OCT.17, 2018_プラダ財団

イタリアで撮った写真⑦ 

 

ようやくやっかいなロッシ編がおわった。次に見たのは、学会発表のあいまに見にいったOMA設計の《プラダ財団美術館》(2015 / 2018)。前々からすごく行きたかった美術館なのでとても嬉しかった。OMAを主宰するレム・コールハースは前回の記事でも何度か登場している(OCT.14,2018_補講:プロジェクト・アウトノミア - 声にだして読みたくなるブログ)。彼は現在世界で最も影響力があるといってもいい建築家で(建築畑の人には今更だが)、ぼく自身も多分に影響をうけているが、OMAの建築を実際に生で見るのは今回がはじめてだった。コールハースはもともと執筆から活動をはじめた人で、1970年代には『錯乱のニューヨーク』Delirious New York: A Retroactive Manifesto of Manhattanの出版や、前回も取り上げたウンガースとの共同プロジェクト*1をおこなっていた。彼が設計に取り組み始めるのは80年代に入ってからだが、90年以降、現代建築を決定的に方向づける重要な仕事を立て続けに残している。

 

プラダ財団はミラノ中心部から南東方向へ3kmくらい離れたところにあって、ミラノ工科大からバスで30分ほどのところにある。バス停からも結構歩いたので、体感的にはけっこう遠い。

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近づくとまず、この白い巨大なオブジェクトが見えてくる。これは「タワー」と呼ばれる棟で、今年竣工したできたての棟(タワー以外は2015年に竣工)。さらに近づくと、今度はなんてことない古い建物群の向こう側に、金ピカのボリュームがみえる。

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エントランスのそっけなさが良い。

この敷地は1910年に開業したかつてのジン蒸留工場の跡地を引き継いだもの。倉庫、研究所、醸造所など計7棟の既存建築を残し、それらを改修すると同時に3棟の新築棟を慎重に加えることでかつての産業遺構を美術館にコンバージョンしたプロジェクトだ。計10棟のボリュームには各々にキャラクターがあって(各々に「Torre」や「Cisterna」など固有名がつけられている)、それぞれ常設展示の棟とか、企画展をやる棟とか、映画を上映する棟とかになっていて、チケットを購入したらあとは自由に敷地を歩き回って好きなように観賞していく感じ。工場というもともとの機能が非常にうまくプログラムに生かされているなと思った。

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敷地はかなりゆったりしていて、休憩スペースなんかもたくさんある。ぼくが行った日はめちゃくちゃ空いてて(猛暑だったということもあり)、ほぼ貸し切りなんじゃないかというくらいだった。展示空間である各々の棟は極端に類型的な性格を持っていて、ともすれば非常に操作的になってしまうところなのだけど、設計者の意図を押し付けらるような嫌な感じは全然ない。非常に精密に設計がなされているが、あくまで質感はラフというこの感じは、まさにぼくがレムの建築を紙面で読みながら想像していたことだったから、実際に体験することができて感無量だった。しかし精度が高い。

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まずはチケットセンターでチケットを買ってからクロークへ。既存躯体への介入の仕方が大胆だがいやらしくなく、とても自然に感じられる。このバランスが難しいんだよなあ。

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はじめに訪れたのが「ホーンテッド・ハウス(幽霊の家)」と呼ばれている、敷地の外側からも見えた金ピカの建物。 既存建築の外壁を金箔で覆っているのだけど、これが実際に見ると周辺と謎の馴染み方をしていて驚く。内部は住宅スケールで分節されていて、フットプリントも小さい。常設のRobert Goberの作品がとてもよかった。

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次に見たのは「幽霊の家」に隣接している「ポディウム」と呼ばれる新築の企画展示棟だ。 一辺34メートルの正方形平面で、ミース的な無柱のワンルーム(加えて《カサ・デル・ファッショ》は一辺33.2メートルなので、規模的にはかなり近い)。ぼくがいったときはJohn Bockの展示をやっていた。彼の作品はたしか現美で監視のバイトをしていたときに見たことがって、少し懐かしかった(作品はグロテスクだったけれど)。

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できるだけ体験を記録しようと思って押していたこともあり、写真の枚数が多い&断片的。この建物の空間的な性格でもあると思うのだけど、全体を説明するような写真が一枚もなく、ちと後悔している。ちなみに下の写真に写っている棟には入れなかった。改修中なのか、展示の入れ替え中なのか、入れないゾーンはちょくちょくあったけれど、構成的には全然問題ない。

