MAY.30,2020_建築家をやめるとき

以下のような一節からはじまる文章がある。

翻訳することは、運搬することである。それは変化させることなく、何かを動かすことだ。これがこの語の本来の意味であり、発生するのは直動(trans-latory)運動である。この直動運動というアナロジーは、言語の翻訳においても可能である。しかしこの、語の意味がある言語から別の言語へと翻訳されるという根底的な横断が、本来求められるような均等性と連続性を備えているようには見えない。運動のただなかにあっては、歪みや壊れ、紛失は免れ得ない。そうはいっても、意味が変調を受けることなく滑走しうる一様な空間が存在するという仮定は、単純な妄想以上のものである。そもそもこうした純粋で無条件の存在を仮定することによってのみ、この想像上の条件からの逸脱のパターンを正確に知ることができるのである。 

私がここで提案したいのは、建築においても、図面と建物のあいだで同様のことが起こっているのではないかということだ。すなわち、建築家が自身の仕事をまっとうするためには、言語の翻訳と同様に、批判的な不信の宙吊りが必須なのではないか、ということである。加えて本稿では、こうしたフィクションの作動は明示しうることであるのにも関わらず建築分野においてそれが行われていないこと、さらにその不明確さが原因となって図面が過度に評価される一方、図面の特性──対象の建物との関係におけるその特異な力──がほとんど認識されていないという不思議な状況が生じていることを指摘する。媒体(medium)としての図面の力を認識することとは、意外なことに、図面とその表象対象は別個のもので、両者が似ても似つかないものであることを認識することである。これは決して逆説的なことでも、分裂的なことでもない。

Robin Evans: Translations from Drawing to Building, Translations from Drawing to Building and Other Essays, The MIT Press, p.154, 1997

直動運動とはネジとネジが噛み合うような機構を指していると思われる。翻訳(trans-lation)という概念の背景には、モノやエネルギーがAからBへと移動する、すなわち運搬されるというイメージがある。もちろん運搬の過程で力は減衰するし、ある言語からある言語への置換が100%正確におこなわれることはありえないけれど、それを「ないものとみなす」ことではじめて、翻訳という枠組みは成立する。これは図面と建物の関係であっても同様だ、と。図面と建築はほんらい通約不可能な独立した領域だけれど、両者の齟齬を「ないものとみなす」というお約束なしに、建築設計という2次元と3次元のあいだの翻訳行為を成立させることはできない。上記のテキストで「批判的な不信の宙吊り」(suspension of critical disbelief)*1と言い当てられていることだ。フィクションへの没入が、イリュージョンへの加担が、ここでは必ず要求される。

建築図面が果たしている膨大な生成的役割についての私の気づきは、美術大学で教鞭をとっていた短い期間に由来している。建築と視覚芸術は密接に結びついているという確信を持っていた当時の私がすぐに気づいたのは、建築家が自らの思考対象に直接取り組むことはなく常に何らかの媒体を介しているのに対して、画家や彫刻家は当然のことながら──予備的なスケッチやマケットには時間を費やしているかもしれないが──自身の注意と努力の大部分を対象そのものに注いでいるという、建築設計に特有の不利な点であった。いま振り返ってみて理解できないのは、なぜこの単純な観察の意味合いについて当時の私は熟考しなかったのかということである。建物に対する図面に比べ、絵画や彫刻に対するスケッチやマケットはより近い存在であり、進展のプロセス──定式化──の結論が、これら予備的なスタディのなかで導き出すことはめったにない。最も激しい活動はほとんど常に最終成果物への構築と操作であり、予備的な検討の目的は最終的な作業を開始するための十分な定義を与えることであって、建築図面のように、事前に完全な決定を行うことではない。 結果として建築図面に生じる努力の置換とアクセスの間接性は、視覚芸術ともみなされるような従来の建築の特徴であるように私には思えるが、それが必ずしも不利なものであるかどうかはまた別の問題である。(……)[建築家が自身の作品に]直接アクセスしうることを主張することは、図面を建築芸術の真の保存場所として指定することに他ならない。 そしてそれはまた、図面を拒否することにもなりかねないのである。

Ibid., pp.156-157

建築家はつねに、図面という媒介項を通してでないと、建築物にアクセスできない。だからこそ建築家が図面と建築の等号を否定することはとても難しい。なにしろそれは「建築芸術の真の保存場所」であり、建築家という枠組みを正当化しているもっとも重要な要素なのだから。とはいえ建築的な発想のおもしろさが、しばしば3次元を2次元で考えざるをえないという制約のなかから生まれるという感覚は、多くの建築家がもっているのではないだろうか。図面と建築はおんなじではないからこそ、おもしろいのだ。しかし、僕らは建築家であり続ける限り、図面の本当の可能性を否定し続ける。建築と図面を等号で結び続ける。この問題は僕らが思っているよりずっとずっと根が深いのだ、ということが、今回考えてみたいことだ。

