DEC.29,2023

夜、スイス在住の建築家・中本さんと銀座でご飯を食べつつ情報共有。中本さんから提案があった店が銀座のビル群のはざまにある三州屋という居酒屋・定食屋で、こんな場所があったのかと驚きつつ、穴子のフライなどを食べた。良心的な価格にもかかわらず大きくておいしい。銀座で定食を食べたかったら間違いなくここだなと心に決める。中本さんとはざっくばらんに色々話したが、とりわけ自分にとっては、脱炭素の文脈がヨーロッパ(とりわけスイス)でどのように需要・展開しているのかについて、リアルな状況を知ることができてとても有意義だった。たとえば2022年にパリのPavillon de l'Arsenalで開催された展覧会「Housing Footprint」では、かつて軽量化・工業化を試みたモダニズム建築などを対象に、部材ごとの生産・運搬・廃棄のプロセスを加味した炭素排出量を可視化するようなことが試みられている(これは新しい歴史の反省の仕方だなと思う)。

www.pavillon-arsenal.com

そもそも建物のCO2排出量を正確に把握しようとすれば、建物の生産プロセス全般(材料の調達・輸送・加工・流通・施工)に費やされるエネルギーを評価する必要がある。必然的に、建物をある部材の集合体とみなし、各々の部材のLCA(Life Cycle Assessment)や炭素集約度(carbon intensity)を評価する必要がでてくる、と(この評価の一般化はBIMの普及によって現実味を帯びてきている)。このとき見過ごしてはいけないのは、「部材の組み立て」すなわちテクトニックという問題が脱炭素という文脈で批判的意味を帯びてくるということだ。どのような作業員が、どのような労働形態で、どのような方法で、どのような協働性のなかで建設をおこなうのか? を、脱炭素の文脈と結びつけるという発想は僕にはなかったから、かなりハッとした。イトゥルベの「カーボン・フォーム」*1やティモシー・ミッチェルの「カーボン・デモクラシー」*2をはじめとした炭素をめぐる様々な政治経済的問題も当然ここに関係してくるだろう。2010年以降に(再)活性し現在は少し落ち着いたように見える建築のエレメントに関する注目も、脱炭素の文脈で改めて検討しうるだろう。つまるところ、あらゆる政治経済的な、あるいはエコロジカルな問題が、「部材の結合」という即物的な問題(結局のところ建築家にできるのはこれだけだ、ともいえる)へと接続しうる、と。

ともすれば、スイスで(とりわけヴァレリオ・オルジアティやカルーソの影響下のなかで)熟成されてきた建築におけるフォルマリズムに関する実験的な試みがこうした脱炭素の文脈と合流する可能性もあって、そうなれば新たな現代建築の枠組みの誕生すら期待できる。