OCT.15,2020

 今日はめちゃ疲れた。設計はけっこう進んだのだけど、そのぶん疲れた気がする。今は帰りの電車。小田急線の各駅にのって、登戸か新百合ヶ丘で(快速)急行に乗り換える。以前は22時ごろには帰っていた気がするのだけど、日に日に事務所を出る時間は遅れ、今日は23時半くらい。この流れはよくないやつなので、次回から毎回15分くらいずつ帰る時間を早め、正常な帰宅時間に戻したいと思う。

 体力をもってかれてるのは、単純に寝てないからという理由もある。9時から座学の授業をオンラインでやる必要があったので、いつもより早めに起きる必要があって。とはいえ、今年は直接学校まで行く必要がないのでかなり楽だ。御茶ノ水で一限の講義をやることにならなくて、ほんとによかったと思う。超ありがたい、とかいうと怒られるだろうか。でも、レクチャー系の授業に関してはむしろオンラインの方がよさそうだなと思う。毎回授業の様子は録画していて、休んじゃった学生や、語学に自信のない留学生、内容を復習したい意欲的な学生などは、ビデオで授業を見直すことができるからだ。ぼくもビデオで授業を見直し、自分の声と表情への違和感で身悶えしたり、できている。それにしても、ビデオを見直すとぜんぜん授業っぽくなってないから心配になる。自分の好きな建築やドローイングについて、熱っぽく頬を赤らめながら早口で語るちょっとうざめな研究室の先輩の小話にしか聞こえない。

 新百合ヶ丘で乗り換えをした。いつも電車では本を読んでいるのだけど、今日もってきた本は読み終わってしまっている。読書会で扱う『タコの心身問題』だ。とても面白い本だった、かなりオススメ。枝葉の議論も勉強になる話が盛り沢山だった。著者のピーター・ゴドフリー=スミスは熟練のダイバーでもあり、海の生物への敬意が文章からよく伝わってきた。とくに最後の章あたりの、寿命が極端に短い頭足類の圧縮された生の長さ(約2年)とその死に様について書かれている箇所は、胸が張り裂けるようだった。もうすぐ海老名に着く。

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OCT.13,2020

 家で仕事をしていると、窓ぎわなどがすごくきれいに見える瞬間がふと訪れるときがあって、そういうときに、気が向けば写真を撮っていたりしていたのだけど、いかんせんいつも利用している写真屋(千駄木のイエロージャケット)が遠く、フィルムがたまりっぱなしになってしまっていた。でも先週関西で撮った写真をはやめに確認したかったので、それらと一緒に、家を撮った写真も日曜にまとめて現像に出したので、ぼちぼちスキャンをはじめているところだ。

 下の写真は、たぶん8月の朝方、裏山に面した小さな部屋の全体が、ふんわりと緑色になっている瞬間があって、そのときに撮ったものだ、と思う。北側に面する窓なので、裏山が光っているとき部屋は暗く、その明暗で外がとてもうつくしく見える。おそらく、木々に反射した光が部屋に色をつけていたのだと思われる。

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SEPT.23,2020_藪を歩く

 昨日は4連休の最終日だったが、とくに遠出をすることもなく、一昨日の夜に見たTENET(ノーランの最新作)のことを考えていた。ナイトショーで見たのだけど、帰ったら疲れてぱたりと寝てしまったものだから、起きてから、目まぐるしいくらい、この映画のことを考えていた。感想をまとめるというよりも、感想を書くための下調べで一日終わってしまった感じだけど。

 この映画、個人的には非常に楽しめたのだけど、感想をどう書こうか考えているうちに、自分は純粋に映像のもつ構造とそれを目撃する際の知覚の形式性みたいなものに感銘を受けたのであって、物語やキャラクターに関してはほとんど何も頭に残っていないということに気がつく。映像として非常に複雑な構造をもった映画なので、キャラクター造形に関しては極力シンプルに、ある意味では型にはまったものにする必要があったということかもしれない。これはSF映画あるあるだとは思うけれど、登場人物の心理描写やそこでの人間的なやりとりを期待して見てしまうと、なんと薄っぺらい映画なんだろうという印象を抱いてしまいかねないと思う。それくらい、超自然的な時間の映像的な表象にステータスを振り切っているような作品だと思う。

 そんなこんなで一日家でうだうだしているような休日だったのだが、午後を過ぎたあたりで、関東に大きな台風が近づいているという情報をキャッチし、これはいかん、買い物へいかねばと思い立つ。ついでに散歩もしなければ、とも思う。涼しくなってきたので、どこかの休みの日にでも、近所のいったことのない場所へでかけたいとずっと考えていたのだった。

