NOV.13,2023

すごく寒くなる予感を感じたのでホットカーペットの購入を決めた。買いものは割合悩むタイプの家族なのだが、寒さ対策グッズに関しては迷わない。妻が率先して動く(寒いの苦手)。アイリスオーヤマで買ったホットカーペットは注文したこの日に届き、物流網の過剰性におののく。これがフルフィルメント。いそぎ、この上に引くカーペットも必要だということで、しまむらに向かった。実はしまむらのカーペットはお得で、格段に安く、なおかつ格段にあったかい。いうまでもなく子育てをしていると床に大量の食品が散布される。ゆえにカーペットなど消耗品という意識があるので、しまむらで即決する。無事暖かい床を手に入れた。

あたたかくなった床の上で、妻子が寝た後、少しだけ起きて資料をあさる。磯崎さんのテキストを改めて読み直しているところ。

それぞれの近代において、建築が産業のレベルにおいてねらった技術的な解法は当然のことながら、違っていた。ヨーロッパでは、石造、煉瓦造それに鋳鉄造で軀体をつくるのが一般的だったときに、 造園用の植木鉢をつくるアイデアとして、鉄筋コンクリートが発明された。オーギュスト・ペレがそれを、建築的なデザインと工法に応用した。それを学んだル・コルビュジエが、水平スラブと支持柱だけの簡略化工法に整理して、新案特許とした(「ドミノ・システム」一九一四年)。いっぽう、シカゴ大火の後に、都市内の土地利用効率を高め、合理的なオフィスビルの型の基本形として、鋼鉄のフレ ーム構造の接合ジョイントが開発された。 鉄骨造のフレーム工法である。ヨーロッパのコンクリート工法、USAの鉄骨フレーム造、この地域的特性はその後一世紀にわたる近代建築の展開のなかでも保持されてきた。超高層建築が建てられるようになってからも、それぞれが百年前に開発採用した基本的な工法の違いはそのままである。デザインは恣意的にどんな風にもやれるとみえるが、建築的工法は、その社会の生産形態、さらには都市的な形式を規定する法と結びついて、はじめて社会化され一般化される。つまり、 その技法的なシステムが法制化されたときに、はじめてその社会がうみだす都市的建築の基本構造となり、広義の「制度」となる。

磯崎新「堀口捨巳の「非都市的なるもの」」『散種されたモダニズム』(岩波書店)、124〜125頁、2023年。

このあたりの記述、非常に重要な歴史認識が圧縮されている気がする。技術革新(生産体制の確立)と法整備が形式の制度化をもたらし、最終的に近代都市の生成へと結実する。このあたりを押さえておかないと、たとえば20世紀初頭の分離派建築会が、佐野利器、内田祥三、後藤清ら「構造派」の何に対抗しようとしていたのか、つかみ見損ねる。たとえば佐野は伝統的な木造建物で構成される日本の都市を改造するため、RCによる不燃性の耐震工法を開発し、簡略計算法を確立する。これは区画割などの伝統的な木造の構成システムを現存させたまま、新しい工法を適応する試みだったはず。後藤清は無限に横並びする水平フレームの計算法を生み出し、それを垂直に転換して日本初の超高層「霞が関ビル」(1968年)の構造設計を実現する。さらに内田は法制化を推進。要するに構造派はヨーロッパのコンクリート工法とアメリカの鉄骨フレーム造をひとつ技術体系として輸入し、それを地震国用に簡略化・量産化しつつ、さらにこれを都市の建設方策として法制度化したわけだ。分離派が抵抗していたのは、構造派の工学を偏重する態度というよりも、むしろこうした制度化の危険性だったのだと思う。