JAN.1,2020_明けました

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

 2019年はアアルト展の会場構成をしたり、倉賀野のプロジェクトの設計を進めたり、SDレビューで展示をしたり、書評を書いたりしていました。あともう2本、10-11月頃に書いていた論考が今年に出る予定。年が明けてみてふと、2019年の自分はほんとうに何もやっていなかったんじゃないかと絶望的な気分になったのだけど、ひとつひとつ思い返してみるとそうでもないかもしれないと思えてきて、少し安心した。けれど、とりわけアトリエ系の設計事務所に勤めている友人の話を聞いていると(もちろんゼネコンや組織に勤めている友人たちも大変そうなのだけど)、自分はだらだらと、むげに時をすごしているだけなのではないかと思えてきて不安になる。せめて筋トレくらいしておけばよかったなと思う。目に見える成果がほしい。ちなみに去年も書いたような気がするけど、ブログでアップした写真のうち、個人的にいいなと思ったものはtumblrTAKAHIRO OHMURAに、あと長めの論考はnotetakahiro ohmura|noteに各々保存しているので、暇で暇で仕方がないときにでものぞいてみてください。

 暮れは何をしていたのかというと、まずスターウォーズを観ました。エピソード9。いやあ、スパロボの最終話感がすごかった、、(分かる人はどのくらいいるのだろうか)。つまりすごいベタなラストだった。ちょっとベタすぎてどうだろう、という部分もあったのだけど、ラストの畳み掛けてくる部分とか涙腺に来るところは割とあって、娯楽映画としてはかなり楽しめたと思う。悲しいけどこれ、ロボットアニメファンの性なのよね。でも旧作ファンが不満をもつのもわかる。というのも、そもそもジョージ・ルーカスという人はきわめて作家性が強い監督なので、ルーカスが介入せずに製作されたスター・ウォーズということになると、必然的に過去作を参照することでしか「スター・ウォーズ」というアイデンティティを守れないということになって、つまりは旧作のファンにかなり目配せをした忖度感のある作品になりがち、という構造ができてしまう。これが二次創作だとか、ローグ・ワンみたいな外伝だったらいいのだけど、正史として位置づけられてしまうと、ね。オタクというのは自分たちが思いもしなかったような展開やイメージにこそ感動するのであって、忖度や目配せにはむしろかなり拒否感があるのではないか。「これまでのスター・ウォーズ」を思いっきり壊すことができるのは、結局ルーカスしかいないんだよね。ファンも「ルーカスがやったならしょうがないか」となるだろうし、そういう、一人の作家が中心にいることによる“納得”みたいなものはあるから。

 そういうこともあって大晦日は、格闘技とSASUKEをだらだらみながらスター・ウォーズ関係のWikiを漁るなどという本当に毒にも薬にもならない時間を過ごしてしまった。シス帝国の歴史などを読んで胸がグッと熱くなったりしていた。

starwars.fandom.com スター・ウォーズは二次創作を作るうえでの土壌が本当に豊かだなと思う。ガンダムもそうだよね。正史となる作品がざっくりとした方向性さえ示していれば、あとはファンが勝手に後付け設定やで説得力のある歴史を紡ぎ出していき、スタンドアローンで物語が動き出し、結果としてひとつの世界ができあがっていく。昔からこういう、二次創作三次創作を媒介にしたある世界の生成みたいなものには強い興味があって、そういう作品のWikiを読んだりするのはとても好きだった。もしかしたら建築の様式みたいなものも、こういう運動によってできていくのかなと思ったりする。

 

 ということで、このへんで。改めて、今年もよろしくおねがいします。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm / F2.4, FUJI PRO400H