 特に目的地もなく、たぶん2時間くらい、カメラを持ってたくさん歩いた。1時間くらい歩いたあたりで、いかがわしい雰囲気の藪(林?)を発見したので、個人の敷地ではないことを確認して、しんちょうに、なかに入った。下の写真ような感じ(これで14時くらい)。あやしいでしょう。

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 台風が近づいているからだろうか、この日はずっと曇り空で、空は実家の富山のような鉛色だった。そういうわけで、林のなかに入ると、とてもくらい。でも、獣道のような開けは確実に林のなかに一本、すうっと通っていて、おそらく近所の人が少なくない頻度でこの場所を歩いているのだろうということは予想された。

 歩いていると、たまに明るい場所があったり、すごく暗い場所があったりした。明るい場所というのは、道のかたほうが崖になっているようなところで、そこでは雷に打たれたのか、あるいは台風で吹き飛ばされたのか、倒木が互いに寄りかかったりしていた。蚊がものすごい勢いでよってきて少し嫌だったが、道を進むと、空間がひんぱんに明るくなったり暗くなったりするので、ああ、これ探検みたいなだなと思われて、蚊に血を吸われるのは入場料みたいなもんだな、という気持ちになり、かまわないことにした。

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 このままいけば、いずれ街のとば口にはたどり着くだろうと気楽に考えていたが、いっこうにたどりつかず、藪は深くなるばかりであった。そのうち、道はどんどん細くなってきて、とうとう行き止まった。けっこう急な斜面を降りていけば先にも進めそうだったけれど、もとの道に帰れるかどうか不安になっていたところだったので、ここらで素直に道を引き返した。

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 気がついたら林の奥深くまで迷い込んでしまっていたみたいで、帰り道、自分は入ってはいけないヤバい道に迷い込んでしまったのではないか......ナタを持った老婆とか出てきたらどうしよう......と不安に襲われた(オカルト的思考の弊害だ)。なんとか無事に、もとのアスファルトの道に戻ったころには、全身を蚊に刺されていたみたいで、信じられないくらいの痒みに襲われていた。入場料にしては高すぎるのではないか、としばらく震えていた。ヤブ蚊どもは服のうえから血を吸っていたみたいだった(薄手のジャージを履いていたことが災いした)。たくましいことだと、感心もした。

 近代的な、舗装された道を歩いていると、蕎麦屋を見つけた。おばあちゃんが一人で店を切り盛りする店だった。腹もへっていたので、天ぷらそばを一杯食べた。特段おいしくはなかったが、つゆはすべて飲んでしまった。おばあちゃんはお会計の際、少しだけ自慢げな、ちょっとだけ嬉しそうな表情をしていたように見えたけれど、ぼくはかまわず、そこまでおいしくはなかったけれどつい飲み干しちゃいましたね、の顔で会釈をし、店を出た。また来ようと思った。

 蕎麦屋の近くのスーパーで夕食の食材を探していると、いちじくが売っていた。先週からずっと探していたので嬉しかった。家に着いたのは16時くらいだったと思う。日が暮れるまでは、自分の持っている書籍のなかで、時間に関する記述がなされているものを本棚から取り出し、じっくりと読むことにした。調べたいのは、客観的な時間(時空を等質的で、分割可能で、測定可能な媒体として表象するようなニュートン的な時空の枠組み)ではなく、主観的な時間についてであった。とくに、複数の行為主体が観測する主観的な時間の「二次的な組織化(束ね)」に関する文言を探していた。ベルクソン、バシュラール、マクタガート、アインシュタイン、エリー・デューリングなどの文章を棚からひっぱりだして、ひとまず読んでみている。

 そろそろ夕食を作ろうかというときに、友人からメッセージが届いたので、返信を考える。孤独でいることについて(いささか唐突ではあったが)真剣にメッセージを交わした。単に孤独であるのでなく、誰かとともに孤独であること、は、ひとつの希望だと思える。

 メッセージがひと段落し、少し真剣な気分をそのままに、ぼくはかなり真剣に、パイナップルの代わりにいちじくを使った酢豚を作った。黒酢、砂糖、醤油、酒、山椒などを混ぜ合わせたタレを煮込み、カラッと揚げた豚肉とパプリカを投入し、火を止め、フライパンのなかでいちじくを優しくまぜあわせる。おいしかった。未知の領域という感じであった。が、パイナップルとは異なり、果肉が柔らかいいちじくは甘みがタレにかなり溶け出してしまうので、想定したよりも甘めの味付けになってしまった。誤算であった。今後は砂糖の量は少し気をつけなければいけないなと思った。このころになると、蚊に刺された痒みはいつのまにか消えていた。風呂に入って、先ほどの作業の続きを少し進めて、寝た。