 

建築家の原作者性(Authorship)ついては、マリオ・カルポの議論を参照するとクリアになると思われる。

オリジナルで、自著による作品(たとえば、芸術家の手により作られサインされた作品)は、その原作者が何も媒介させずに作るものである。しかしアルベルティ的な、代著による建設の方法において、原作者によって本当になされる唯一の仕事は、建物のデザインである──それは建物そのものではない。それは定義からして他人によって作られるのだ。アルベルティにとって、原作者であることが、言わば図面から建物まで延長するのだと主張するための唯一の方法は、建物とそのデザインを完全に同一であると見なされなければならない、と要求することであった。(……)建物とそのデザインは、表記法の上でのみ同一でありうるに過ぎない。それらの同一性は、一方を他方に変換する仕方を決めている、表記システムに依存するのである。この表記法の上での同一性という条件が満たされるとき、図面の原作者が建物の原作者になる。そして建築家は、ある建物に対する、何らかのかたちでの所有権を主張することができるのだ。

マリオ・カルポ: アルファベット そして アルゴリズム: 表記法による建築──ルネサンスからデジタル革命へ, 美濃部幸郎訳, 鹿島出版会, p.41-42, 2014. 9

建築家が固有名として建物の所有権を大々的に主張することになるのはルネサンス期である。これは図面の表記法が確立する時期と軌を一にしている。もちろん普通の住宅程度の規模であれば、「これは私がつくった建物だ!」と主張することは容易だろう 。なにしろ事実として自分が手を動かして、それを造ったのだから。でも数百人という職人が関わるような公共工事(たとえば教会のような巨大な建築物)ではどうだろうか。そこではひとりの人間が多数の職人を指示することはあっても、個人が1から100まですべて構築しきることは不可能だ。そんなことが可能なのはデミウルゴスくらいである。必然的に、設計者の建物へのアクセスは間接的になる。

とても単純なことなのだけど、建物を「作品」とすることのそもそもの困難はこの「サイズの大きさ」にまつわる諸問題に存じている。それこそウィトルウィウスの『建築書』は、ほとんど現場管理のためのバイブルといった内容であって、彼が丁寧に記述した比例を用いたモジュラー・システムは美学的な要請というよりは構築的な要請から、すなわち多人数での組み立てにおける手続き合理性を担保する要素として導入されたものだと思われる。はるか昔から、現場の管理を一任されるような職能はあった、ということだ。もちろん現在「建築家」とみなされている職業の原型はこの管理する側の人間である。でも彼が「この建物の作者は俺!」と声高に叫んだとしたら、実際に型枠を組み、石の積んで、表面に装飾をほどこした職人たちから猛烈なバッシングを受けたことだろう。ボコボコにされたことだろう。

 

では、アルベルティの少し前の世代のブルネレスキはその問題をどのようにクリアして「建築家」となったのか。この問題は、「どうやって教会のような巨大建築を1から100まですべて個人で構築しきることができたのか?」というかなり無茶な問題となる。

彼のとった戦略は大きくふたつ。ひとつは装置の発明とその厳密な運用である。「ブルネレスキの建物」とされているフィレンツェのドームは、彼が登場した時点で既にデザインは決定済みであり、残すはそれをどのような手順で建設するかという問題だけであった。つまりブルネレスキは「デザイン」を根拠として建築家になったのではなく、「建設の手順」を根拠にしてドームの原作者性を勝ち取ったのである。彼が行ったことはというと、クレーンや照明装置、型枠なしで煉瓦を積んでいくためのコンパス状の治具、煉瓦および石材のためのジョイント金具等々の開発であり、そして、現場に通い詰めて実際にそれを運用することだった。大げさにいえば彼の指揮下においては、その装置に沿って職人が動けば、いつのまにか建築物が勝手にできあがるという寸法だった。ここでは職人による現場での即興的な判断の機会は不要であり、むしろ彼らはブルネレスキが運用する装置の一部のようなかたちで、構築の手順のなかに組み込まれた。装置によって──まさしく冒頭で書いた直動運動のように──多数の職人がブルネレスキという個人の手の延長と化すわけである。これによってはじめて、個人が巨大な建築物の作者となることができた。

