NOV.12,2020_告知

多木さんの写真について語るトークイベントにお誘いいただきました。詳細は以下のリンクから。

【告知】多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵|大村高広×塩崎太伸×長島明夫(11/15)|長島明夫/編集・執筆・出版|note

主催は『建築と日常』を発行してらっしゃる編集者の長島明夫さんで、長島さんと建築家の塩崎太伸さんのおふたりに(なぜか)ぼくが入り込ませていただくかたちです。ぼくは学部生のころから『建築と日常』のけっこう熱心な読者だし、塩崎さんの研究や設計された建築にもおおきく影響されている人間なので、たいへん恐縮な感じです。

-

どうしても告知をブログで書くと、敬語になってしまう。この現象は一体なんなんだろう。普段は基本的に独り言みたいな感じで書いているのだけど、告知になると急激に他者が浮かび上がってきて、敬語で書かざるを得なくなってしまう、のであります。とはいえですます口調だとなんだか書きにくいので、ハイフンでバシッと区切っちゃおう。

さて、イベントの直接的な動機は、美術家の飯沼珠実さんの編集で今年の7月に刊行された、多木さんの建築写真を集めた本『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』の書評を長島さんが書かれたこと、と聞いている。いたるところに所在が分散している多木さんの写真を集めた飯沼さんのリサーチ力と関係者のみなさんと築き上げた関係性なしには決して刊行できなかったであろうこの本は、もちろんぼくはすぐに予約し、手元に届いてからも度々読んでいるのだけど、ブログ等に感想を書くことはしなかった。というか、できなかった。この感想を書くことの難しさについては、たぶんイベントでも触れることになるのではないかと思う(多木さんの建築写真の、ある意味ではとても重要な部分なんじゃないかと思う)

長島さんはいわずもがな、『多木浩二と建築』を建築と日常の別冊として刊行してらっしゃるし、塩崎さんは晩年の篠原一男の設計活動をサポートし、最後の最後まで随伴された方で、東工大奥山信一研究室の助教時代には多木さんが撮影された篠原建築の写真を管理されてもいる。つまるところ、おふたりとも多木さんとのかなり深い関係性があるわけだけれど、ぼくは当然、ひとりの読者として多木さんの膨大なテキストのごく一部を読んでいるに過ぎない。とはいえ、多木さんの写真と建築に対する取り組みについて自分なりに考えてきたことをお話する機会をいただいたことは大変ありがたいことだと思う。多木さんのテキストを通してあれこれと考えている一介の人間として、あんまり力まず、素直にいろいろ話したいなと思う。

ところで多木さんは生前、学生に対して、次のようなことを語っている。

私は自分の名前で何かを書き、本を出します。けれども、その本の一冊一冊が記念碑みたいなものだとはまったく思っていません。私の書いた本は、やがて埋もれ、塵のようになって消えていくかもしれない。しかし、それがいつしか土に浸透するように長い時間が経ったとき、そのなかからたまたま私の名前を未来の人間が少しでも感じ取ってくれれば、もうそれだけでよいのです。(……)時間は経っていきます。そして経っていく時間のなかで塵のようになっていきます。その時間の流れのなかで、芸術にあるようなものが、もし言葉にもあるとしたら、それは黙っていてもやがて浮かび上がってくるのです。ただただそれを待てばよいのです。

多木浩二: 映像の歴史哲学, 今福龍太編, みすず書房, pp.54-55, 2013

なんという知への信頼だろうか、と思う。でも、だからこそ、一介の読者であるぼくらにも、多木さんのテキストを素材に自らの思考と実践を編み上げていく責任が、それなりにあると思っている。というわけで、現在ひいひい言いながら準備しているわけだけれど、どうなることやら。今週の日曜日、都合が合えばぜひ見ていただけたら。