MAY7,2018_私の死後に向けた制作

○最近、とても素晴らしいブログをいくつか知ることができた。そういうブログはいくつかブックマークに入れているのだけど、彼/彼女らのテキストを日常的に読むことができるのはとても幸福なことだなと思う。

○何度も読み直している本がいくつかあって、僕はその著者らを心の師匠だと思い、勝手に親近感を感じていたりする。彼らはもう生存していないが、僕の中では生き生きとした言語をもち、各人が独特の言い回しをもちながらしっかりと実在していて、ことあるごとに叱咤激励をしてくれるのだ。僕は彼らから知識や技術を引き継いでいるからこそ、一応いま僕なりの仕方で、ものを考えたり作ったりできているのだと思う。彼らから(勝手にではあるが)教育され、育てられたからこそ、僕の身体には複数の思考と時間が流れ、いまを生きていられている。

人間の生は総じて有限だが、しかし僕の死後もたぶん世界は、しばらくはずるずると続いていくだろう。だからこそ、大げさにいえば僕の死後の世界に向けた教育の可能性を、継続的に考えていきたいと思う。自分の知っている情報を単に伝えるだけではなくて、それを引き継いだ誰かが自由に、そしてのびやかに思考していけることができれば、うれしいなと思う。あるいは、僕が残したなんらかの仕事が、ときには誰かを鼓舞し、それによって彼・彼女らがよりよい仕事をできるようになるようなことがあれば、もっとうれしいなと思う。

  自分のいない世界に向けて、死後の世界の誰かに向けて、ボールを投げること、できるだけ遠くに。そんなことをあるブログの、とても美しい記事を読んでいて考えていた。

  

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(Mamiya RB67 Professional, Sekor 127mm F3.8, FUJICOLOR PRO 160NS)