AUG.22,2021_おれたち改造屋

 11時に水道橋のコメダでさいとうと待ち合わせ、11月にある展示について時々話しながら、午後から専門学校で依頼されているレクチャーの内容について打ち合わせる。コメダのモーニング、私はいつもB(たまごペースト)かC(あんこペースト)なのだけど、さいとうはA(ゆでたまご)派だった。殻をむくのがめんどくさくてA(ゆでE)を選ぶことは少ないのだが、A(ゆでE)こそが名古屋モーニングの本来の姿なのだろう。午後のレクチャーは「公共」というお題を与えられた。自分たちの今のところの活動は「公共」なるものからはうんと遠いところにあるのではないか、と内心とまどいつつも、なんとか話した。「パブリック」は「プライベート」の範囲を画定することではじめて定義できるものだ。であれば、どんな小さな仕事をしていても、たぶん、なんらかのかたちで公共的なことがらを扱っているはずだ、と思う。思った。話していてそう思った。

 尊敬する仲俣さんに、君たちの活動は「改造」っぽいね、リノベでもなくDIYでもない(魔)改造感があると指摘され、そうかもしれないと思い、とてもうれしくなる。これからは“改造屋”を名乗っていこうかと、帰りの歩きでさいとうと話す。博論をなんとか出せましたという話題の折、仲俣さんにこんなことも指摘される。大村くんは学部から博士まで10年「運河」(大学の最寄り駅)に通ったことになる。人生のうちで「運河」が占める割合をできる限り薄めるためにも、できるだけ長生きしたほうがいい。たしかに!やば!!と感じる。仮に今死ぬと人生の1/3が「運河」になる。それはやばいので、80歳くらいまでは生きたい。唐突にいま、昔のTwitterのアカウント名が「ungariwan」だったことを思い出した。学部1年生のとき、あんなアカウント名を付けたばっかりに……。

 さいとうと解散し、千駄木にフィルムの現像を出してから、年下のさいとうくん(いま藝大青木研の修士2年)とデニーズでお話する。一見するとややこしいが、GROUPのさいとうには髭があり、さいとうくんには髭がない。さいとうくんとは最近の建築事情やら何やらについて色々と話す(建築家がおこなうインスタレーションの伝達の難しさについての話が印象に残った)。デニーズにはセブンイレブンのコーヒーマシンがおいてあり、ドリンクバーを頼めばセブンのコーヒーが飲み放題になり、お得感がパない。元を取るために計6杯飲んでしまったためか、現在すこしお腹がゆるい。貧乏暇なしとはいうが、暇な貧乏はお得感に弱い。

 なぜなれないことわざを使ったのか、と思った方もいるかもしれない。理由は昨日のできごとにある。昨日は朝からノーツを製本していたのだけれど、夕方から水天宮のタンネラウム*1に顔を出した。現在個展をしている竹浪音羽さんの作品がすばらしく、好きだなと思った絵を時間をかけて見ることができてうれしかった。なかでも楽しかったのが、佐藤くん奥くんと、竹浪さんが制作したオリジナルかるたを遊んでいた時間だった。最終的には、絵だけを見て、それが表現している言葉を想像するという遊びをしていた。言葉と絵がすぐにむすびつかないように工夫が重ねられているから、ただ単にそこに絵があるという──瞬間ではなく、引き伸ばされた──時間を複数人で共有することができて、とてもよかった。言葉と絵がむすびついたとき、絵も、言葉も、自分にとって特別なものになるような感覚があった。同じく画家のあべ(たえこ)さんが制作したかるたを遊ぶ機会も数ヶ月前にあって、そのときも、かるた最高だ!と思ったのだった。この短期間でこんなにも「かるた最高!」と思うことなどあるのだろうか。かるたという大きな波がきている。

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壁の明暗が空間のサイズ感の認識に与える影響についての記事。具体的な事例とともに見せてくれるのでわかりやすい。