MAY.7,2021_ホワイトハウスの庭

 信じられないくらいばたばたしていて、しばらく更新できなかったのだけど、今日は久々に近況報告的なやつを(ブログの更新が止まると友人が心配して連絡をくれるのですが、ぼくは元気です。ありがとう…)

 小さな木造の住宅の外構を改修するプロジェクトがあり、4月の頭に無事竣工した。既存の建物は磯崎新の最初期の仕事で(「新宿ホワイトハウス」という名称でよく知られている)、大小の立方体ボリュームを組み合わせた構成が特徴的な1957年竣工の住居。かつてネオダダの拠点だったこの場所は、この4月からChim↑Pomの卯城竜太さん、美術家・音楽家の涌井智仁さん、ギャラリー「ナオ ナカムラ」の中村奈央さんが運営の主体となって、エッジの効いた各分野の若手が集まるスペース「WHITEHOUSE」として生まれ変わった。

 建物の2階は卯城さんが住居として使いつつ、一階は会員限定の展示空間に。つまり、あえて「オープンにしない」場所にしている。その代わりに、キッチンの窓からコーヒーやお酒を提供できるようにして、庭を誰でも立ち寄れるカフェ・バーとして活用するということで、その部分の改修をぼくらがおこなった。プライベートな住居・半分クローズドな展示室・オープンなカフェ・バーが小さな建物で複合するというのは、ほとんど前例がないんじゃないかと思う。磯崎が図面を引き、吉村益信が自力建設したこの建物は、すぐに若い前衛芸術家のたまり場になり、ネオダダの事実上の解散以後は画家の宮田晨哉の住居となり、2013年からの6年間は「カフェアリエ」というすごく素敵な喫茶店として運営されてきた歴史がある。現状の過激な複合状態はこの建物の歴史をすべて引き受けているようにも思える。建物や土地が引き受けてきた経験や記憶の蓄積が、呪いのようなものとして残存している。そんな気もする。今回はアーティストの皆さんの力をお借りながら、材料の調達から施工まで、セルフビルドでなんとかつくった。写真は高野ユリカさんに撮っていただいた。うれしい。

f:id:o_tkhr:20210503145841j:plain

f:id:o_tkhr:20210507162256j:image

f:id:o_tkhr:20210508014318j:image

f:id:o_tkhr:20210507162259j:image

 設計に関して少し。今回の改修では立方体の不合理さを痛感した。新宿ホワイトハウスは三間(約5450mm)の立方体をむりやり木造で(かつセルフビルドで)つくっているから、構造的にすごく不安定で、そうとう慎重にやらないと足すのも引くのも危なくてできないという状況だったから。でもそこがおもしろかった。

 まず、立方体は人工物の極地みたいなもので、自然界にほとんど存在しない(食塩=塩化ナトリウムの結晶構造くらい?)不安定な形態だ。でも、この不安定さこそが重要ともいえる。建築における「歴史」なるものは、基本的には架構に蓄積される(と思っている)。トライアンドエラーの積み重ねの結果として受け継がれてきた構造体のプロポーションや部材同士のジョイントの技術は建物の「安定性」を約束し、建設の祝祭性や人々の願いは構造体を彫り込む装飾として物質化する。で、そういう慣習をぶっ壊そうとしている人間にとっては、立方体という不安定な人工物は都合がいいのだ。18世紀の革命期に活躍したルドゥーやブレーの例を出すまでもなく、純粋幾何を夢見る建築家は多かった。立方体をはじめとした純粋幾何は、歴史を白紙に戻そうとする近代的な精神を象徴していた。

 それを踏まえた上で、磯崎は一周まわった視点から立方体を採用する。磯崎にとって立方体とは、建築の設計における「仮想敵」として、事後的に壊されるべき仮止めの秩序として、あらかじめ設計プロセスのなかに組み込まれたものだった。それは、設計プロセスのなかで「近代の破壊」を(いわば演劇的に)行うための素材として組み込まれる。様式の創立と破壊の往還という歴史的なプロセスを、(竣工後に時間に比べれば)ごく短期間の設計過程と建築家という個人の身体に凝縮して詰め込んでしまう、と、おそらくそういう目論見で(群馬県立近代美術館はまさにそういう仕方で立方体が採用された代表的な例だ)

 ただし、今回気づいたのは、デビュー作である新宿ホワイトハウスでは割と忠実に立方体をつくって終わっているということだった(この建物を作った際の気づきがその後の磯崎さんの理論形成に影響を及ぼした可能性はあるけど、正確には本人にお聞きしないとわからない)。近代は、解体されぬまま残存している。

 近代がいかに歴史を否定しても、地上に残り続ける以上、建物は歴史を引き受けてしまう(50年も経てば「伝説」だ)。新宿ホワイトハウスは、歴史や土地の文脈を否定した近代が再び歴史化していくプロセスを体現している、といえなくもない。つまり、磯崎が設計プロセスのなかに凝縮しようとした近代の解体のプロセスが、新宿ホワイトハウスの場合は、50年という時間の経過のなかで、建物に関係する非-人間も含めた様々な主体によって少しずつ行われてきた、と(実際この建物の壁の内側には蔦の根が侵食してきているし、雨樋には腐葉土化したかつての植物の残骸がギュウギュウに詰まっている)。僕は新宿ホワイトハウスを伝説化するつもりも神聖化するつもりもぜんぜんないのだけれど(もちろんリスペクトはあるが)、こうした状況は実に興味深いと思う。無茶な仕方で構築された立方体は、つまるところ「解体されずに残っちゃった近代性」であり、それはポストモダンという方法(設計プロセスへの歴史の圧縮)を確立する前段階の磯崎の、いわば「理論の不備」からもたらされた。でも、だからこそ、可能性がある。

