JULY24,2018_通路を見出すこと

○もうコメントの方でご指摘いただいているけれど(指摘されたらうれしいなとは思っていたのでとても嬉しい)、21日の写真と22日の写真は、清野賀子の写真集『至るところで 心を集めよ 立っていよ』(オシリス, 2009)という写真集におさめられているショットと同じ場所、同じ画角で撮影したものだ。とくに22日の写真は本写真集の表紙の写真と同じ画角なのだけれど、樹木の成長に10年という歳月をまじまじと感じる。

清野賀子『至るところで 心を集めよ 立っていよ』

  きっかけは単純で、たまたまネットでこの写真集の撮影地の一部が川崎市のとある総合病院だという情報をみつけて、google mapでその周辺をうろうろしていたところ、清野さんが撮影されていたものとまったく同じダンプカーを発見し(21日の写真。ちなみにナンバーも場所も全く同じ)、いてもたってもいられなくなって家を飛び出し、現地へと足を運んだのだった。その日は休日で、気づいたのがたしか午後2時〜3時くらいだったから、日が暮れるまで時間がなくって、かなり急いでいたのを覚えている。昨日(23日)の写真も、『至るところで』におさめられている写真にはない画角だけれど、この近所で撮った写真。

 

○何度も言及しているが、ぼくにとって写真家のヒーローは、清野賀子と中平卓馬だ。しかし、清野はこの写真集を出版を待たずして自ら命をたっている(『至るところで』は清野が通院中にとった写真かと思われる)。ただ、彼女がこの写真集におさめられている写真を撮っているときに精神を病んでいた、とか、自殺を考えた切迫した感情が伝わってくる、とか、この本を解説するときにそういう情報を付け加える人がいるけれど、ぼくは(誤解を恐れずにあえていえば)そんなことは心底どうでもいいと思っている(ただしこの写真集が、日々のルーチンワーク、繰り返しのなかで撮影されたということは重要。中平と清野は日々の「繰り返し」を徹底的にラディカルに作品化しようとしていた作家だと思う)。この写真集におさめられた清野の写真は、“単にイメージとして”、それそのものが単純にものすごくおもしろいのである。清野の写真には、「何も見るものがない」を写しているというような、「無意識に眺めている風景」を、その無意識さを徹底的に保留したまま「凝視」しているような、現実が現実以上に現実的に映されているというような、そんな両義的な性格がある(あえてこれに近い仕事を挙げるならば原將人の映像作品だろうか)。この写真集におさめられた素晴らしい写真の数々は、「制作者」からも、あるいは撮られた「世界」からも自律したオブジェクトであり、そうしたコンテクストから離れて、まったく自由に解釈される権利をもっているはずだ。ぼくはフォルマリスト的に捉えがちなのでちょっと偏っているのかもしれないが、これは写真に限ったことではなく、作品をとりまく偶的なエピソードを極力排除した上で、作品それ自体と直截に、そして真率に向き合いたいなと思う。なにをやるにしても「建築への転用」が頭の片隅にあるから、こういう思考になってしまうのかもしれないが、、、。

  とはいえ、清野自身から、このような写真を撮った意図等を聞き出す機会がもう二度とないということは、非常に残念なことである。大変に心が痛むし、もう少し早めに写真に興味をもっていればと後悔すらする。でもだからこそ、この写真集を「死の香りがただよう、、」みたいな全く生産性のない湿った感想をもらすだけで解釈を閉じるのは辞めて、徹底的に、形式的に、画面で起こっていることを分析することで、(清野の言葉を借りれば)そこからなんらかの思考の“経路”を発掘することで、ぼくであれば建築の方へ、あるいは写真でも絵画でも映画でもランドスケープでもなんでもいいのだけど、なんらかの「制作」の方に向かって、各人が手を動かさなければならない、と思う。ということで、撮影地を知ったぼくはババッと部屋を飛び出し、『至るところで』の分析に向けて電車に乗ったのであった(なお、病院の敷地内での撮影に関しては守衛さんに一言かけてからおこなっています)。

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400)

 

  これらの写真の撮影地点は、バスの待合所やベンチのある中庭スペース、病院への道のりの途中であることが、画角を見つける過程でよくわかった。これは「精神を病んでいたから身動きが取れず、こういう写真になってしまった」訳では決してなく(この写真集に対して、実際にこういう感想を極めて独断的に、そして断定的に述べているテキストをネット上で読んでしまったのだが、相当に的外れだと思う)、かなり意図的におこなっていた操作だろうと思う。すなわち、通常の写真撮影における、何かを撮影するために対象をみつけ、撮影ポイントを定め、そしてシャッターを下ろすという一連の決断をともなった行為を、清野は(かなり意識的に)やめている。徹底して「決断しない」状況で制作することを決断している。今風にいえば「中動態」的な撮影環境を能動的に自身に課していると、ぼくはそう思った。撮影地点を日々のルーチンワークのなかに制限し、撮影対象を徹底的に「見慣れたもの」に限定すること。見慣れた、見飽きた、繰り返し繰り返し立ち現れる事物のなかでこそ、風景の微細な変化をとらえ、そこに「経路」を見出すことができる、と。

  この作業は、ルーチンワークを意図的に導入すると言う点で中平卓馬のそれとかなり近い(ただし中平の場合は“忘却”がともなうわけだけど)。両者の写真は一見すると真逆である、が、個人的にはかなり近い仕事をしていると思っている。中平が徹底的に「図」を写す一方で、清野は徹底的に「地」を写すという点で、両者の仕事は表裏一体、コインの表と裏のようなものなのだと。中平は「対象」を凝視し、清野は「環境」を凝視するのだ。

  下は『至るところで』の写真と同じ画角ではないけれど、同敷地で別画角を撮影したもの。

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400)

 

  清野の写真が、見慣れた風景のなかで、なんらかの仕方で「経路」を見出した瞬間を写したものだとしても、鑑賞者であるぼくらはその風景を見慣れているわけではないから、それがなぜ「経路」であるのか、汲みつくすことはできないのだろう。でも、それでも清野が残した写真は、「経路」を指すコンパスとして、ぼくらの眼を何でもない風景へと差しむける。