AUG.15,2021_同質性と反射

 雨がすごい。実家の富山や西日本が心配だ。

 来週の日曜日に非常勤をしている専門学校でちょっとしたプレゼンをすることになったので、齋藤と午前中少し打ち合わせたあと、昨日買ったセブンの「ふわふわチョコクリームちぎりパン」(うまい)を食べてから、博論の製本業者と紙の種類をあれこれ悩んでいた。先日、本論のPDFを友人に読んでもらった際に、詳細な感想に加えて、誤字脱字にすべて赤字を入れて返してくれたことを思い出す。とても感動した。誠実な人というのは世の中にはたしかに存在している、と背筋がピンとのびる。のびた背筋のまま、この勢いでえいやと行っちゃおうと、部屋の掃除を敢行する。机の上のごみを袋にいれたところで急に眠気がきて10分だけとベッドに入る。起きると15時になっていた。そのまま現在、ブログを書いている。雨はまだ強くふっている。

 Twitterでジャック・タチの映画がもれなくアマゾンプライムに追加されているということを知り、さっそく「プレイタイム」を見てみた。恥ずかしながらタチの映画はこれがはじめてだった。内外の地面、ビルの架構と設え、自動車の色や質感、らが極限までに均質な都市風景を作っていて、それを見るだけでもこの映画の価値があるように思える。このインテリア・建築・都市の連続性は、画面のなかの要素が常に等価であるような映像へと結実し、手前に写っている物語上の焦点となる登場人物たちの会話・動作と、画面の隅で何かやっている脇役の存在を強弱なく眺める態勢を見る人に要請する(主人公のユロよりも画面の隅で書類を熱心に立ち読みしているお姉さんのほうが気になってしまう)。建物のガラスの反射が、この視点の散漫さに拍車をかける。さらに、建物群のシンメトリカルな配置が、このガラスの反射の効果をより一層強力なものにして、もはや錯乱状態とも言えるような画面をつくる。質感の同質性、ガラスの反射、そしてレイアウトの対称性といった各種パラメータの調整役となるのはカメラの配置の仕方であり、単なるフラットな映像〜錯乱状態の画面といったグラデーションをつくりつつ、なんとも言い難いユーモラスな状況を生み出している(ユロをはじめとした登場人物たちの戸惑いは、そのまま映画を鑑賞している私たちの戸惑いと連続している)。ぼくの意識はずーっと散漫としていて、物語にはついていけなかった。呆然としてへらへらと画面を眺めていると、次第に絶望的な気分になってくるのはなぜだろう。

 下のシーンはとてもよかった。ほかにも印象的なシーンはとても多くて、そのたびにスクショをパシャパシャ撮っていた。アマゾンプライムで見ることができるのはとても助かる。タチのほかの作品も今のうちに見ておこうと思った。

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▲建物群がすごく対称性の強い配置となっているので、ガラスの反射効果が建物をまたいで波及する。

 

○本日のタブ

ロベルト・エスポジトの『近代政治の脱構築―共同体・免疫・生政治』。読みたいな、読まなきゃな、と思ってタブとして保存していたのだろうけれど、今の今まですっかり忘れていた。なんで買ってないのかと思ったら、どこにも在庫がなくて、Amazonで高値で取引されているような状態だった(業者の「ワンチャン」感が溢れている、この値段でだれが買うんだという中古本の値段のふっかけ、Amazonでよく見る気がする)。それでおそらく、図書館で見つけたら読もうとか考えて、タブが残っていたんだろう。