 既存躯体の内側の仕上げをはがしてみると、柱は一間半のスパンで入っていて、梁(といっても梁せいがあるわけではなくて、柱と同じ3寸5分の角材)も同じく一間半のスパンで入っていた。つまり、田の字形のフレーム面が、パネル工法のような感じでパタパタと組み合わさって立方体ができているという寸法(斜材はとうぜん入っていない)。下手に部分的に補強をして現状のバランスが崩れるのはまずいし、かといって建物を全面的に構造補強するのはあまりに大掛かりだ。架構が立方体という対称性の強い形態だからこそ、改修がとにかく難しく、壊して新築するか、全面的に補強するか、という0か1かの選択肢しか残されていない。でも今回はそのどちらでもない仕方で、建物のあり方を変えたいと思った。外構の作り方によって、立方体という虚構のあり方を──それ自体を直接的に解体も付加もせず──編集し、更新すること。

 室内が展示室になる関係で、ほぼ機能してなかった前面の空地を人が滞在・活動できる場所にする、というのが改修の目標だったのだけど、何か外構に付加するにしても、既存躯体を頼れない。しかも前面の空地は幅がないから、郵便ポストや室外機の位置を勘定すると、部材は不規則にしか配置できない。立方体の外部、つまり庭では、要素同士がよりかかりながらバランスしつつ、すでにそこにあったものとどうにか関係するような仕方でしか、床も屋根もテーブルも作れない。たとえば今回作った、建物から15cmくらい離れたところで宙に浮いている床(「空中床」と呼んでいる)はなかなか複雑な仕方で成立している。まず、ハシゴを単なる移動の道具にするのではなく、階段状の基礎とともに、構造的に効かせている(ハシゴはいわば鉛直方向に延びたフィーレンディールトラスで、長手方向に踏ん張ってくれる階段状の基礎とともに、構造の主軸になっている)。次に掃除と穴掘りによって発見した、敷地端部の樹木の根が伸びていない僅かなスペースに、ピン柱(垂直力のみを負担)の小さな基礎を設置し、その代わりとして、水平力のみを樹木に負担してもらっている(樹木には一点のみで接するよう調整)。最後に、全体のバランスの傾きを調整するため、端部におもり(現場にあったコンクリートブロック)を吊り下げている。既存の建物にくっつけることができればこんなに複雑な仕組みにはなっていないのだけど、こうなってしまった。

 半円の屋根は極力軽量化して、内側から既存架構のあいだに新たに差し込んだ梁と柱にジョイントしている(真鍮の扉も同様)。かたちと寸法は既存の諸要素の位置から決まっていて、屋根のフレームは室外機と、柱は郵便ポストとピタッとくっついている。この屋根は住居の物干し竿を兼ねていて、洗濯物がかけられたり、園芸ポッドが置かれたりして、2階の住居スペースの生活を受け止める(「物干し屋根」と呼んでいる)

 立方体という純粋幾何の(概念的ではなく、フィジカルな)完結性は、もともと自身に内在していた不合理さを外部へと送り出す。それをまともに引き受けると、外部はどんどんアンバランスで、純粋じゃない世界になっていく。メインエントランスの上吊り扉は真鍮で仕上げているから、今はピカピカだけど、徐々に経年変化していくと思う。耐候性が強い一方でノイズが少しずつ付着していくこの素材は、抽象的な世界と具体的な世界の橋渡しとして適任だと考えた。

 純粋幾何学はノイズを排除する(ミシェル・セールは『幾何学の起源』で延々このことについて書いている)。でも排除されたノイズの行き先はコントロールできる。モダニズム建築はこのノイズの徹底的な隠蔽手法こそを洗練させてきた、といえるかもしれない。でも、はじき出されたノイズを、思いっきり見えるように、都市に接続するように、全面化することもできる。というのが、今回感じた純粋幾何の新しい用法のようなものだった。設計のあいだは磯崎さんを意識することはできるだけ避け、即物的に既存の状況に対応しようと努めたけれど、立方体には終始振り回された。結果として、抽象的な立方体(内部)と具体の布置(庭)が背中合わせになるような状況が生まれたのかなと、今振り返るとそう思う。

f:id:o_tkhr:20210507162303j:image

f:id:o_tkhr:20210507162334j:image

f:id:o_tkhr:20210507162337j:image

f:id:o_tkhr:20210507162340j:image

f:id:o_tkhr:20210507233248j:plain

©yurika kono

-

 2月半ばくらいに依頼がきて4月頭の竣工だったので、超特急だった。基本設計1週間、実施設計2週間(+施工しつつ)、施工2週間という感じだと思う。2、3月はこのプロジェクトの設計と施工でつきっきりだったので、論文のほうはてんで進められなかったのだけど、4月に入ってようやく本腰を入れて書きはじめ、今年度の前期に審査をはじめることになった。これがもうひとつの近況報告。予備審査が2回あって、本審査の公聴会が7月の終わりくらいにあるのかな(順調にいけばですが…)。ぼくの研究は「現代建築の平面形状における幾何学性と尺度に関する研究」というタイトルなので、今回のホワイトハウスのプロジェクトとは実は関係が深かったりして、不思議な縁を観じながら設計と研究に取り組んでいた。昨日は久しぶりに運河(という駅があるんですよ)にいって、博論の書類一式を事務課に提出してきた。運河は時間がゆっくりと流れている感じで、とても気持ちいい場所だなとあらためて感じた。