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SEPT.1,2020_表面について

 季節というやつはとてもまじめな性格をしているらしく、日付がちょうど9月に入った今日の深夜から朝方にかけて急に涼しくなって、秋の訪れを感じる日となった。今年は信じられないくらい時間がすぎるのが早いのだけれど、これは自宅で過ごす時間が長いからなのか、住む場所や働く場所が変わったからなのか、それとも単に年齢のせいなのか、わからない。

 今月上野で展示をおこなうから、最近はその準備に追われている。あるひとつのトピックに関して、共同制作者たちと時間をかけて話し合ったり、あれこれ悩んだりしながら、わけもわからず何かをかたちにしようとしている。不安と疲労と期待でないまぜになりながらも、この作業にはどこか充足感がある。暗闇のなかから、手探りで、どうにか光を見つけようとしているような感じだ。

 そういえば今月の現代思想がコロナ禍での日常生活を特集していて、展示のテーマとも関連するので読んだのだけど、そのなかに収録されていたバトラーのテキストが非常によかった。表面について。

私たちは世界の表面を共有している──以前は知らなかったとしても、いまはそれがわかる。あるひとが触れた表面にはそのひとの痕跡が残る。表面はその痕跡を受け入れて伝播し、次にそこに触れたひとに影響を及ぼす。表面といってもさまざまだ。プラスチックは長く痕跡を残すことはない。だが、多孔性の素材にははっきりと痕跡を残すものもある。人間やウイルスのようなものは、短時間あるいはより長く、私たちが共有する世界の物質的な構成要素となる表面に残り続ける。 人々を結びつけるときにモノがどれほど重要なのか──以前は知らなかったとしても、いまはわかるだろう。今日、商品の生産、流通、消費によってウイルスを感染させるリスクが生じている。荷物が玄関に届く。置いていった相手の痕跡は見えない。荷物を受け取って家に持ち込むと、その痕跡や広範にわたる見知らぬ他者と接触する。荷物を置いていった作業員も、モノを作って梱包した人々や食品を扱った人々の痕跡を持ち運んでいる。彼らはひときわ密度の高い移動現場で、包装された食品の受取人が回避しようとするリスクを背負っている。〔...〕にもかかわらず、なぜ働き続けるのか。多くの場合、彼らが直面している選択は、病気──場合によっては死──のリスクを冒すか、あるいは失業かというものだ。

ジュディス・バトラー: 世界の表面の人間の痕跡, 清水知子訳, 現代思想8月号, p.172, 2020 

私たちの社会的諸関係を描き出すモノは商品でもある。だが、それは手摺り、階段の踊り場、建築物のすべての接触面、飛行機の座席、しばしのあいだ痕跡を受け入れ伝染させる表面でもある。この意味において、世界の表面は私たちを結びつけている。それどころか、物質的なインフラストラクチャーを通り抜け、物体の表面に付着するものに対して私たちを等しく可傷的にし、私たちのあいだを行き交うモノの表面で生きるものに対して、私たちはこれまで以上に危険な影響を受けやすくなっているのだ。私たちはモノに依存していきている。〔...〕モノや他者への意図せぬ近接性は公共生活の特徴であり、公共交通機関を利用し、人口密度の高い都市の街路を移動しなければならない人々にとって当たり前のことだろう。狭いところではぶつかるし、手摺りに寄りかかったり、行く手にあるものに触れたりする。だが、その接触が病気の可能性を増大させ、その病気が死の可能性をもたらすときには、偶然の接触や遭遇、相互のすれ違い、ちょっとした雑用といった状況が死をもたらす可能性がある。このような状況下では、私たちに必要なモノと他者は私たちの生命をとてつもなく脅かす可能性として現れる。 パンデミック的状況は、こうした労働上の諸関係だけでなく、労働、移動、社会性、住居に暗示される生と死の条件も含みながら、モノがどのように私たちの社会的諸関係を構造化し、維持しているかを再考するよう問いかけている。

Ibid., p.173

ウイルスはモノとその表面を通して、見知らぬ人や親しい人との親密な出会いを通して私たちを結びつけ、生そのものの見通しを条件づけ、危険にさらす物質的な結びつきを混乱させ、剥き出しにする。だが、この危険に満ちた潜在的な平等は、使い捨て可能な生の境界を明確に画定し、無数の不平等の形態を強いる社会的、経済的世界のなかで変容するものだ。私たちが築くケアのコミュニティは、来るべきよりラディカルな社会的平等を予示するものかもしれない。だが、それらがローカルなコミュニティ、言語、ネイションに縛られたままであれば、コミュニタリアン的実験をグローバルな政策へとうまく翻訳することはできないだろう。〔...〕ウイルスが道徳的な教訓をもたらすことはない。ウイルスは道徳的な正当性をともなわない苦悶なのだ。だがそれは、グローバルな連帯の相互接続という別のところから光を当てる視線をもたらしてくれる。それは自発的に起こることはないが、ロックダウン下で、生存の平等という名の下に、自らを一新する闘争を通してのみ実現するだろう。

