DEC.25,2019_70年代の長谷川逸子

 クリスマスだか特に予定もないので大学の図書館でひたすら過去の新建築を見るなどして過ごしていた。博論をまとめる前に作品サンプルの取りこぼしがないか最終チェックをしようということで、あと25日で大学の図書館が年末年始休業に入っちゃうということで、そういうことをしていた。別にヤケになっていたわけではない。
 一週間近くかけて戦後から現在までの建築雑誌を一気に読むという作業は多分これまでに計5、6回はやっているけれど、そのたびごとに新しい発見があって楽しい。今日1956-2000年あたりの新建築をザーッてみてて感じたのは、1970代後半の長谷川逸子の住宅が圧倒的にキレてるってことだった。まじでキレッキレで、あきらかに他の建築家から突出している。というかここ半世紀でもかなり突出している。それくらいすごい。「焼津の住宅1」(1972)、「焼津の住宅2」(1977)、「柿生の住宅」(1977)あたりがとくにすごい。篠原一男ともまた何か違うし、坂本一成とも、伊東豊雄とも、白澤宏規とも違う。80年代に入ると急激に、なぜか途端に失われてしまう70年代の長谷川逸子の達成というのは、日本の建築史的を概観してもかなりの特異点なんじゃないかと思わせられた。ただ、言語化するのはかなり難しそうだけど。寸法と形式(架構)の、かなり微妙な関係性のなかにあるのかもしれない。

 

f:id:o_tkhr:20191229142407j:plain長谷川逸子: 焼津の住宅1, 静岡, 1972

f:id:o_tkhr:20191229142509j:plain長谷川逸子: 焼津の住宅2, 静岡, 1977

f:id:o_tkhr:20191229142550j:plain長谷川逸子: 柿生の住宅, 神奈川, 1977

 長谷川さんの架構の作り方、幾何学の設定の仕方は決して演繹的なものではない、と感じる。長谷川さんの線は、自分が設定したフレームを生活に投げかけるという類のものではなく(篠原さんとかはそういうところがあると思うのだけど)、ぼくには、現実のシステムに含まれるさまざま矛盾、複数のシステムの葛藤、諸力の絡み合いを均衡させるような仕方で引かれた線であるように見える。一見すると似たようなゲシュタルトとして見てしまう篠原さんと長谷川さんの建物の大きな違いがここだというのが、今のぼくの仮説。構造を事後的に与えてそこから新たなフォーメーションを炙り出していくような、ね。秩序を生成する補助線としての、力学的かつ政治的な技術としての架構=幾何学。個人的に今はそういう仕方で建物の設計をしていこうと思っているモードということもあって、今回の新建築ザーッ読み作業では70年代の長谷川さんの作品がとりわけ心に残ったのかもしれないと思う。