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どんどんいきます。

「タワー」棟はできたてほやほやの建物で、プラダ財団のコレクションを展示する9階建ての常設展示空間となっている。同じ常設棟かつタワー状のパビリオンだが「幽霊の家」とは規模がぜんぜん違う。こちらは展示空間も作品も大きいのだけど、基本的に平面はワンルームで非常にシンプルだった。作品数も少なく、ダイナミックに大きな空間を使った作品が多かったと思う。集中力を切らすことなく敷地全体を回れるようにうまく展示作品の密度がコントロールされているなと思った。つかれたらベンチに座って休めばいいし、、。

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次は「タンク」と呼ばれる既存の改修棟(もともと貯水棟か醸造所だった建物かな)。一辺13メートルの正方形が縦に3室連結する平面構成で、東面には屋外バルコニーが付加される。地下にも展示室があった。

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「シネマ」棟。これは驚くことに新築で、ぼくは現地で見たときは完全にリノベだと思っていた。だまされた。両サイドの鏡面部分は巨大な折れ戸で、中庭に向かって開閉可能。劇場としておもしろいコンセプトで設計されたこのパビリオンが、敷地中央に孤立して存在しているのが計画全体のなかでとても効いている。

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幾何学的でロシア構成主義を感じさせる高層ビル(「タワー」)、開閉可能な劇場、形骸化した貴族の屋敷、ミース的なパビリオンなど、建築のタイプが意図的にコレクション的に選択され、それらが敷地に並列していてとてもおもしろかった。広大な敷地には各パビリオンがしっかりと外部空間をはさみながらおおらかに建っていて、同時に内部空間の分節がかなり少なくされている。各棟がもっている情報量は極端に制約されていて、各棟をこれだけ個性的につくっておいていやらしくないのは、つまるところこの「情報量の減算」がうまいからだ。建物がもっている情報量をコントロールし、その解像度を一定に保つこと。既存との折り合いの付け方にも同様のことが言えて、たとえば既存に金箔塗装をした「幽霊の家」と、既存を模倣した新築の「シネマ」は建物のキャラクターとしては全然異なっているのだけど、その解像度は通底している。ただの新築でも保存修復でもなく、その両方を同時におこない、葛藤のなかで併置・併存させること。これほど、前回の記事で触れたアウレーリの「群島」という定義が当てはまるプロジェクトはないんじゃないかと思った

「非常に精密に正確にラフなものをつくる」という態度はディテールのレベルでもいえて、むしろ実際に歩き回る鑑賞者の経験を支配するのは断片的な部位がもたらす感触なのだけど、こちらも経験としてはとても透明。

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△ウエス・アンダーソンデザインのレストラン。内部についてはノーコメントだが、この水平材が食事をしている人の目線にピッタリあっていて、非常に上手だなと思った。

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素材の扱いは非常にラフなんだけど、その「ラフさ」は非常に高いレベルで一定の質にコントロールされているので、移動時に嫌なノイズがない。このノイズのなさが美術作品をみるときのストレスのなさにも直結している。ものすごく高度な設計。個人的には、とりわけ現代美術の展示に関しては、ホワイトキューブなんかよりよっぽど向いている空間だなと思った。

断片をどう扱い、そのアンサンブルをいかに設計の主題にするかという点でこれほど勉強になる建物もないだろう。選択されている素材は基本的にものすごく機能的に選択されており(徹底的にドライに機能を追求した結果の「以外なチョイス」という感じ)、同時に身体によりそった丁寧なスケールなので、即物的である一方でそこに違和感を感じることはない。このとき経験するのは、使用されている素材の「たんなるそれ」性であり、そこに善悪や美醜の判断が差し込まれることはない。「それはそれである」という一種の思考停止に陥らせるような設計の精度の高さ。種々雑多なマテリアルたちが、(少々図々しくも)自分たちのいるべきところにいて、「おれたちはおれたちだ」と主張しているような気がして、確かにそうだよなと、不思議な納得感をもちつつ帰路についた。

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OMA: Fondazione Prada 2015 / 2018, Milan, Italy
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, 記録用フィルム100)

*1:Oswald Mathias Ungers and Rem Koolhaas et al.: The City in the City Berlin: A Green Archipelago, Florian Hertweck and Sébastien Marotv, 1977