3.JAN,2024

能登の大地震、津波の動向を追っていたらあっという間に新年明けてから三日が経ってしまった。富山の実家・親族は無事。できるだけ多くの命が助かることを祈りつつ、冷静に状況判断しようと努める。旧友たちは無事だろうか。

積雪地域特有の、ある程度勾配をとった屋根(4寸以上はあるだろう)に瓦屋根を乗せた(どうしても小屋組の重量が大きくなってしまう)屋根形状は、断続的に大きな揺れが群発する今回のような地震とあまりに相性が悪いのだろうと、珠洲市、輪島市などの建物の損壊の凄まじさから思う。躯体が「徐々に損傷していく」という、時系列のなかで変動する倒壊リスクをどう捉えるのか。そしてそのリスクを、限られた予算のなかでいかに設計にフィードバックしていくのか。こうした視点を支える理論はいまのところ見受けられないように思う。とくに、「ある一定のリスク」ではなく、「リスク自体が時間とともに変動する」ことに関しては、複雑さのレベルが従来の想定とはあまりにかけ離れている。が、今回の被害を受けると、今後は想定せざるをえないだろうと思う。

北陸の家屋は年代の古いものがかなり残っていて、その多くが在来ではなく伝統工法で、接合金物すら用いられていないものもあるだろう。僕の実家がまさにそんな感じで、築150年くらいの伝統工法の古民家なのだけれど、そんなのざらにあるのだ(幸いなことに、最近その家は空き家バンク経由で別の引き取り手がみつかったところで、両親は安全なマンションに引っ越していたので本当によかった)。今回のような地震を受けて、こうした危険度の高い家屋を補強するとしても、現実的に考えるならば、建物全体を改修することはほぼ不可能だろう。しかしたとえば、減築と補強を組み合わせて局所的に介入することはありうる。その方法を考えないといけないと思う。

同時に、道路の損壊についても大きな危惧を覚える。高低差がある地域などの、ライフラインが限られている住宅地に関しては、エネルギー・食料をある程度その区域内で生産しうる体制を確立しておくことが災害時のレジリエンスを確保する上でも重要なのだろうと思う(この意味で、災害対策は「反近代」のプロジェクトとなるだろう)。それにしても、液状化や地盤の隆起で損傷し交通不可能になってしまった路面の仮設的な修復方法に関しては、もっと一般化された方法があってもよいのではないかと思うのだが。

年末年始は、妻の実家で妻が子どもの頃に通っていた公園に行ったり、うまいうなぎ屋にいったり、家でだらだらしたりしてのんびり過ごしていたのだが、羽田空港の事故も含めた年始の災害の連続で状況が激変してしまった。そして明日茨城に戻るのだけど、僕は明日締め切りの原稿があるため、これからたぶん徹夜する。