pp.176-177

 バトラーが強調するのは、僕らが事物に依存して生きているということ、そして、すべての事物には社会的諸関係が織り込まれているということだ。たとえば今手元にあるタオルにも毛を刈り取られた羊がいて、羊毛から糸を作り糸を織り上げ布をつくる機械とそれを実行する人がいて、農場を運営する人がいて、ウールからタオルをつくる人がいて、それを商品として梱包する人がいて、それを陳列するお店があって、商品を私の家まで配達してくれる作業員がいる。あるひとつの事物には、目には見えないけれど、社会的な関係性と、そこでの無数の接触が刻まれている(そしてそこでは常に、「感染リスク」の不平等な分配が発生する)。

 事物に愛着をもつということは事物を物神化(フェティッシュなものに)するということである。それはつまるところ、モノに織り込まれた社会的諸関係を「忘れる」ということだ。このタオルに関わったすべての労働を、いったんなかったことにすること。それによってはじめて、僕はタオルの質感を純粋に享受し、私自身の生を刻むことができる。ところが今日の危機的な状況は、素朴にモノの表面を愛で、愛着をもつということを容易でないものにする。感染症が暴き出してしまうのは、モノの表面には常に一定のリスク=他者との不可避の関係性が存在しているということ、だけではない。僕らは目に見えない身体の痕跡を日々モノに残し、仕事と生活のなかで、他者の痕跡を運んでいるということも、だ。

 だからこそ、僕らは視覚=イメージと音声=言語を最大限に用いることによって、触ることなく他者とコミュニケーションをとることを日々心がけている(その範例はZoom等を用いたオンライン・ミーティングだろう)。触覚的なコミュニケーションは現在危機的な状況にある。それは比喩的な意味ではなく素朴に「危険」なのだ。たとえコロナが収束しても、触覚がコミュニケーションの手段として追いやられてしまったというこの事実は、僕らの日常に大きな爪痕を残すような気がしている。

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 これは先週末の猛暑の日、朝5時前くらいに目が冷めたときに撮った写真。喉がカラカラ、頭フラフラ、軽くめまいがするという熱中症一歩手前の状態だったが、窓から朝日が森に差し込んでいて、とても美しくて、しばらく眺めていた、そのときの。ふと我に変えって、水道水をがぶ飲みしてから、また寝た。

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AUG.28,2020

 たまたま多摩川の河川敷に立ち寄ったら視界が突然ひらけ、風がびゅーっと吹いていて、遠くて少年たちが半裸でサッカーをしているということがあった。徐々に日が落ちて、視界が青くなり、電車の窓から漏れる光にも、青いところと青くないところがあるということが見えた。雲のながれが早く、星が動いているように見えた。人生のなかでもごく稀に訪れるような類の、奇跡的な時間だった。

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AUG.21,2020_かけがえのなさの由来

おそらく、家はそこに住む一人一人の心の投影を受けて、初めて家として成立する。またそのようにして成立した家のイメージが、そこに生きる一人一人を見えない光線で照らし出し、その行動に不可視の規範をあたえ続ける。

中平卓馬「家・写真──二重の過去の迷宮」, 『決闘写真論』, 朝日新聞社, p. 56, 1995(初版: 1977)

「決闘写真論」(アサヒカメラ, 1976)という雑誌の企画で、中平卓馬は家(をめぐるイメージ)について短い文章を書いている。この企画は篠山紀信の写真に対して中平卓馬がテキストで応酬する、というもので、そのなかのトピックのひとつが「家」なのだけど、これは前年の1975年に篠山が『家』という写真集を出版したことに起因するものと考えられる。『家』という写真集には、(中平が最も親しい友人だと明言する)多木浩二の文章──後の『生きられた家』──が収録されている。両者のテキストは篠原紀信の写真とともに世に出たという点で共通しているのだけど(この出自からしても、『生きられた家』は「建築論」としてではなく、はじめから「建築のイメージ論」として書かれたものだということがわかるのだが)、内容に関してもそれほど遠くない射程のなかで書かれているんじゃないかと僕は考えている。それについてはひとまず置くとして、中平のテキストを続けて引用してみよう。

