JAN,27.2018_無題

 岡崎乾二郎の『抽象の力』の、坂田一男について述べられた以下の箇所は特に重要な気がする。建築空間における実践とも関係が深い。

渡仏後、「セクシオン・ドール」(ピュトー・グループ)と接して以来、後期に至るまで坂田の作品は以下の一貫した特徴を持っていた。それは、
・積極的に表された図(たとえば「a」とする)に対して、(図の周囲の)ネガティヴな地としての領域(「非a」とする)こそを充実したものとして扱うこと。
・図「a」を描くと発生する地の領域「非a」と図「b」を描くと発生する地の領域「非b」を同じ空間であるとは前提しないこと。
・図ではなく地である「非a」「非b」「非c」という異なる領域自体を重ね合わせること。
という性格につきる。(……)今日に至るまで、通俗的なモダニズム絵画のルーティンはニュートラルな空間(多くは白色の余白)の提示にあり、そのニュートラルな空間を基底にして、その上に複数の形態、異質なオブジェが、ときに整合的にときにランダムに浮遊するように配置される、あるいはそれぞれの形態が透明に重なりあっているかのように表されてあるというものだった。つまり、ここで図となる事物たちと、それが置かれるニュートラルな空間は階層が別であり、あくまでもニュートラルな空間が上位で、事物、形態はそこに配置される要素として下位レベルにある。すでに記したように坂田の絵画ははじめから、それとは異なる特性を持っていた。坂田の絵画で実験が繰り返されていたのは、ニュートラルだとみなされていた空間に特性を与え、それを単一なものとみなさず、複数化し同時に併存させることだったのである。図である異質な事物の遭遇、併存ではなく、地である領域(空間)それ自体の複数化であり遭遇、併存である。*1

 『抽象の力』は内容をまとめてみようかともおもってのだけど、どうも(自分にとって重要なことが広範囲に渡って書かれまくっていくということもあり)手が進まない。岡崎さんの書き方も、たったひとつのすごく大切なことをあの手この手その手でさまざまな切り口から通釈している感じなので、この書籍以上にわかりやすくまとめる、ということは考えづらい。ただ、10+1とかの書評を読んでいると、もっとしっかりと内容の考察がされてもいいのになぁと少し不満におもう自分もいて(字数の制限もあってのことだろうけど)、やっぱり建築を専門としている人間からみて重要だなとおもう箇所については、このブログでまとめておこうかなという気分になっている。

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 体調はだいぶ快復してきて、現在はまだ咳がでるのと、あと頭痛が多少あるくらい。 とはいえ火曜までは外出できないので、家でできることをやろうとおもう。
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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200

*1:岡崎乾二郎: 抽象の力 近代芸術の解析, 亜紀書房, pp.57-59, 2018