JAN.14,2021_ふたつの構成主義

 「構成」という用語、建築分野に限らずかなり頻繁に使うと思うのだけど、一般名詞ほど各ジャンルで特別な意味を持っていたりして、使い方が難しい。建築においては、そもそもcompositionの訳なのかconstructionの訳なのかあいまいな部分もある(後者にはもちろん、具体的な建設という意味合いが含まれるわけだけど)

 建築分野で「構成」という言葉が用いられたのは、おそらくだけど、19世紀のアカデミック教育まで遡ることができると思われる。とくに、ジャン=ニコラ=ルイ・デュランとジュリアン・ガデはひとつの建築物がそれを構成する諸要素の集積であることを強調し、後続の建築家に多大な影響を及ぼしたと言われている。レイナー・バンハムによれば、ガデは「構造上の要素」と「機能的なまとまりをもった要素」(部屋やエントランス、階段等の既知の要素)を分別し、後者こそを「構成の要素」とした*1。これ、今の僕らからするとけっこう意外かもしれない。つまりこの時代、柱や壁といった架構を構成する要素は、あるモデュールをグリッド状に反復したシステムによって、あるいは当時教条的な正しさをもっていた正方形や円といった単純幾何学図形の分割パタンによって、設計者の判断の余地なくほぼ自動的に決定されてしまうものだった。構造計算が確立されておらず経験則に基づいているからこそ、架構形態はアンタッチャブルだった。設計者がアレコレ配置を検討するのは(つまり構成=コンポジションの対象とするのは)、むしろエントランスや階段や寝室の位置だった。ここでは、諸室の位置をどのように組み合わせればある特定の機能に準じた順序や隣接関係を作り出すことができるか、という一種の論理構造の検討が主題となった。

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△ J. N. L. Durand: Formule Gaphique Applicable aux Édifices Publics Voutés, Précis of the Lectures on Architecture, pl. 3

 他方、そうしたガデの理論に対してバンハムが「もうひとつの要素的構成の理論」*2と指摘するのは、テオ・ファン・ドゥースブルフが中心となって1920年代に展開した要素主義運動(Elementarisme)であり、ここではむしろ「構造上の要素」こそが検討対象とされる傾向をもっていた(実際、ドゥースブルフは「construction」という言葉のほうを用いる)。この時点で、ほんらいイチ設計者がアレンジすることなど言語道断であった架構の造形それ自体が、検討の主軸となる。この転換は大きい。

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△ Theo van Doesburg: Construction in Space-Time II, 1924

 いま「構成」という言葉を使う場合、構成主義のこのふたつの潮流?がミックスされていると思われる。機能的なまとまりをもった要素の位置関係の検討(建築計画的な論理構造の検討)という新古典主義的な構成主義は、部材そのものの位置関係・順序・結合処理の検討(部材の物的なふるまいの検討)という要素主義運動的な構成主義の考え方とほとんど一体化しつつ、引き継がれている。多くの建築家は、架構の構成と架構-外的な構成が矛盾なく統合された状態を目指している*3つまり、compositionとconstructionをできるだけ一致させようとする。そしておそらく、本来は一致し得ないこの両者を重ね合わせようと試みるさいに、「構成」という言葉が改めて用いられるのだと思われる。

 「構成」という言葉のもつ意味の曖昧さは、だから、少なくとも僕にとってはけっこう大切な曖昧さだ。そこには重要な矛盾、混同、無謀が含まれている。

 

*1:レイナー・バンハム: 第一機械時代の理論とデザイン, 石原達二 / 増成隆士訳, 鹿島出版会, pp.18-20, 1976

*2:Ibid., p.24

*3:建築家はたとえば、柱や壁の形状や配置によって動線や滞在の仕方がうまく機能しているというようなことを強調しがちだ。なぜ架構によって機能が統御される必要があるのか、という問題は、一度よく考えてみる必要がある。