MAR.30,2019_講評会という制度について

 ずいぶんと前のことなのだけど、2月にうちの大学であった修士設計の講評会が、個人的にはちょっと違和感を感じるものだった。違和感とは、端的に講評する側がモノを、つまりは図面や模型を十分に見ていなかった(ようにぼくは感じた)ことだった。いたってシンプルなことだがこれは深刻な問題で、ぼくの大学にいたってはこの傾向が慢性化してしまっているので、読み込まれる模型や図面を制作しよう、という学生側のモチベーション(というか緊張感)がほとんど瓦解してしまっているような状況にあるように思われた(ゆえに学生はひたすらプレゼンテーションとリサーチの精度をあげることに時間を費やすことになる)。結果として講評会における中心的なトピックは、設計の枠組みや、立脚する歴史的・地政学的な文脈への整合性あるいは理念(コンセプト)についての抽象的な質問の応酬となる。わかりやすく表現すれば、きわめて“事情聴取”的な講評がそこでは行われていた。設計者である学生を先生方が取り囲み、設計者の「意図」をあれこれと質問する。そのさい、学生が期待した答えを返してこなかった場合、「うーん」と首を傾げてそれで終わり、という次第。

 結局のところそうした“事情聴取”的な講評においては、設計者が自らが設計したものを100%理解し、隅から隅まで完璧にコントロールしているという前提が(すくなくとも“理想的な”修士設計の当事者のモデルとして)措定されているように思われる。でも本当にそうなんだろうか、とぼくは思う。設計者(だけ)が自律した主体であり、社会には解決すべき問題あたかも用意されている、という認識には幾重にも重ねられたフィクションが介在しているのではないだろうか。世界の有り様にはすべて必然的な根拠があり、あらゆる真理は理性によって論証される必要がある、という理性主義・啓蒙思想にのっとった教育をいまさら繰り返すことに何の意味があるというのか。そういった教育が、「生産性」に応じて最大限の利益を得るプロセスを約束する規定の枠組みを強化するという価値観以外の何を生むというのか。

 そこではしばしば見落とされてしまうのは目の前の現実(実体として模型や図面、スケッチ)であり、それらはフィクショナルな問題解決の事実認定をおこなうための単なる証拠として矮小されてしまう。 しかし、設計者が書いた図面や模型は各々が自律したオブジェクトであり、それらは常に可能性を”余らせて”いる。それは設計者の「意図」が単に束ねられたものでもないし、スチレンボードやダンボールの寄せ集めでもない。それらは意図と物質の両方に、決して還元できるものではないのだ。もちろん実作(現実世界に建つ建築物)はそうなのだけど、模型や図面でさえそうなのだと断言できる。それらは制作した本人ですらまったく自覚していたなかった可能性をも秘めた、決して簡単には汲み尽くすことのできないモノなのである。図面にしろ模型にしろ、それが真摯に制作されたものであればあるほど、自律したオブジェクトとして、独特の仕方で我々に何かを問いかけてくるはずだ。モノの問いかけに耳を傾けず、提出されたプロジェクトを既存のカテゴリーに当てはめようとする態度は批評ですらない。それは単なる知的怠慢である。そして事情聴取的に、設計の意図や狙いを聞かれ、それにただ答えるだけの場において、発表者は何も得られるものはないだろう。それは教育の場ではない。

 

 模型や図面が、設計者の理念を代弁するのではない。むしろ逆で、設計者が、模型が図面が発し“かけて”いる理念を代弁しているのである。設計者も講評者も、モノを前にしては皆平等だ。設計者・講評者・聴講者は同じ土俵に立ち、各々が自らの目でモノを凝視し、自らの個別具体的な経験や知識を酷使しながらその是非を吟味し、言葉を尽くし、互いの読み筋を戦わせ、設計者が予想もしていなかった新たな視座やアイデア、言葉を共に組み上げていくべきではないのか。と、ぼくはそう思った。少なくとも講評する立場にあるものは、自らの身体を議論の場に(新たなアイデアを組み立てるためのひとつの素材として)投げ入れる必要があるし、その覚悟と勇気がないならば講評する権利はないとすら思う。

 ひとつの問題は修士論文と修士設計で同一の学位(うちの学校の場合は修士(工学)/M.Eng.)が与えられるということだろう。それを踏まえた上で論文のほうに評価基準を擦り寄せていく、という方向性がうちの大学の今の大きな流れだと思うけど、それは端的に無理がある、と思うし、素直に別々の評価基準を整備したほうがいいとも思う(でなければ現状のようなどっちつかずのムードが加速し、そのうち破綻するだろう)。ぼくはあれこれ悩んで修士論文を書くことを選んだ身で後悔はないのだけど、そのぼくからしても、建築学を修める機関として、どう考えても修士設計は選択肢として必要だろうと思う。

