JUNE11,2018_シュタゲゼロ

○今期のアニメは目玉揃いだが、何よりもまずは「シュタインズ・ゲート ゼロ」だろう。それと個人的にはフルメタも重要なのだけど、これは後日。シュタゲのダル、そしてフルメタの宗介と、関智一の対照的な演技を同時にみることができる非常に貴重なクールである。

 シュタインズ・ゲートはもともとゲームの方から入って、地上波のアニメはもちろん、劇場版や派生版のゲームもすべてハマった。小説の方は全然呼んでいないけれど、、。多くの方にとってそうだと思うが、本作品は自分にとってすごく大切な作品だ。今回のシュタゲ・ゼロはアマゾン・プライム等で配信されているので、いまは見るのをぐっとこらえて、全話見られるようになってからイッキ見するつもりでいた。のだけど、昨日ふと空いた時間帯に見てしまった。本作はゲームの方をやっていたから、当然その内容は知っているはずなのだけど、ほとんど忘れてしまっていて、自分の記憶力の低さに結構おどろいた。つまり、悔しいくらい新鮮な気持ちでストーリーを楽しむことができたのだった。話は脱線するが、ぼくはなぜか記憶力の良い方だと思われることが多いのだけど、実際は全然そうではなく、外部のデバイス(メモ帳やネットの検索環境)に頼っているだけで、むしろかなり悪いほうだ。昔から漢字もとても弱いしネ、、。暗記力は低いけど、「調べ方」(意味や内容、関連情報へのアクセスの仕方)は覚えている、という感じ。すごく脱線してしまった。ということでシュタゲ・ゼロのほう、8話までみたのだけど、まぁ面白い。さすがです。ちょうどストーリーが動き出したところだったので、やっぱり8話まで我慢してよかったなと思う。

 今回久しぶりに本作とふれあって、改めてシュタゲの物語構造について思うところがいくつかあった。まず、登場人物自体はそう多くないのだけど、それらのキャラクターの布置(物理的な位置関係や他のキャラクターとの関係性、鍵となるモノーーたとえばIBM5100ーーとの関係性)がタイムマシンによる「世界戦の変動」によってガラっと入れ替わるというところが、物語のもっとも重要な要素となっていること。これが、前回まとめたメラネシア儀礼と個人的にはかなりリンクするところがあって、非常におもしろかった。ストラザーンの言葉を借りれば「図と地の反転が、地を潜在的な図=形象(フィギュア)として掲示する限りにおいて、この反転の動きは、地から「切り取られた」図が、地につけ加えられた図ではない。……関係の彫琢=展開において、増大するのは彫琢=展開であり、関係ではない。」(部分的つながり, pp.270-271.)

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 オカリンは「世界戦の移動=キャラクターの布置の変化」を唯一認知できる存在(リーディング・シュタイナー)であり、途方もないトライ・アンド・エラーを繰り返すなかで、各キャクターの布置の展開・彫琢に向けて突き進むのだ。各キャラクターは、その世界線での布置の有り様次第で敵になったり味方になったりもするし、生死も変わってくる。オカリンがおこなっているのは、ある具体的に敵と交戦したり、あるいは心理的な駆け引きをしたりということではなくて、「関係の書き換え」なのだ。そして本作においては、この布置の展開のなかで、「自分自身を他者として参入させる」ことこそが、すべての解決の糸口、最大の見せ場となってくる。

 

○今年の梅雨は、期間が短い割に、降水量は例年に比べ多いみたい。とくに河川の近くに住まわれている方はお気をつけてください。

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(Mamiya RB67 Professional, Sekor 127mm F3.8, FUJICOLOR PRO 160NS)