AUG.21,2020_かけがえのなさの由来

おそらく、家はそこに住む一人一人の心の投影を受けて、初めて家として成立する。またそのようにして成立した家のイメージが、そこに生きる一人一人を見えない光線で照らし出し、その行動に不可視の規範をあたえ続ける。

中平卓馬「家・写真──二重の過去の迷宮」, 『決闘写真論』, 朝日新聞社, p. 56, 1995(初版: 1977)

「決闘写真論」(アサヒカメラ, 1976)という雑誌の企画で、中平卓馬は家(をめぐるイメージ)について短い文章を書いている。この企画は篠山紀信の写真に対して中平卓馬がテキストで応酬する、というもので、そのなかのトピックのひとつが「家」なのだけど、これは前年の1975年に篠山が『家』という写真集を出版したことに起因するものと考えられる。『家』という写真集には、(中平が最も親しい友人だと明言する)多木浩二の文章──後の『生きられた家』──が収録されている。両者のテキストは篠原紀信の写真とともに世に出たという点で共通しているのだけど(この出自からしても、『生きられた家』は「建築論」としてではなく、はじめから「建築のイメージ論」として書かれたものだということがわかるのだが)、内容に関してもそれほど遠くない射程のなかで書かれているんじゃないかと僕は考えている。それについてはひとまず置くとして、中平のテキストを続けて引用してみよう。

家は、すでに不動のものではなくなってしまった。何回か移り歩く借家、アパート。家は遊牧民のテントに次第に近くなってきたのかもしれない。 しかし、アパートの一区画一区画も、やはり生活の機能に結びついたそれぞれの意味がそこに住むひとによって付与されてゆき、時には、ただの機能を超えた個人的な秘儀性を獲得してゆくことも同時に否定することはできない。この部屋とあの部屋の違い。この部屋のこの一画とあの一画との違い。そんなものが次第にでき上がってゆく。その意味では、家はそこにひとが生きる限り、新しい形をとって生き続けるとも言えるだろう。重要なことは、家はそこに生きる人間によって、その息づかいによって、やはりただの住居、機能としての住居を超え出たものに、その都度転化されてゆくということである。今日の都市生活では、ひとつの家にしがみついて生きるということが少なくなり、あの家、このアパートと移転することが多くなっているにしても、その時には、かつて一本の柱とそこに住むひとびととの間にあった〈密な〉関係は、空間的な移動とともに地図学的な空間に翻訳されて存続しているに違いない。家が、そこに生きるひとの一回限りの生の記憶とともに成立するものだとするならば、この現代の遊牧民の一人一人にとって、それは空間移動の一点一点に記されるはずである。そして、形こそ違え、それらのひとつひとつは、つねに代替不可能であり、それは生の一回性に正確に対応している。その限りにおいて、家は、そこに住み、またかつてそこに住んだひとにとって、ある特殊な意味をこめられて〈聖性〉を獲得している。家に対して、われわれがいだくある種のなつかしさと裏腹にあるかけがえのなさは、このことと関連している。そしてそれはまた、他者とはけっして共有されない、ということを暗黙のうちにふくんでいる。家の映像、家の写真は、その意味で、初めからこのようなディスコミュニケイションを前提にしている。

Ibid., pp.57-58

最近は家にいる時間が長いし、引っ越したばかりということもあって、家というものについて考えることが多く、それでなにげなくこのテキストを読み返してみたのだけど、そうしたら自分が読みたいと思っていたことがピンポイントで書いてあって、さすがは中平卓馬......、となった。

 中平がここで指摘しているように、ぼくのようなアパート暮らしの人間にとっても、家の〈聖性〉としか呼べないような感覚は残っているような気がする。自分にとって、それはなんだろうか。ひとつはたぶん素朴に、部屋のなかに配置される事物だろうと思う。引越しが終わって、荷造りが終わったあとくらいから、今住んでいる部屋が「自分の家になった」気がした。ところが部屋のなかの事物だけが〈聖性〉(部屋のわたくし性?)を構成する要素ならば、どんな土地に引っ越そうと部屋の固有性は変わらないことになる。でもそうではない。もひとつ重要なのはたぶん周辺の環境だ。たとえば僕にとっては、家の近所にあるポスト、隣の家の屋根の色、駅までの道のり、近所の森、のにおい、アスファルトのヒビ、みたいなものらのひとつひとつが、以前住んでいた部屋の一回性を構成していた、と思う。これはよく考えるととても不思議なことだ。というのも、“私の”部屋の聖性(かけがえのなさ)を構成しているのが、私の部屋の外に存在している(しかも私の所有物ではない)要素だったりするのだから。しかも、こうした要素はたいていの場合は取るに足らない、なんでもないものだったりする。誰の所有物にもなりえない、「任意(any)」のオブジェクト。