家は、すでに不動のものではなくなってしまった。何回か移り歩く借家、アパート。家は遊牧民のテントに次第に近くなってきたのかもしれない。 しかし、アパートの一区画一区画も、やはり生活の機能に結びついたそれぞれの意味がそこに住むひとによって付与されてゆき、時には、ただの機能を超えた個人的な秘儀性を獲得してゆくことも同時に否定することはできない。この部屋とあの部屋の違い。この部屋のこの一画とあの一画との違い。そんなものが次第にでき上がってゆく。その意味では、家はそこにひとが生きる限り、新しい形をとって生き続けるとも言えるだろう。重要なことは、家はそこに生きる人間によって、その息づかいによって、やはりただの住居、機能としての住居を超え出たものに、その都度転化されてゆくということである。今日の都市生活では、ひとつの家にしがみついて生きるということが少なくなり、あの家、このアパートと移転することが多くなっているにしても、その時には、かつて一本の柱とそこに住むひとびととの間にあった〈密な〉関係は、空間的な移動とともに地図学的な空間に翻訳されて存続しているに違いない。家が、そこに生きるひとの一回限りの生の記憶とともに成立するものだとするならば、この現代の遊牧民の一人一人にとって、それは空間移動の一点一点に記されるはずである。そして、形こそ違え、それらのひとつひとつは、つねに代替不可能であり、それは生の一回性に正確に対応している。その限りにおいて、家は、そこに住み、またかつてそこに住んだひとにとって、ある特殊な意味をこめられて〈聖性〉を獲得している。家に対して、われわれがいだくある種のなつかしさと裏腹にあるかけがえのなさは、このことと関連している。そしてそれはまた、他者とはけっして共有されない、ということを暗黙のうちにふくんでいる。家の映像、家の写真は、その意味で、初めからこのようなディスコミュニケイションを前提にしている。

Ibid., pp.57-58

最近は家にいる時間が長いし、引っ越したばかりということもあって、家というものについて考えることが多く、それでなにげなくこのテキストを読み返してみたのだけど、そうしたら自分が読みたいと思っていたことがピンポイントで書いてあって、さすがは中平卓馬......、となった。

 中平がここで指摘しているように、ぼくのようなアパート暮らしの人間にとっても、家の〈聖性〉としか呼べないような感覚は残っているような気がする。自分にとって、それはなんだろうか。ひとつはたぶん素朴に、部屋のなかに配置される事物だろうと思う。引越しが終わって、荷造りが終わったあとくらいから、今住んでいる部屋が「自分の家になった」気がした。ところが部屋のなかの事物だけが〈聖性〉(部屋のわたくし性?)を構成する要素ならば、どんな土地に引っ越そうと部屋の固有性は変わらないことになる。でもそうではない。もひとつ重要なのはたぶん周辺の環境だ。たとえば僕にとっては、家の近所にあるポスト、隣の家の屋根の色、駅までの道のり、近所の森、のにおい、アスファルトのヒビ、みたいなものらのひとつひとつが、以前住んでいた部屋の一回性を構成していた、と思う。これはよく考えるととても不思議なことだ。というのも、“私の”部屋の聖性(かけがえのなさ)を構成しているのが、私の部屋の外に存在している(しかも私の所有物ではない)要素だったりするのだから。しかも、こうした要素はたいていの場合は取るに足らない、なんでもないものだったりする。誰の所有物にもなりえない、「任意(any)」のオブジェクト。

 全員の顔と名前が一致するような集落的なコミュニティの場合こうはならない気がするんだよな(自分の富山の実家は村!って感じの場所だからそう感じるのだけど)。この場合、まちのなかにあるオブジェクトはあくまでその村の構成要素(村の住民と共有している所有物)であって、「私の家っぽさ」をつくる要素にはなりえない。ところが遊牧民的な借りぐらしをしている場合、周辺に住んでいる人々との交流がほとんどないということもあって、まちなかに存在しているオブジェクトを知らず知らずのうちに私有化する傾向がある気がする。今自分が住んでいる(あるいはかつて住んでいた)空間に対する「ある種のなつかしさと裏腹にあるかけがえのなさ」は、そうした心理的に私有化されたまちなかのオブジェクトによって作られているような気がするのだ。もちろん定住地としての家がドドンと建っていれば「私の家っぽさ」が近所の赤いポストに支えられる必要はないわけだし、実際心理的にもあんまりそういうことは起こらないような気がする。要するに遊牧民的な借りぐらしの場合は、部屋の内部にあるか外部にあるかに関わらず、そしてそれがパブリックなものかプライベートなものかにも関わらず、今自分が住んでいる場所の「近い場所」に布置しているオブジェクトはすべて、家の〈聖性〉の構成する要素になる、ような気がしている。

 

 では、家そのものというよりも、「家のイメージ」についてはどうだろうか。

一枚の家の写真、とりわけそれが家の内部──家具、壁掛け、汚れた壁のしみ等々といった写真である場合、その写真を見る者は、自分がついにその中にはいってゆくことはできないのだといういら立ちにかられる。そこにかつて住んでいた者が、この家具のひとつに、この壁掛けに抱いたであろう思いを、その家の写真を見る者はついに共有することはできないのだということを、つまりわれわれは永遠の異邦人であるということを、たった一枚の家の写真が突如として思い知らせる不思議な体験をしたことはないだろうか。

