AUG.27,2018_住宅特集

昨日、倉賀野の外構の現場視察にいってきた。植物が元気に育っていて、とても魅力的な庭になりつつあって安心した。写真が出揃い次第、Worksのページでまとめようと思う。小さなプロジェクトだけど、機能に依ってすべてが判断できるわけではない外構のプロジェクトにどう取り組むのか、という難題にぶつかるなかで、共同した齋藤とディスカッションを重ね、そこから未来につながるような多くのアイデアを引き出すことができた。その齋藤が、今月発売の『住宅特集』の巻頭6ページにわたって論考を掲載している(増田信吾さんとの共作)。テーマは「塀」について。当然今回のぼくらのプロジェクトとも響き合う内容だ。すごく力のこもった論考になっているので、ぜひ多くの方に目を通してみてほしい。

www.japan-architect.co.jp

 

『眼がスクリーンになるとき』の感想をまとめるために、『シネマ1・2』や『物質と記憶』を復読しているのだけど、加えて『思想』の2009年12月号(ベルクソン特集)や2017年12月号(ヴィヴェイロス・デ・カストロ特集)、岡本源太さんの過去の論考、鈴木了二の論考、グレアム・ハーマン、メイヤスーなど、個人的に関係ありそうだなと思うテキストをあらかた確認していて、そろそろ引き返さないとヤバイな、という感じになっている。挙げ句の果てにディディ=ユベルマンの『残存するイメージ』を読み返している、、、。見当はずれの可能性も大だけれど、いやでも、ユベルマン的な「ラディカルなアナクロニズム」といえるような方法は、『眼がスクリーンになるとき』にどこかで合流するようなきがする(ここからニーチェまでいっちゃったら、多分引き返せなくなるだろう)。あと、たまたまイタリアにもっていった2冊が岡崎さんの『経験の条件』と『眼がスクリーンになるとき』で、それはほんとにたまたまの取り合わせだったのだけど、両者は奇妙なほど響き合っている。ある本を読んでから読み返すと、すでに読んだ本の全く異なる側面がみえてくる。これはとても大切な作業だなぁと思う。それにしてもいつになったら感想をかけるんだろうか。ともかく、9月10日にYGSCで行われるトークイベントまでには、一区切りつけたい、、。

 

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電柱。

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400)