もうひとつの重要な要素は幾何学である。幾何学の、きわめて政治的な運用。たとえば《捨て子養育院》の平面・断面・立面はほとんど正方形の反復でできていて、このモジュールの徹底によって現場での職人の判断などまったく挟み込む余地のないものとされている。ウィトルウィウスの方法(効率的な現場管理方法としてプロポーションの使用)をより過激にドライヴしてる感じ。さらにここでは装飾が標準化されたデザインとされたり、その色彩がグレーに統一されたりと、徹底している。何が徹底しているかというと、つまり、一貫して彼は職人の自律性を奪っているということである。守秘的な側面が強く、実際に強い権力をもっていた石工や絹織物などの職業組合(ギルド)に対抗するような意思がここにあるように、ぼくには思われる。根本に権力闘争のような問題があると思う。いうなれば「職人から仕事を奪う」ことではじめて、個人が規模の大きな建築物の「作者」になることができた、のではないか。現代の建築家は現場での職人の技術や判断を大事にする人が多いから、これはとても皮肉なことだなと思う。むしろぼくらは原作者性という問題を再考するなかで、建築を構築する際に生じる権力の所在をもう一度組み直す必要性にせまられているのかもしれないと思う。

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△Brunelleschi: Ospedale degli Innocenti (Hospital of the Innocents), 1419–ca.1445, Florence, Italy

とまれ、ブルネレスキのデザインの軽やかさはやはり、職人の自律的で即興的な諸判断を徹底して奪っていって、それにともなって歴史的なお約束というか、慣習的な判断をも振り出しに戻すことができたからこそ、成立しているような気がする。これはモダニズムに直結するような問題で、とりわけコルビュジエのドミノ・システムとはなめらかに連続する。どの辺が連続しているのかというと、いずれも「建てることの喜び」みたいなものを建設過程から(かなり意識的に)オミットしている点だ。建設の単純労働化自体が、「建築家」を成立させた第一要件だった。同時期の日本では西洋とはむしろまったく逆の展開(大工技術の全面化=数寄屋)が発生していたのであり、当然そこでは「建築家」という職能は成立しえなかった。だからこそ、建築家という職能は輸入されたわけだけれど。

 

ブルネレスキとは対照的に、アルベルティは現場にいかないことで有名だった。じゃあどうやって彼は「建築家」になったのかというと、これはカルポの本で詳細に語られていることだけれど、彼は図面の正確な表記法とその厳密な運用方法を制定し、「図面=建築」という現代の我々が前提としている枠組みを作った。だからこそ、直接建物をつくっていなくとも、図面を書いた私がこの建物をつくったことになる、と(これは実際のプレイヤーでなくとも、楽譜を創造した人間が楽曲の作者になる、というような状況とよく似ている)。ブルネレスキとは対照的に、アルベルティは「デザイン」を根拠として建築家になったのだ。面白いことに、彼のこのようなスタンスは絵画に関しても一貫している。

Perspectivaという言葉はラテン語であり、〈透して視る[Durchsehung]〉という意味である。」デューラーは遠近法の概念をこう意訳しようとしている。この「ラテン語」はすでにボエティウスにも見られるものであり、もともとはそれほど深い意味をもってはいなかったように思われるのだが、われわれとしてはやはりデューラーのこの定義の本質的な点を採り入れたいと思う。ということはつまり、単に家とか家具とか個々の対象が縮尺されて描かれているようなばあいではなく、画面の全体が、──ルネサンス期の別の理論家の表現を借りれば──言わばそれを透かしてわれわれが空間をのぞきこんでいるように思いこむ「窓」と化しているようなばあいに──したがって、個々の人物や物の形体が画像としてそこに載せられていたり、立体的にそこに取り付けられていたりするように見える物質的な画面や浮彫(レリーフ)面がそれとしては否定されそれを透して垣間見られる全体的空間、すべての個物を包み込む全体的空間がそこに投影される単なるスクリーンとしてとらえなおされているようなばあいに──、そしてそうしたばあいにのみ、まったき意味での「遠近法的な」空間直感がおこなわれているということにしよう、ということである。その際、その投影が直接の感覚印象によって規定されていようと程度の違いはあれ「正確」な幾何学的作図法によって規定されていようと、そこにはなんの違いもない。

エルヴィン・パノフスキー: 〈象徴形式〉としての遠近法, 木田元・川戸れい子・上村清雄訳, 筑摩書房, 2009

上記の引用でパノフスキーが「ルネサンス期の別の理論家」と仄めかしているのはもちろんアルベルティである。ここでも「ということにしよう」という彼の方法が明確に指摘されている。額縁を窓枠と“みなす”限りにおいて、絵画は現実の正確な再現となりうる、ということにしよう。そしてその“みなし方”を共通のルールとして、「理論」として、厳密に制定しましょう、と。

