SEPT.13,2023

本日は校務(大学教員に課せられる地域貢献的な業務)で「児童生徒科学研究作品及び発明工夫作品」の審査員へ。ようするに、日立市内の小中学校の夏休みの自由研究のうち、優秀なものが集められ県大会に出す研究・発明をきめる、といった趣の審査だった。自分のなかではこの夏の重要イベントのひとつだったので、ワクワクしつつ向かった。

会場は日立市北部の中学校の体育館。当然冷房などないので、暑い。汗だくになりながら自由研究をじっくりと読む。小学校1〜4年生の担当だったのだけれど、力作が多く、優秀作品の選出に悩む。意外なことに、1年生、2年生の研究に力作が多く驚いた。たとえば、複数のカメラを用いて(手持ちのカメラと防犯用監視カメラ)アサガオの成長を執拗に追ったもの。カメラに介入する主観性の強度が写真によって異なっていておもしろかった(本人は意識してなかったけれど)。また、「愛情」の有無によってヘチマの成長は変化するのか、という仮説にもとづいた研究もすばらしかった。毎日葉っぱをなでなですりすりしたサンプルと放置したサンプルの成長記録・葉っぱの顕微鏡観察をおこなった結果、愛情が多い(刺激が多い)方が成長が早いという結果を得ていた(小学2年生の研究だから驚きだ)。観察者の身体性を透明にするのではなく、むしろ観察することの影響力に自覚的で、その点に感銘を受けた。あと、サッカーボールを蹴るときのコーチのアドバイスがよくわからないので、球の蹴り方を伝えるコーチの言語描写を具体化する球蹴り装置を複数つくり、どの言語描写が一番ボールを遠くまで飛ばすかを検討した研究も面白かった。スポーツに限らず、身体感覚の伝授をともなうすべてのコミュニケーションには言語的な説明と比喩がともなう、ということはとても興味深いことだと常々思っていた。たとえば陸上では、「脚を固いバネのように!」とか「背骨に硬い棒が入ってるイメージで!」みたいなことが言われる。言語を通したイメージの伝授が身体の動かし方を変えるわけだ(スポーツのコーチはとても言語的なコミュニケーションだと思う)。彼の自由研究は、言語に強く依存するたぐいのコーチングのあり方に批判的かつ科学的に解答する研究だった。あと「石派」も一定数いて(自分も一回石で自由研究やった気がする)、とくに印象にのこったのは、20種類くらいの石の含水量と硬度の関係を調べたものだった。

日立市の理科教育を担ってる偉い感じの人がいたので、すごいですね、といったら、これでもつくば市の自由研究にはなかなか勝てないんですよ、と苦々しい顔で答えられた。どうやらつくば市の小中学校の自由研究は、研究者の親たちが本気をだしちゃってるらしい。すごい世界があるんだなと思った。でも今回審査をしてみて、自由研究の面白さは科学的な精密さではなくて、科学的な視点と非科学的な視点の混在の先にあるユニークさ、みたいなところにあるような気がして、であれば日立の子たちも負けていないと思った。その意味で、自由研究と現代美術は似ている。