OCT.19, 2018_ノヴォコムン集合住宅

イタリアで撮った写真⑧

 

この日はミラノ北部のコモを訪れた。帰りの飛行機に乗る2日前、8月7日だったかな。コモは例えるならば箱根のような地方都市で、スイスとイタリアの国境に位置するコモ湖の湖畔にある比較的小さな街だ。建築関係者にとっては、ジュゼッペ・テラーニ(1904-43)が生まれ、彼がその短い生涯のなかで多くの革新的な建築作品を残した場所として知られていると思う。

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実際、駅を降り立ったときの気温があまりにもミラノと違って涼しかったのて驚いた。風が気持ちよく吹いていて、たしかにこれは別荘地になるわなーと思った。着いたのは10時くらいだったから、時間帯もあったのだろうけど。町並みも落ち着いた感じで、人もそんなに多くなく、ここなら住めるなと思った。


まずはじめに向かったのは、テラーニの最初の本格的な建築作品である《ノヴォコムン集合住宅》(1927-29)。駅から歩いて15分くらいだったかな*1。100年近く経っているとはとても思えない集合住宅だ。角の造形が特徴的で、1、2階はアールによる処理、3、4階はヴォイドとしててガラスのシリンダーを露出させる造形、5階はエッジの効いた矩形となっている。

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実は、テラーニがコモ市の建築審査員会の提出した図面は、実施案とは大きく異なる古典的な様式との折衷的なものであった。当時25歳の若き俊英は、市にはとりあえず古典的な装飾を付加した案を提出しておいて、現場ではそれらを一切合切削ぎ落として、この前衛的な近代建築を立ち上げたわけだ。当然、審査委員会とは熾烈なバトルがおこることになる。彼がどういう仕方でこの審査を乗り切ったのかはわからないけれど、すくなくとも《ノヴォコムン》は、完全に周辺環境から切り離された建築ではないということはわかる。下で比較しているのはこの建築の隣に立っている建物なのだけど、《ノヴォコムン》の角の扱いは「この建物を踏襲してますよ」感が一応あるのだとわかる。

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5階のキャンチはけっこうな距離飛ばされているし、シリンダー状のガラスのボリュームなんかは当時の人からすれば宇宙人的な造形のように見えたことだろう。処女作に近い仕事で、市とバトルしながら現場での設計変更を続け、加えて当時のイタリアでは最新の技術であったはずの鉄筋コンクリートを用いながら、このチャレンジングな形態を立ち上げたということは驚愕に値する。当時20代前半、、若い、、あせる、、。

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△設えの処理も難しいはずだけど、全然ガタついておらず現役。サッシュの色もいいし、周辺の風景が湾曲して映るのも良い。

遠くから見てる文にはわからないのだけど、外壁は白い大理石による仕上げ。ここまでやるか?というくらいのところまで大理石で仕上げられていて、とてもかっこよかった。同時期のグロピウスなんかは漆喰でつるっと仕上げているわけだけど、同じ白でも漆喰と大理石では感覚が全然違う。やっぱり大理石は光を若干透過する感じがある。重いけど軽く、古いけど新しい。そして見る距離によって表面の質感は変化する。

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△近づくと大理石の質感が見えてくる。決めの細かい肌触りで、石特有の重さはまったくない。

 

建物の管理をしている女性に話しかけたところ、こころよく中庭を見学させいただくことができた。感謝。

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△《カサ・デル・ファッショ》もそうだけど、テラーニは黒くて少し光沢のあるペイヴメントを効果的に使う。

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△やはり石の扱いがうまい、、。手すりもグッド。

 

ロの字側に建物を配置していて、街区の内側の中庭と正面の両面にバルコニーが備えられている。中庭側のバルコニーは洗濯物が干されていたりと、静けさのなかで生きられた雰囲気がにじみ出ている。

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手すりのディテール、色の使い方、寸法の取り合わせ、隅の処理等々、大変勉強になった。古典的な建築言語で組み立てられた周辺の建物と折り合いをつけなければならないという厳しい与条件が、この建築をよりよくしていると思った。おそらくテラーニは、白紙から何かを生み出すというよりは、与条件を提案の足場として、葛藤のなかで試行錯誤するほうが向いているタイプの建築家なのではないかと思った。ぼくはテラーニの《ダンテウム》にあまり惹かれないし、実際に《カサ・デル・ファッショ》よりも《サンテリア幼稚園》のほうが断然よかった、ということもあって。

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《ノヴェコムン》も、厳しい与条件を決して全て否定するのではなく、きわめて日常的なスケールのなかで自分が何かできる部分を見つけている感じ。そこに投入されているアイデアの数々が今見ても大変にフレッシュで、すごく感銘を受けた。ガラスのシリンダーという言語がロシア構成主義のパクリじゃないかと当時糾弾されたみたいなのだけど、注目すべきはそこじゃなく彼の予条件との折り合いの付け方であり、細部への配慮だろう。テラーニといえば厳格な幾何学でトンがった建築をつくながらファシズムとともに駆けぬけた人というイメージがあったけれど、実は折衷的で地味な建築でのほうが本領を発揮する人だったのかもしれない。彼が戦後も生きて活動を継続していたら、そういった建築作っていたのかもな、と妄想していた。

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● おまけ

お分かりいただけるだろうか。

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こちらを見ている。

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落ちないでね、、。

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Giuseppe Terragni: Edificio ad appartamenti Novocomun a Como, 1927-29, Como, Italy
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 160)

*1:以下のリンクのマイマップが非常に参考になったので、コモでテラーニ建築巡りをしようと思っている方は見てみるといいと思う。
https://www.google.com/maps/d/embed?mid=18ykv7lRGQBj4IrNMmYZT6OSJXhw&msa=0&ie=UTF8&t=h&vpsrc=0&ll=45.817790076343506%2C9.075431031455082&spn=0.017951%2C0.025749&z=14&output=embed