Ibid., p.59

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△ Walker Evans: Bed and Stove, Truro, Massachusetts, 1931

 家の写真や映像がはじめから絶対的に抱え込んでいるような、他者との共有不可能性。圧倒的なアクセスのできなさ。「とりかえしがつかない」という感じ。フィルムというメディウムの特性は、家のイメージに対するこの種の感覚を強化していたのではないかと思う。その特性とは、「書き込み」がおこなわれる時間(瞬間に封じ込められる時間、シャッターを押し露光を実行したその瞬間)と、「取り出し」がおこなわれる時間(事後的にフィルムから現像・プリント・映写がなされうる変動的な時間)が決定的にずれるという点で、これが家の写真や映像が元来もっていた喚起力の大きな原因になっていたのではないか。だからたぶん、かつての「イメージ」は、単に〈かつて - あそこ〉を記録する媒体というよりも、「書き込み」と「取り出し」の時間的なギャップを架橋する〈いま - ここ〉を強烈に現勢化する媒体だったのではないかと思われる。フィルムがデジタルになったからといって、写真や映像のこの特性(「書き込み」と「取り出し」の時間的なギャップ)が消滅したわけではもちろんない。が、とりわけリアルタイムで映像が配信される類のコミュニケーションにおいては話が変わってくる。たとえばZoomで会話をしているとき、友人の私室の映像が背景として映ったとしても、そこから従来の家のイメージがもっていたような「とりかえしのつかなさ」を感じることはないのではないか。そこでは、自分には決してアクセスできない他者にとっての親密な空間が、時間的なギャップを脱臼されたかたちで──私たちになにも喚起しないただの背景として──だらだらと流れている。

 加えてテレワークが進み、自宅の部屋が仕事のおこなう空間に浸食されてしまっている、という状況も、家の聖性(かけがえのなさ)を巡る従来のあり方に変化をもたらしているように思う。PCのカメラが外界と私室をつなぐ新たな「窓」となり、私的なオブジェクトの“退避”が余儀なくされるような状況は、私の思い出深い所有物を、私の部屋の聖性(かけがえのなさ)を担保する要素から疎外するのではないか。なにが残されているだろうか。もしかしたらそのときには、家の近くにある赤いポストとか、アスファルトのヒビとか、道沿いの植え込みとか、そういう部屋の外側にある「任意(any)」の要素こそが、家のかけがえのなさを作るのではないか、と思ったりする。この倒錯的な状況を、僕らはどう捉えればいいのだろうか。ずっと困惑している。

AUG.15,2020_デジカメと熱海

 先週の日曜のことだけど、熱海の教授の別荘に遊びにいってきた。後輩ふたり(元ゴルフ部)も一緒だったのだけど、翌日の月曜日の朝7時くらいから3人はゴルフにいってしまった。ぼくはゴルフはできないし(というか球技全般ができない。ゴルフはたぶん球技なので苦手だと思う)、午後から用事が入っていたものだから、熱海の街をプラプラと散歩したあと、モーニングを二件ハシゴし、そそくさと自宅へ帰った。

 そのときの写真をアップしようかなと思うのだけど、ちょうど熱海にいく日の直前くらいに、なんとついに、デジカメを買ってしまったのだ。......宵越しの銭は持たぬスタイル(震)。いつも中判の現像を出している千駄木のイエロージャケットというお店がかなり遠くなってしまったということや、建築の仕事で現場の写真を撮る機会がけっこう増えてきたということや、動画をいろいろ試してみたいという欲求が高まってきたということやらが、購入の要因として挙げられる。ともかく、フィルムで写真を取り始めて3年以上が経過したが、ようやくちゃんとしたデジカメを手に入れたことになる。仕事と趣味の写真が分けることができて、とても嬉しい。ちなみに機種は、型落ちで安くなっているハイエンドのモデルを買おうと思っていろいろとリサーチし、最終的にソニーのα7R2に落ち着いた(レンズはTamron 28-75mm f/2.8)。そうとう高機能な機種でも、発売から5年くらい経つとかなり値段が下がっているのでけっこう手頃だ。このボディを選んだひとつの理由はツァイスの単焦点なので、いつか手に入れたいところ。今回はひとまず汎用性を考えてタムロンの標準ズームレンズを選んだけれど、このレンズもたぶん、めちゃくちゃいい。

