初詣は、せっかく茨城にいるので県内の縁起がよさそうなところを探して、鹿島神宮にいくことにした。鹿島神宮は全国の鹿島神社の総本社で、勝負事の祈願といえばココ、という神社みたい。境内の雰囲気はずいぶん良くて、とくに奥宮に行く参道がスカッと抜けるような場所でよかった。この参道の先には、「要石」と呼ばれる、地中深くに沈む巨大な石の頂部のみが見えているとされている不思議な石がある(地震を起こすナマズの頭を抑えているという伝説がある)。これなんだけど、嘘でしょ?ってくらい簡素な石の表面が見えているだけの存在で、なのになぜか仰々しく祀られていて、おもしろかった。神聖な感じはぜんぜんなくって、一種のマーキングのような存在の石だったな(森の奥底にある、なんてことない石の表面を特別視していることが、相当に不思議)。

鹿島神宮もおもしろいけれど、日立市の神社もかなりおもしろい。日立市周辺には、「星宮神社」と呼ばれる、星を祀る神社が集まっている。茨城や栃木が星を熱心に信仰するエリアだったということが、自分にとってはけっこう驚きだった。その本拠地が近所にある「大甕神社」。日本書紀には、(今回初詣した)鹿島神宮と近接する千葉の香取神宮の祭神の二柱が日本の邪神をことごとく平定したけれど、甕星香香背男(みかぼしかがせお)という存在だけは従わなかったので、倭文神武葉槌命(しとりがみたけはづちのみこと)を派遣して香香背男の霊力を「宿魂石」と呼ばれる大甕神社境内の岩に封じ込めた、とされている。つまり、超強かった二人の神様が叶わなかった邪神(土着の神ということだろう)がカガセオで、それを封じ込めたのがタケハヅチノミコトだ、と。興味深いのは、カガセオが「星の神」であり、タケハヅチノミコトが「織物の神」であるということだ。なぜ星の神が織物の神に負けるの? というのがこの伝説のけっこう不思議なところだ。

文献を色々確認したら、現在の日立市というのは当時の東海道の最東端で、大和朝廷と蝦夷の地(後の陸奥国)のちょうど境界にある地域だったらしい。つまり、日本統一を目論む最大勢力だった朝廷と、東方の異民族との領土争い(蝦夷征討)の最前線がこの場所だったと。もともと現在の日立市にいたのは全身刺青の海洋民族だったらしい(東南アジア〜台湾あたりの海洋民族を想像すればいいだろう。もしかすると有名な古代日本の海人・安曇氏とも関係があるのかもしれない)。海洋民族にとって重要なのは言うまでもなく正確な方位の基準となる星(北極星や金星)だ。しかし専制国家にとっては違う。「国家」にとって重要なのは、安定した税収をもたらす農業と、それを成立させる太陽にほかならない。だからこの伝説は、当時の日本で専制国家を成立させつつあった太陽(アマテラス)を祀る大和朝廷と、星を信奉する土着の狩猟採集民との争いの記録ともいえる。そして、この大甕神社には星神カガセオと倭文神タケハヅチノミコトが両方とも祀られているわけだから、両陣営が折り合いをつけた結果はなぜか「織物」だったわけだろう。「倭文」(しづり)とはなにかというと、カジの木を原料とした日本古来の、神事などで用いる布のことみたい(現在では製法が失われている)。もしかすると、現在の日立市にいた先住民と大和朝廷は、戦争の果てに、織物の技術を用いた布を税収として納めるということで折り合いをつけたのかな? と僕は妄想をしている。そもそもカジの木が日本に入ってきたのも台湾経由らしく(DNA鑑定の結果最近わかってきたらしい)、その経路で織物の技術が伝播し、海洋民族独自の技術として重宝された可能性はある。ちなみに近所の茨城県那珂市には「静神社」という立派な神社があるのだが、こちらも主祭神は倭文神タケハヅチノミコト。静(シズカ)の語源は倭文(シズ)なんだろう。栃木をはじめ、北関東はまさに織物が産業化された土地というイメージもある。下の論文「常陸国における星神・香香背男伝承の歴史地理学的研究」がかなりおもしろかったのでおすすめ。

https://lab.kuas.ac.jp/~jinbungakkai/pdf/2016/h2016_01.pdf

今年に上映が開始される北村皆雄監督の『倭文(しづり) 旅するカジの木』という映画はまさにこの問題を扱っているようなので、ぜひ観てみたい。

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