AUG.2,2019_10+1

 たいへん光栄なことに、10+1 websiteで執筆の機会をいただきました。建築家の乾久美子さんの新しい作品集の書評です。乾さん、中山さん、青木さんというすごい建築家の並びに自分の名前が入っていることに違和感オオアリですが、ご高覧いただければ幸いです。

10plus1.jp

 ぼくの論考はさておくとして、青木淳さんのテキストがまじで素晴らしいので、そちらは絶対に読んでみてほしい。たんたんと、精密に分析が進められ、後半に一気におおきな見通しが開かれる。建築批評のひとつの理想形といってもいい気がする。

 たぶんぼくは、乾さんとの個人的な関係がなく年齢も離れているという「関係ないひと」枠でテキストを頼まれたのかなと思う(中山さんと乾さんはどちらも藝大で教鞭をとっておられた同僚関係にあり、青木さんと乾さんは師弟の関係だ)。そのうえで「書評」ということだったから、ぼくは乾事務所の建築を直接語るというよりは、今回新しく出版された作品集を直接語る、ということに努めたつもりだ。それは建築そのものを精密に分析された青木さんの論考と、ある意味ではとても対照的で、このあたりは編集のかたの狙い通りという感じだったのかもしれない。ぼくは自分の書評がどのような論考と並ぶのか把握していなかったから、ああなるほどと、青木さんのテキストを読んでいろいろと理解した。

 自分の書いた文章がおおやけの場で公開されるのは、今回が初めてだ。そのような場で尊敬すべき現代建築家である乾さんについて書くことができたということは本当に幸せなことだった。加えて、編集者の方についていただいて文章を練っていくという経験も、もちろん今回がはじめてであったが、これもたいへんに勉強になった。もろもろ、幸運だったとしかいいようがない。

 内容に関してひとつ。この書評のベースには、バルトの『明るい部屋』を読んだときに感じた、「プンクトゥムを意図的に実装する」という矛盾と「生きられた家を設計する」という矛盾は似ているんじゃないか、という直感があった。両者のあいだにある構造的な近さをどう言語化するか、という作業は、今後も継続して続けなくてはならないと思っている。これに関してヒントを与えてくれるランシエールとかフリード(の『なぜ写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』)のテキストは今後ブログで紹介するかもしれない。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H