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 熱海ではいった喫茶店はパインツリーさん(上)とボンネットさん(下)。ボンネットさんの野菜を自分ではさむスタイルのハンバーガーすごくおいしかった。マスターのおじいさんからは、塩はポテトだけにかけるよう念を押された。ちなみに熱海には来宮神社という有名な神社があって、喫茶店が開店するまではここで過ごしていた。朝7時台だったので、他に人はいなかった。ここには「一周回ると寿命が一年延びる」とか言われているたいそう立派なクスノキがあるのだけど、やることもないものだから、すずしい〜とか思いながらこの木のまわりをぐるぐると回っていた。その姿を後から来たカップルにぎょっとした感じで見られてしまって、そのときは不思議だったのだけど、今思い返すとたぶん、寿命ガチ勢に見られたのだと思う(近くには滝もあり、「ザ・パワースポット」という感のある場所であった)。たぶん数十年は寿命が延びた。

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AUG.13,2020

 今回の論文の再査読は本当のガチのまじでたいへんだったが、無事に提出することができた。よかった。コロナの影響で4月から5月にかけて大学に入校できず、解析ソフトの入ったPCや研究室においてきちゃった資料がまるごと使えなかったので日本建築学会に相談したところ、6月だった〆切は2ヶ月延びて8月になった(どうやらこの間に再査読になった論文は同じような措置がとられているみたい)。延びたとはいえ具体的な検証ができない期間も長く、けっきょく〆切いっぱいまで作業をしてしまい、提出が今になってしまったと。4ヶ月間、ああでもないこうでもないとずっと悩んでいたので、なんだか憑き物が落ちたような感じ。

 今回は前回に比べたら厳しい査読内容だったが、終わってみれば本当に査読に助けられたというか、内容がすごく明確になったように思える。採用にせよ不採用にせよ、良くなったことには変わらない(とはいえ不採用だとかなり落ち込むのだが)。なんでこんなこと指摘するんだろうと最初はわからなかったことも、延々悩んでいくとその真相がわかってきたり、あるいは自分でも気づかなかったような重大な発見があったりと、今回は査読者にすべてを見通されている感が終始あり、愕然としてばかりであった。自分にこんな的確な査読がいつかできるかというと全然そんな気がしないというか、無償でこんなたいへんなことをと思うと感謝しかないというか、とにかく査読者の方々はすごい。

 ようやく肩の荷が降りた。9月に発表する大切なプロジェクトがあるので、この一ヶ月は全力でそれをやる(もちろん仕事もがんばるけど!)

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以前住んでいた場所で、最後に撮った写真。

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AUG.7,2020_郊外の王

 ちょっと油断するとまじで死ぬんじゃないかというくらい、日中はあつい。これまでは日陰で窓を開けていればなんとかなったけれど、最近は窓を開けてもただ熱風が入ってくるだけで、どうにもならない。2年以上育ててきているアジアンタムも一日で一気に枯れちゃって、急いで一日中日陰となる場所へ移動させたけれどかなりピンチだと思う。道には虫もたくさん死んでいる。家のなかにも虫がたくさん死んでいる(ダンゴムシたちよ、きみらいったいどこから入ってきてるんだ)。死の季節だ。

 気休めかもしれないけれど、2Lのペットボトルを凍らせて扇風機の前に置いておくと冷気が体に当たって気持ちいいことに気がついた。夜はその風を体に当てていれば寝つけるのだけど、先日夜中に目が覚めたときは喉カラカラ・頭フラフラで、軽い熱中症のような症状が出ていて危なかった。深い眠りについたころにはペットボトルの氷が溶けていて......というパターンで、これは気をつけないといけないと思った(このときはなにを思ったか窓を閉め切っちゃってたのだよな。皆さんも気をつけて)。とはいえ日中(12-17時くらい)はどうがんばっても自宅でのテレワークは無理なので、おとなしくエアコンがきいた施設に避難している。郊外というだけあって、近くにはコメダ珈琲やモスバーガー、スタバ、マックなど電源のある喫茶店が充実している。駅前の図書館にいくことも多い。海老名図書館は今はやりの?蔦屋書店を併設している図書館で、蔵書数はそんなだけど、ソファが多かったりして空間としては快適。でもコロナの影響で座席数が減らされていて、その上仕事や勉強で図書館を利用する人が普段よりも多いので、席を確保するのがかなり難しいという問題がある。それと、海老名サービスエリアも家から徒歩5分くらいなので、ここもたまに使っている。充実したSAであることで有名だけど、実は徒歩でも入退場可能なので、近所の人はよく利用しているみたいだ。中には深夜までやっているフードコートはもちろん、24時間営業の成城石井なんかもあったりするのでけっこう便利である。ともかく、こうした施設を駆使しないと熱中症で死にかねないので最近は必死だ。

