OCT.5, 2018_ガララテーゼの集合住宅

イタリアで撮った写真⑥

前回書いた《サンドロ・ペルティーニ記念碑》からすぐそこにあるレストランでミラノ・カツレツを食べたあと(骨付きの肉厚で超おいしかった)、《ガララテーゼの集合住宅》(1969-73)へとむかった。《ガララテーゼの集合住宅》は建築学生であれば必ず一度は目にしたことのある建物であり、ぼくもどうしてもいきたいと思っていた。

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アルド・ロッシはミラノ工科大学を1959年に卒業し、『カーザベッラ・コンティヌイタ』誌の編集を担当したのち、「ヴェネツィア建築大学」(Instituto Universitario di Architettura di Venezia: IUAV)でカルロ・アイモニーノの助手として1963年から1965年まで教職につく。アイモニーノは都市計画の専門家であり、歴史的中心地区の保全や文化財の修復に取り組むとともに、ロッシらと都市の類型学的研究をおこなっていた人物である。

《ガララテーゼの集合住宅》はアイモニーノのプロジェクトであり、事実大部分は彼の手によって設計されているのだが、アイモニーノは助手として研究や教育活動をともにおこなっていたロッシをこのプロジェクトに招聘し、棟のひとつを彼にまかせることにした。

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△白い部分がロッシ棟(D棟)、茶色い部分はアイモニーノ棟(A-C棟)

ロッシ棟とアイモニーノ棟は、ところどころ建築言語を共有しつつも良い意味で対照的である(というか、似ている部分があるから対照的だと思えるのか)。しかし皮肉なことに、ロッシが担当したこの白い棟だけが世界的には有名になってしまって、アイモニーノの設計部分は意外なほど認知されていない(とくに日本ではそうなっちゃっている気がする)。が、ロッシ棟とアイモニーノ棟はセットみなければいけないのだなということが、実際にいってみてわかった。

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白いロッシ棟はD棟と呼ばれる部分で、大きくわけて4つある《ガララテーゼ》のボリュームのうちのひとつだ。外装は白のしっくいで統一され、開口部の赤色、そして部分的に用いられる深い緑色の着色がアクセントになっている。

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天井の素材なんかを見るとわかるのだけど、素材はたんに無装飾であることを超えて、積極的に「貧しい」ものを採用していることがわかる(天井は木毛セメント板で、壁はスタッコかな?)。これらはロッシにとって、とにかく安価であることが大切だった。これは無論たんなる意匠的な手癖というわけではなく、「テンデンツァ運動」に代表されるような、ロッシの政治や都市に対する独特の態度を背景にしている。

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数年遅れるけれど、日本でいえば1978年に坂本一成が《南湖の家》で内壁のすべてをシナ合板で構成していて、ぼくは《ガララテーゼ》をみて思わず坂本さんを思い出してしまった。これ、たぶん当時はすごく批判的な態度であって(いまではもうスタイル化してしまっているきらいがあるけれど)、こうした素材に対する態度が場所を超えて同時多発的に展開していたのはすごく面白い。ただし、坂本さんは多木さんとの共編著での連載「Language of Architecture〈部屋〉ーーその意味と構造」(『インテリア』, 1978.11)を当時もっていて、これは数年がかりでしっかりと準備したのではないかという重厚な内容になっているのだけど、ここでロッシとヴェンチューリに積極的に言及しているので、実は素材感に関しては普通にロッシから影響を受けていたりするのかもしれない。多木さんというフィルターを通したうえで、ロッシとヴェンチューリが独特な仕方で当時の坂本さんに流れ込んでいたのではないか、と思ったりもする。ロッシの素材感や類型的なアプローチ、あるいは政治的な批判性がヴェンチューリの「装飾された小屋」と出会い、坂本さんの「家型」に結実していたとする仮説はあながち間違っちゃいないのではないだろうか(そのほうがぼくとしては興奮する)。

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△正方形の開口部は窓付きの部分とテラス部分がミックスされていて、反復のなかに生活の差異が刻み込まれる。

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△赤い磁器質タイルによるペイブメントもとてもきれい。反射光が青色にみえる。

繰り返すけど、この素材感は素晴らしい。それと有名なこのアーケード空間も、やはりとても良い。《ガララテーゼ》にいったひとの写真は大体この部分を撮ったものばかりで、どれもこれも同じような写真だからぼくはあまり撮らないようにしていたのだけど、やはり撮ってしまった。既存の都市の、ものすごくありきたりな建築様式である「ロッジア」の超拡大解釈。今回は昼だったけど、夕暮れにも来てみたいなと思う。できれば一日滞在してみたいくらいだ。今回はフィルム切れでアイモニーノ棟を全然撮影できなかったし、次回がいつになるかはわからないけれど、今から再訪を楽しみにしておこうと思う。

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壁柱の厚みは250mmくらいだったか(メジャーを忘れてしまったから定かではないのだけど、もう少し薄かったかもしれない)、この寸法がやっぱり決定的だ。移動するたびに感じる気持ちのいいテンポが、200m近く連続する。この廊で最も素晴らしいのは下の一枚目の写真から二枚目の場面に移る部分で、身体がふっと解放されるような、これまでに感じたことのないような感覚があった。天井高の低い廊を歩いているときには、この250mmという厚みは割合しっかりとした物質感をもっているのだけど、天井高が倍くらいに引き伸ばされる2つ下の写真の部分にいくと、この250mmは急激に物質感を失い、空間は光で満たされ、身体は行き場を失う。しかし、奥の巨大な円柱がその不安定な状態にある身体を受け止め、大階段へ、そしてその先のアイモニーノ棟へと身体を誘う。 前々回のブログで書いた《セグラーテの噴水》と同じような身体のミニチュア化の動きを、この部分でもはっきりと感じた。

