NOV.20,2023

子は絵本にはそれほど執着しないのだが、なぜか最近、井筒俊彦の『イスラーム哲学の原像』をよく手にとり、読んでいるようなそぶりを見せる。井筒はやばいぞ井筒は、とツッコミながら見ている。そういえば晩年の磯崎さんも井筒をかなり読み込んでいたらしい、ということを、絶筆となった連載をまとめた遺作『デミウルゴス 途上の建築』か2019年の『瓦礫の未来』かどちらかで読んだような気がする。僕はあまり深くタッチできていないけどかなり興味はあるので、来年集中して読んでみようと密かに思っている。

私たちは、桂もパルテノンも、カンピドリオもファテプール・シクリも、いずれも等距離にみえる時代と場所を生きている、ということだ。そこでは全建築史、いや全地球史さえ引用の対象たり得るのだが、問題は、あくまで引用されることによって本来の意味は失われ、新たなに投げこまれた文脈のなかに、それが波紋のように別種の意味を発生させる、その作用こそが注目されているのであって、引用は本来的に恣意的なのである。

磯崎新『散種されたモダニズム』(岩波書店)、243頁、2023年。

磯崎さんが明確に「引用」について意識し始めたころの、宮川淳との共鳴について気になっている。引用論が重要というわけではなく、むしろ引用論だけで磯崎・宮川の関係を理解してしまうと片手落ちという認識。磯崎さんにとって引用はあくまで手法(マニエラ)の延長にあり、立方体→手法→引用→テンタティブ・フォームという展開は「デミウルゴス」(デミウルゴモルフィスム)へと結実する一貫したものだと僕は考えている。要するにこれらは、それ自体に根拠のない形態あるいは形式を選択し、物質的組成をそれに従属させること、だ。なぜそんなことを磯崎さんは思考し、実行せざるをえなかったのか? ということが最大の問題。デミウルゴス論は引用云々よりも、むしろ初期の宮川が展開していた主体性に関する議論と極めて高い親和性があると思う。そのあたりを整理するためにも、磯崎・宮川が引用をどう捉えていたのかをあらためてキチンと整理したい。というのも、宮川の引用に関する文章はまだまともに呼んだことなくって。これに関してはいずれどこかで。