 論文は基本的に、国内外の文献の調査や指導教員を含めた研究者との議論、国内外の学会等での発表を踏まえた上で、課題の設定の仕方、自分が解決できる問題の枠組みの設定の仕方の探索に大変な労力を費やす。基本的に研究者は、自らの能力と研究環境で解決できる(可能性が見込めると十分に判断できた)課題のみを扱っていくわけだし、むしろその枠組を見出すことに最大限の創造性があるといっていい。そこでは先達の膨大な研究の積み重ねを真摯に引き受けたうえで、そこに小さな小さな一歩を加えていくという姿勢が求められる。そういう意味でも修士論文に関してはその内容のすべてが研究者のコントロールのうちに置かれている必要があるのだし(今後の研究課題も含め)、そこでは事情聴取的な最終試験の形式は十分に成立するだろうと思う。

 しかし設計はそうもいかない、というのが正直なところだと思う(すべての人間が同じ敷地で同じ規模の建物を設計するのならともかく)。いくらリサーチに時間を費やしたところで、設計を進めていけば予想もしていなかった、自分の手におえない問題や矛盾が噴出し続ける。しかしそれでも設計者はその矛盾に蓋をすることはできないし、それらを引き受けたうえで具体的な形態を提出する覚悟が常に要求される。そしてむしろ重要な課題はいつでも設計のあとに、カタチを捻出し、ひと呼吸おいてから事後的に生じる(だからこそ講評会という場は、おこなったことの確認作業というよりは建物を設計する過程の重要な一段階として位置づけるべきだと思う。最終講評後の徹底した加筆修正を経た上で提出された本論を学位授与の最終判断材料とするならば、ぼくは何の異議もない)

 

 建物を設計するということは、無数の参照点のなかからいくつかを選び出し、それらを組み立て、新しいルールを暫定的に作ることにほかならない。これは解決すべき課題を不動のもとのとして位置づけ、そのうえで普遍的なルールをあらかじめ措定するような論証的手続きでは決してなく、むしろ個々の空間・個々の構成のアイデアを練っていく際にルールが暫定的に作られていく、というものだと思う。この「ルールの暫定性」(いわば設計における“賭け”)は、もちろん設計した本人が完璧に言語化できるものではない。「とりあえず作る」ことなしに、建築ができあがることは決してない。

 こうした設計者の賭けを真摯に引き受けたうえで、その可能性について時間をかけて吟味し、他者と共有可能な言葉をともに考えていく(作り出していく)ことが講評において最も重要なことであるように、ぼくには思われる。講評する側は、提案の可能性を限界まで引き出したうえで、設計者の賭けがぶち当たる決定的な矛盾や問題点をあぶり出し、プロジェクトが座礁するその瞬間まで付き添えばよい(優れた提案ほど、次なる設計に向けたすぐれた問題を事後的に産出するはずだ)。そうした高速かつ高密度で展開される分厚い議論の場からは、発表する側や講評する側はもちろんのこと、なによりも議論を聴講する側の学生が、次なる設計に向けた構築的なアイデアやイメージ、言葉を引き継ぐことになるだろう。だからこそプロジェクトの失敗も論理の破綻も、教育的には常に大きな価値をもつ。それは次なる可能性の確かな足場となる。だから失敗することを恐れる必要など全くない、とぼくは思う。ぼくは常に、真摯に取り組まれたプロジェクトの失敗がもたらす幽霊のような可能性に(それは強力な“思弁”の対象となるだろう)魅惑される。

 あらかじめ歴史的におさまるべき場所が想定されていて、そこにしかるべくおさまっていないものはすべてアナクロと批判されてしまうような俗悪な判断基準でいくら批評されても、新たに生み出されるものは何もありはしない。形態の正当性やデザインの根拠が、社会的なモラルや事前に要請されるプログラムのようなものに還元される。そういった基準でしかモノが判断できないのならば、そもそも建築の批評など必要ないとすらぼくは思う。

 大学という研究・教育機関は近代の論理を極限まで推し進め、機能的で社会の要請に答え便利でどこまでもキレイな建築物を設計する人間を排出し続ければいい。その結果、生きる人間を自らの論理で建築から排除していっても、それは近代の宿命というものだ。

 それにしても、と思う。ぼくはそれでも、自分が感じた小さな生き辛さや他者の痛みを、矛盾だらけで無様であってもなんとかカタチにしようとする建築家の「賭け」を見てみたいと思う。そういう人間がどんな線を引くのか、どんな素材の組み立てを実践するのか、それによってどんな大きさの空間を立ち上げるのか、立ち上げられたモノが人間のどんな動きを誘発するのか、を、見てみたいと思う。そしてその建築によって鼓舞される人間の生を、どこまでも想像してみたいと思う。ぼくは優れた建築物が「生きることを励ます」ものであるということを信じている。そして建築学を志したすべての人間が、そういった建築物を創造する可能性を宿しているのだということを、否、その責任を背負って現場に赴くのだということを、どこまでも期待している(それはいまいちど、基礎教育まで立ち戻ってみるということでもあると思う)。だからぼく自身もこの問題に関しては、ぼく自身の仕方で引き受け、これからも考えていきたいと思っている。