SEPT.22,2019_東京展おわりました

 22日 東京展、無事におわりました、めちゃくちゃはやかった、、。あと1週間くらい会期がほしいところですな。京都展は東京展よりも会期が長く、会場も大きいので、ゆったり見れそうな感じ。作品順もかわるので、また見え方が変わると思われる。たのしみ。

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 自分たちをプロジェクトを説明すればするほど、言葉はどんどん流暢になっていくのだけど、そのぶんなんだか胡散臭くもなってしまう気がしている。はじめのころにあった、敷地の状況や設計したものに言葉を与えることへのとまどい(そんな簡単に説明できるものなの?)がどんどん蒸発していき、あたかも最初からなんの迷いもなく現行の案にたどりついたように聞こえてしまう。しょうがないのかな。あの敷地を最初からポジティヴに捉えられてたわけではないし、設計も紆余曲折あった。けれど、説明はできるだけわかりやすく、素直なものにしたい。うまくいかなかったことや迷ったことなんかもふくめてわかりやくプレゼンする手法があればいいのだけど、これが難しい。Tくんに指摘されたことでもあるが、やはりこうした経験をふまえると、設計手法(設計に使っているツール)とプレゼンの手法をできるだけ一致させるアイデアの発明が急務だと、強く感じる。

 他方、今回のプロジェクトはぼくと齋藤が以前から企てていた「プロジェクト・タッグ制度」の第一歩でもある。これはあらかじめチームのメンバーを固定するのではなく、プロジェクトごとにメンバーを編成し仕事を進めるというもの。今回はぼくと齋藤がチームを組んだけれど、齋藤はまた別の仕事を別の誰かとタッグを組んでやるかもしれないし、ぼくはぼくで別の仕事を他の人と組んでやるかもしれない。もちろん自分ひとりでも仕事をする。でも情報は共有する。と、ぼくはずっとジャズをやっていたので、こういう仕事の進め方は自然なように思える(ジャズの場合、バンドメンバーが固定されるのではなく、ツアーごとに、あるいはアルバムごとに異なるメンバーがあつまって演奏をする)。いまは小さな仕事しかないけれど、いずれ大きな仕事(たとえば公共建築のプロポーザル)に挑む際に、小さな仕事での個別の共同はきっと役に立つと思っている。ただいくつか問題もある。ひとつは全員が共有できるような場所が必要だろうなということ(多分共同者間の物理的な「近さ」が必要不可欠)。もうひとつは責任の所在をどう明確にするのかということ。建築物の場合、管理設計した建物に10年後雨水のトラブルがあってそれに対処しなければいけない、みたいなことがざらにあるので、10年後20年後のトラブルに誰が責任をもって取り組むのかという問題は、プロジェクトごとにメンバーが変化する場合かなり複雑になってきてしまう。だから、たとえば全員が所属する会社組織を作っておいて、何かあった場合は組織として問題に対処するような体制をつくる必要があるだろうと思われる。

 先ほどの話に戻ると、「プロジェクト・タッグ制度」の場合、設計手法とプレゼンの手法を一致させるということがより一層難しくなってくる。むしろ求められるのは、プロジェクトごとに手法を新たに開発していくことだろう(タッグを組む人間が変われば当然設計やプレゼンの「手癖」が通用しなくなる)。タッグを組む人間のスキルや経験、そしてプロジェクトの規模や機能、敷地の状況に合わせ、スタディの方法とプレゼンの方法が一致する局面を構想し、それをプロジェクトのむしろ初期段階で検討・実装すること。これが可能であれば面白いと思うし、いろいろな人と試してみたいと思う。もちろん意匠設計以外の様々な専門技術をもった人を含みながら、プロジェクトの座組は行われるだろう。そして各々の状況に合わせてことなるスタディの方法、ことなるプレゼンの方法、そしてその先にある新しい建築空間の構築が、試されることになると思われる(スタッフ2〜3人くらいの小規模のアトリエ設計事務所がゆるく連帯する、みたいな感じになるのかな)。こういうことを考えている人が、同世代くらいにはけっこういる気がする。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H