DEC.31,2020

 2020年が終わろうとしている。今年は本当に、自分の生活環境が大きく変わったこともあるけれど、いろいろなことがあった。4月以降は生活費を稼ぎながら論文を地道に進められたらと思っていたけれど、思った以上に仕事と制作に時間をとられてしまって、肝心の論文は少しずつしか進められなかった。でも、展示をしたり、本をつくったり、依頼されてテキストを書いたり、写真を撮ったりした経験は本当にどれも刺激的で、これまでにはないものだった。昨日の夜は研究室の後輩たちと、ささやかな忘年会をおこなった。みんな変わっていないけれど、社会に出て着実に責任のある仕事を務めていてすばらしいと思った。後輩が事務所で担当した建物の写真をみせてもらったのだけど、とてもおもしろい建物で、嬉しくなった。

 昨日はその前に展示を見た。これからインテリアを改修する空っぽの空間を用いた展示で、新しく作る予定の壁や机やカウンターのモックアップがダンボールで作られ、そこに多くの絵がかけられていた。はじめはモックアップのほうに目がいってしまったのだけど、次第に目が慣れ、繊細に設定された寸法にも身体がなれ、気がつくと絵に没入していた。一枚、前から離れられなくなった絵があった。雪で作ったかまくらのなかのような、あるいは冬の空のような澄んだ青色の絵で、揺れる茶色い枯れ草のようなものも描かれていた。大気には水蒸気がたくさん含まれていて、そこに飛行機が通ったりして、シュッと加速が働けば雲が生まれる。見えないけれど、もともと大気にはたくさんの水が含まれていて、雲はモノじゃなく場の状態だということを考えていた。たぶんその絵もそういう絵で、もっと光がたくさんあるときはどう見えるのかなということを考えていた。ということで、思わず買ってしまった。

 ダンボールにはテクスチュアがない。それは土に似ている。ぼくらはふだん散歩をしていて、あ、土がある! 土がある! とはならない。土は空気に似ている。あるけれど、気がつかない。その質感は意識にのぼらない(のぼっていたら、昔の人は生きていくのがとても大変だったろう)。だから、例えば左官仕上げの土の壁にはテクスチュアがあるように思えるけれど、実際に目にしてみるとそれは白い壁よりもよほど自然で、すぐに意識から消えちゃう。ダンボールもそれによく似ていて、ぼくらにとってあまりにもよく見る素材なので、すぐにからだが気に留めなくなる(ような気がする)。ダンボールのモックアップは、遠近を撹乱させるような不思議な経験をもたらしていて、とてもおもしろかった。

 安いガットギター(クラシックギター)をふらっと買ってしまった。ふだん家でギターを弾いていて、このコードは鉄の弦じゃなくてナイロン弦のほうがいいな、ということが多くなってきたので。2021年の目標のひとつは、このガットギターを使って、曲をいくつか作ってみることにしようと思う(論文書け)。ということで皆さん、来年もよろしくおねがいします。お互いに良い年にしましょう。