 全員の顔と名前が一致するような集落的なコミュニティの場合こうはならない気がするんだよな(自分の富山の実家は村!って感じの場所だからそう感じるのだけど)。この場合、まちのなかにあるオブジェクトはあくまでその村の構成要素(村の住民と共有している所有物)であって、「私の家っぽさ」をつくる要素にはなりえない。ところが遊牧民的な借りぐらしをしている場合、周辺に住んでいる人々との交流がほとんどないということもあって、まちなかに存在しているオブジェクトを知らず知らずのうちに私有化する傾向がある気がする。今自分が住んでいる(あるいはかつて住んでいた)空間に対する「ある種のなつかしさと裏腹にあるかけがえのなさ」は、そうした心理的に私有化されたまちなかのオブジェクトによって作られているような気がするのだ。もちろん定住地としての家がドドンと建っていれば「私の家っぽさ」が近所の赤いポストに支えられる必要はないわけだし、実際心理的にもあんまりそういうことは起こらないような気がする。要するに遊牧民的な借りぐらしの場合は、部屋の内部にあるか外部にあるかに関わらず、そしてそれがパブリックなものかプライベートなものかにも関わらず、今自分が住んでいる場所の「近い場所」に布置しているオブジェクトはすべて、家の〈聖性〉の構成する要素になる、ような気がしている。

 

 では、家そのものというよりも、「家のイメージ」についてはどうだろうか。

一枚の家の写真、とりわけそれが家の内部──家具、壁掛け、汚れた壁のしみ等々といった写真である場合、その写真を見る者は、自分がついにその中にはいってゆくことはできないのだといういら立ちにかられる。そこにかつて住んでいた者が、この家具のひとつに、この壁掛けに抱いたであろう思いを、その家の写真を見る者はついに共有することはできないのだということを、つまりわれわれは永遠の異邦人であるということを、たった一枚の家の写真が突如として思い知らせる不思議な体験をしたことはないだろうか。

Ibid., p.59

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△ Walker Evans: Bed and Stove, Truro, Massachusetts, 1931

 家の写真や映像がはじめから絶対的に抱え込んでいるような、他者との共有不可能性。圧倒的なアクセスのできなさ。「とりかえしがつかない」という感じ。フィルムというメディウムの特性は、家のイメージに対するこの種の感覚を強化していたのではないかと思う。その特性とは、「書き込み」がおこなわれる時間(瞬間に封じ込められる時間、シャッターを押し露光を実行したその瞬間)と、「取り出し」がおこなわれる時間(事後的にフィルムから現像・プリント・映写がなされうる変動的な時間)が決定的にずれるという点で、これが家の写真や映像が元来もっていた喚起力の大きな原因になっていたのではないか。だからたぶん、かつての「イメージ」は、単に〈かつて - あそこ〉を記録する媒体というよりも、「書き込み」と「取り出し」の時間的なギャップを架橋する〈いま - ここ〉を強烈に現勢化する媒体だったのではないかと思われる。フィルムがデジタルになったからといって、写真や映像のこの特性(「書き込み」と「取り出し」の時間的なギャップ)が消滅したわけではもちろんない。が、とりわけリアルタイムで映像が配信される類のコミュニケーションにおいては話が変わってくる。たとえばZoomで会話をしているとき、友人の私室の映像が背景として映ったとしても、そこから従来の家のイメージがもっていたような「とりかえしのつかなさ」を感じることはないのではないか。そこでは、自分には決してアクセスできない他者にとっての親密な空間が、時間的なギャップを脱臼されたかたちで──私たちになにも喚起しないただの背景として──だらだらと流れている。

 加えてテレワークが進み、自宅の部屋が仕事のおこなう空間に浸食されてしまっている、という状況も、家の聖性(かけがえのなさ)を巡る従来のあり方に変化をもたらしているように思う。PCのカメラが外界と私室をつなぐ新たな「窓」となり、私的なオブジェクトの“退避”が余儀なくされるような状況は、私の思い出深い所有物を、私の部屋の聖性(かけがえのなさ)を担保する要素から疎外するのではないか。なにが残されているだろうか。もしかしたらそのときには、家の近くにある赤いポストとか、アスファルトのヒビとか、道沿いの植え込みとか、そういう部屋の外側にある「任意(any)」の要素こそが、家のかけがえのなさを作るのではないか、と思ったりする。この倒錯的な状況を、僕らはどう捉えればいいのだろうか。ずっと困惑している。