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ちなみに天高は感覚的には、低い方が4000mm弱くらい、高い方が8000mmくらいの感じだったのだけど、定かではない(計測器持っていけばよかった)。あとでちゃんと調べておこう、、。天高が広がるこの部分に関しては、構造的に壁柱はあんまり効いてないんじゃないの?ってかんじで、ほとんどこの円柱だけで支えているような感じがした。だからこそ250mmという厚みがより一層概念的なものになる。

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対するアイモニーノ棟は、外装材の茶色(砂利を吹き付けたような素材)に加え、赤や黄色、青色といった原色がふんだんに用いられている。特定の時代を感じさせないようなロッシ棟の空間とは対照的に、アイモニーノ棟はローマの古代遺跡を思わせるような雰囲気があって、同時にその構成はかなり複雑だ。だけどいわゆる「嫌な感じ」はなくって、のびのびした規模と色彩の慎重な配置によって、むしろすごくおおらかな空間を作っている。住人も自由にカスタマイズしながら、わりと適当にこの建築を使っていることがわかる。迷路的かつ遊戯的で、おおらかで適当な感じ。ロッシ棟とは良い意味で対照的だが断絶しているというわけではなく、たとえば壁柱というモチーフが同じだったりするので、経験としてはなめらかにつながる。

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△占有部の外部空間は自由にカスタマイズされている。アメリカ国旗が飾ってあって笑ってしまった。

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巨大な円柱状のボリュームにスラブがズレながら絡んでいく造形は、丹下の《山梨文化会館》や磯崎の《孵化過程》を想起させる感じ。考えすぎかしら。

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△左: 丹下健三《山梨文化会館》(1966) / 右: 磯崎新《孵化過程》(1962)

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△これを撮ったあとフィルムが切れてしまったので、アイモニーノ棟はあまり撮れていない。無念。次回リベンジしよう。

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《ガララテーゼ》をみて、共同すること、その意味について、ぼくは考えさせられた。異なるものが共に在ること。その複数性。

戦後に建てられた集合住宅のほとんどは、コルビュジエの「ユニテ・ダビタシオン」をはじめとした、いわゆる1950年代の「チームX」のフォーマットを下敷きにしているといっていい。《ガララテーゼ》も例外ではなく、ピロティやボリュームのブリッジによる相互接続など、その言語の多くを引き継いでいる。ところがこの建築が独特なのは、アイモニーノとロッシというふたりの建築家の共同の仕方にある、とぼくは思った。上記のロッシ棟とアイモニーノ棟の写真をみてもらえればわかると思うのだけど、両者は色彩の強烈な対比性にもかかわらず、壁柱や素材の使い方など、意外にも共通している部分が多い。言語の共通性が、むしろ両者の差異をより引き立てている感じ。

ロッシとアイモニーノは互いに互いを参照するような仕方で仕事をしている。ひとつの敷地にふたりの建築家によるキャラの異なる建築物が並列しているのだけど、両者のあいだにはいわば「関数的対応」があって、これこそが《ガララテーゼ》全体に澄み渡るひとつのムードをかたちづくっている。ロッシ棟だけが単体であっても、あるいはアイモニーノ棟だけが単体であっても、どちらにせよこの建築は名作にはなっていなかったであろう。まったく性格の異なったボリュームが共通の言語をもちつつうまく接続されることで、ひとりの建築家が場をつくるときにありがちな「閉塞感」が完全に打開されている。この共同の仕方こそぼくらは学ばなければいけないのだけど、それを理解するためには、ロッシとアイモニーノが共有していた政治的・都市的なイデオロギーを理解することが必須だ。それについては次回、アウレーリの『プロジェクト・アウトノミア』を参照しながら、今回の記事の補講としてまとめることとする。

ここでは最後に、この共同設計の効果について具体的にみていくこととしよう。白いロッシ棟が、カラフルなアイモニーノ棟を反射した光を受け止めているこの部分が、写真ではわかりやすい。上で書いた、身体感覚がふっと解放されるような部分からさらに進んでいくと、天井がピンク色に染められた部分に出会う。

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これがほんと、とっても美しいのだ。

複雑化する都市における地理的な特異点として、誰のものでもないような場をロッシはつくった。なんの機能もないようで、同時にどんな機能も充填できるような場。都市の疎外から逃れるための、一種の精神的なシェルターだとぼくは思った。交換価値に代替不可能な「この性」をもった空間、とでも言えるだろうか。しかし、この空間が住人のための一種の自治空間として、すなわち自律的な場として企図されたものだとしても、それはけっして閉じることはなく、そこには外部への“糸”みたいなものがたしかに伸びている。

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この空虚な空間は、隣り合う建物を反射した色彩で満たされる。似ているようで似ていない、圧倒的な他者であるアイモニーノ棟を反射した赤い光。ロッシが目指したアウトノミア=自律性は決して閉鎖的なものではなく、それはあくまで仮設的な自律の場を建築の側が住民に用意しうるかどうか、という議論だったのだとぼくは考えているのだけど、このときポイントになるのがこの“糸”=他者の光、だ。

資本主義的なシステムと関係しながらも、そこからいっとき自律する場を仮構すること。外部と接続しながらも閉じ、あるいは閉じながらも接続し、そこに、外部とは別の流れ方をもった時間の形式を実装すること。

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Carlo Aymonino & Aldo Rossi: Gallaratese Quarter, 1969-73, Milan, Italy
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 160)