 それにしてもこのあたりはスタバが異常に多い。海老名SAにひとつ、駅までの道中に店舗がひとつ、駅前のショッピングセンターにふたつ、海老名図書館にひとつ。なんと計5店舗だ。仮にスタバの数が郊外度を測る指標であったならば、海老名は郊外のなかの郊外、キングオブコウガイとなるに違いない。ロードサイドの風景が一点に凝縮している感じというか。その特徴は、すごくバリエーションがあるようにみえて、実はとても均質だということだ。すべてがあるように見えて、実は何もなかった......、というやつ。スタバはどこにいってもスタバなので、安定はしているけれど、楽しくはない。個人経営の喫茶店などほとんどなく(駆逐されてしまったのかもしれない)、お店もチェーン店ばかりで、なんというか、駅前一体がおおきなイオンになっているような感じ。

 でもこれがたぶん、近代というやつの最終形態なのだとぼくは思う。産業資本主義に裏打ちされたモダニズムの、ひとつの達成だ。見事な達成だ。この達成は郊外都市のあり方を即物的に規定しているだけではなく、そこに住む人間の心身(知覚体制)をも見事に作り変えてしまう、そういうたぐいのものだ。技術は単に便利なものではなく、ぼくらの日々の生活の経験、情動、認識にまつわる諸能力を書き換え、知覚に麻酔のような作用を及ぼす。海老名がとくべつなのではない。おそらく日本の都市のほとんどが、そしてそこに住む大多数の人々が、この影響を被っている(もちろん自分も例外ではない)。個々人の生々しい現実が、圧倒的に個別具体的な生(活)が、想像を遥かに超えた規模と密度でひしめいているのにも関わらず、都市空間はどこまでも均質だという異常さ。こうした現実に対して建築家は何か策を講じられるのかというと、ぼくらの手元には切れるカードがほとんど残されていない。

 でも、富山の郊外オブ郊外で育った人間である自分が、建築の技術を通して幸せにしたいと思っている人々のほとんどは、こうした郊外的な生活なかで生きている。そういう意味では、例えば都内の個人経営のお店がたくさんのこっているような場所よりも、海老名のほうがよほど「自分の問題」として考えられる場所だという気がする。そうはいっても答えは簡単には見つからない(ものすごく単純に、土地が余っているということはひとつの可能性だろうか)。郊外論はちょっと本気で書いてみたいかもな、という思う今日このごろ。それにしてもあつい。

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JULY.8,2020

 引っ越しの準備を進めているが、なかなか難しい。今の部屋はとても狭いので、荷造りをするにも順番が大切になるからだ。油断すると身動きがとれなくなってしまう。それと、ダンボールに本を詰めていると買ったものの読むのを忘れていた小説なんかを発見したりして、思わず読んで見ちゃったりして、時間が過ぎてゆく。

 そろそろ寝るかという頃合いに、雨の当たらない壁際へと身を寄せて、玄関先でタバコを一本吸うと、まだ3吸いくらいしかしていないタバコの先っぽに、軒から落ちた大粒の雨粒が当たって、火がジュワっと消えた。さいきんは週に2本か3本吸うくらいなので、ああすごい確率だなと思い、すぐ寝た。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak Color Plus 200

JULY.5,2020_泣きそう

 昨日は久しぶりにお酒をたくさん飲んだ。楽しかった。帰宅してから泥のように眠って、10時くらいに起きて、たぶん8時間くらいは寝たのだけど、それでもまだとても眠かった。でも11時から歯医者なので、やれやれ行くかと思って準備をしていると、机のうえのコップを引っ掛け見事に落下させてしまい、かなりいい音を立ててそれが割れた。細かく割れたガラスの破片はおどろくほど広範囲に散らばっていたので、二日酔いで頭がいたいなか、泣きそうになりながらそれを片付ける。小学生のころ友達に、ガラスの破片を踏むとそれが血管を回り最終的に心臓に到達して死ぬんだよ、と言われたことを唐突に思い出し、死にたくない!!オラ死にたくない!!と思いながらコロコロを駆使し徹底的にガラスの破片を回収しようとする。そんなことをしていたら、気づけば10時55分で、ものすごく焦る。たいへんなスピードで自転車を漕ぎ歯医者へと向かう。治療が終わったあと外に出ると大雨で、びしょ濡れになりながら帰宅する。家に帰ると、窓を開けっ放しで出てしまっていたので、床がべちゃべちゃになっている。それを拭いて、ガラスの破片回収の作業を再開する。

 あまりにも泣きそうなことがたくさんあったので、その後ふて寝をして、夕方くらいに起きて今にいたる。嫌なことがあっても寝ると忘れるので、いまは元気。怒りではなく、「泣きそう」となるときは、たいていその嫌なことの原因が自分にあるときなのだ。今日の発見だ。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak Color Plus 200