ところで上記のパノフスキーの引用に登場するデューラーの遠近法のモデルは、アルベルティの発想とは似て非なるものだと思われる。デューラーが考案しているのは例えば下のような装置であり、ここでは仮想的な「人間の目」は必要とされない。どちらかというと、というかかなり、ブルネレスキに近い。この装置を運用する人間は別に「描かれる対象」を見る必要はないし、「描かれたイメージ」を確認する必要もない(ブルネレスキの装置にそって煉瓦を積む職人と同じように)。何も考えず糸が指示する箇所に点を打っていけば、正確な遠近法で描かれたイメージが勝手にできあがる。装置を運用する人間、枠、糸は連帯することで画像生成装置──いわば擬人化されたカメラ──となる。個人的に、近代建築と写真の成立の起こりはかなり近いところにあると考えているのだけど、そのひとつの理由がここにある。

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△Dürer: method of perspective construction, 1525

 アルベルティが用意した「図面=建築」という枠組みはとても強力だった。これについてはエヴァンスが面白い例を出してるので紹介しよう。下のふたつは「絵画の起源」という同一のモチーフで描かれた絵画だ。注目してほしいのは右のほうで、これはカール・フリードリッヒ・シンケル、つまり建築家が書いた絵である。このふたつには大きな違いがある。両者とも、大プリニウスが絵画の起源を「人間の影の輪郭線を辿ること」とした記述をベースにしているのだけども、左のディヴィッド・アランの絵画は屋内の情景であり、対してシンケルのほうは屋外の情景である。これが決定的な違いといえるのは、まず左の絵画ではろうそくの火を光源としているのに対して、シンケルが書いた絵画の光源は太陽だということ。つまりディヴィッド・アランが線遠近法的なモチーフを採用しているのに対して、シンケルは正投影法としての影(=図面)を描いていることになる。さらに左の例では「絵画の起源」以前に建築が存在しているが、シンケルのほうは建築が登場していない。つまり建築家であるシンケルは建築物に対する絵画=図面の先行性をここで明確に示している。示しているというか、彼がカルポのいう「アルベルティ・パラダイム」のただなかにいたということだと思われる(新古典主義という時代の建築家ということもあるとおもうけれど)。シンケルがこうした絵を書かざるをえないくらいに、図面を書くからこそ建築家という職能が成立するのだ、という規定は強力だったのだと思う。

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△David Allan: Origin of Painting, 1773 / Karl F. Schinkel: Origin of Painting, 1830

 

エヴァンスが問題としているのはまさにこの問題だった。つまり、建築家の正当性はしばしば図面によって担保される、ということ。だからこそ、図面と建築物のあいだの翻訳はつねに「うまくいっている」とみなさなければいけないし、両者の通約不可能性を積極的に論じることはとてもむずかしい。

ただし今回の記事で見てきたように、図面=建築を前提としないブルネレスキのような方法もありうる。現代でいえば、ブルネレスキが種々雑多な装置を発明したように、アルゴリズムやAI、機械学習といったデジタルツールを駆使する、ということになるのだろうか。マリオ・カルポやベルナール・カッシュの議論はこの路線で、これはこれで面白いと思う。図面を媒介としないで、建物への直接的なアクセス経路を発明し直すということ。ただし、図面の代替物として別のツールを発明するということと、ロボットを駆使した自動建設や巨大な3Dプリンターの運用みたいなことに関する議論を混同することには違和感がある(個人的なカルポへの違和感はここにある)。下手をすると、建築家が奪い取ってきた職人の自律性を完全に葬り去ってしまい、建築家の固有名がもつ権威をより一層強力なものにしてしまって、どこか取り返しのつかないところまでいってしまうのではないか、と思えてしまう。

図面を絶対化することも、図面を完全に排除することも、けっきょくは建築家の原作者性をより強力なものにする。対して、図面に内在する2次元から3次元への情報伝達を阻害する要素を再認識しようという考え方もある。建築家と建築物のアクセスの間接性(翻訳の不完全性)にこそ、可能性を見出すというわけだ。いわば図面の非図面性を過剰に使用することで、建物を様々な主体へと開く、という立場。だからここでは現場での即興的な構築をいかにコントロールしつつ実装するか、みたいな問題が、例えばだけれど、浮上すると思われる。

図面から建物への翻訳の過程(翻訳を実行する主体は様々である)で生じる軋みを受け止めること。この路線は自身を正当化してきた「図面=建築」という枠組みを危ういものにしてしまうけれど、同時に「作者」の位置をあちらこちらに分配させるだろう。それによって、その建物の構築に関わったすべての人が「この建物は自分が作った!」と胸を張っていえるような枠組みを用意することが、もしかしたらできるのかもしれない。