JULY1,2018_くうきのいれかえ

○先日の朝、空気の入れ替えをしようと思ってサッシュを開けたとき、この暑さで間違って早起きしてしまったのか、一匹のセミの鳴き声が聞こえてきた。日中はもう嘘みたいな青空なので、あぁ夏きたな、という感じなのだけど、日が沈むとまだ涼しいから、このセミは寒くないだろうかと心配になる。

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○窓を開けたいという欲求は、風を取り入れることよりも音の問題が大きいと、個人的には思っている。虫の音、鳥の鳴き声、風の切る音、さわさわという枝葉のゆれ、遠くで聞こえる救急車の音、子どもたちの話し声。いろいろな、微細な音の群れが、各々に各々の距離をもって、ぼくの小さな部屋まで届けられる。

ぼくは六畳の小さな部屋で生活しているが(ぼくは小さな部屋が好きだ)、こうした外から聞こえる微細な音の束は、自分がより大きな環境に属していて、この部屋はその部分であるということに気づかせてくれる。それは、視覚的ではない空間の開放感を感じさせるもので、ある種の自由さ、身体をふっと軽くしてくれるような感覚を日常生活にもたらしてくれるものだ。ぼくは小さな部屋が好きだが、開放感のある小さな部屋が好きなのだ。閉じているが開いている、小さいけれど大きい、一であるが多である、と、そうした二項対立を、窓を開けるという行為によって、ぼくらはやすやすとと乗り越えている。

 

猛暑の日とか、どうしてもエアコンをつけないとという日はもちろん窓を閉めざるをえないのだけれど、周辺の音がシャットダウンされると、急に自分の部屋が小さく感じられて、うっ、となることがある。窓の開閉という行為は、単に物質的な混合気体としての「空気」を内外で入れ替えているということだけではなくて、微細な、しかし生活において決定的である音の問題や、風によりカーテンが揺らめき、床に投影される影がたゆたうという経験も包摂されている。単に物質的ではない「空気」を、例えばひらがなで「くうき」と表記してみるとわかりやすいだろうか。「くうきのいれかえ」は、非常に複雑で多様な経験の束をもたらす習慣なのだ。ということもあり、自分が住宅を設計するときには、風というよりは音ををコントロールするための「音の窓」をどうにかして考案してやろうと思っている。(空気は通さないけど音は通す網戸みたいな素材が開発されてくれればいいのに、、と思う)。

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(Mamiya RB67 Professional, Sekor 127mm F3.8, KODAK Portra 160)