NOV.10,2020

近所に台湾料理屋があることはずっと前から知っていたが、いったことはなかった。お昼を食べにいったら、700円のランチセットが充実のラインナップだった。天津飯のランチを注文したら、嫌がらせかというくらい量が多かったけど、なんとか食べきった。セットにはミニ台湾ラーメンが付いていたが、これの元祖は台湾ではなく名古屋であることを、ぼくは知っている。また、セットには餃子がふたつ付いているのだけど、揚餃子で、ソースがかかっていて、なんだか釈然としない気分になった。でもおいしかったので、また来ようと思う。

となりのテーブルでは、さっきまで現場にいたという格好のおじさんふたりが、同じようにランチセットを食べていた。テレビではアメリカの大統領選が熱心に報道されている。おじさんふたりは、自分がアメリカ人ならどちらに投票するだろうかということを、真剣に話している。

台湾料理屋は、自宅から西の方にある。海老名の西には相模川があり、それを越えると厚木市がある。いまだに厚木にはいったことがなかったので、天気もいいし、いってみるかと思い、自転車をこいで、本厚木駅へと向かった。はじめてきたけど、郊外っぽい雰囲気は海老名とよく似ている。でも海老名と違って、長く地域に根づいてきた郊外の中心地、という感じがする。駅前の珈琲館に入って仕事の続きをする。窓際に座ったら、とても寒かった。トイレにいくたびに、ペンダントライトに頭をぶつけた。

駅前に本屋があったので立ち寄ってみたら、とても充実していた。地上4階、地下1階で、建築の専門書も売っている。4階には模型材料なんかも売っている。ここらで建築学科のある大学でもあるんだろうか。神奈川工科大学と東京工科大学かな。

ここにきて、以前に一度、本厚木にはきたことがあるじゃないか、ということを思い出す。2019年の4月に、ある幼稚園の見学会できたのだった。本厚木駅からバスに乗って(駅前の公園と一体化したようなバスのりばが印象的で、これがトリガーになって思い出した)、バスから降りて1時間くらい歩いたのを思い出す。帰りもバスがなかなかつかまらず、海老名駅に着いたころにはもう夕方だったはずだ。驚くほど移動に時間がかかって、とんでもなく疲労したことを思い出す。なんで忘れてたんだろう。当時はまったく知らない土地だった訳だけれど、そこに今住んでいるということに不思議な気分になる。

夜になって、相模川を超えて、海老名に帰ってくる。相模川はとても川幅が広くて、いい写真が撮れそうな場所だな思う。本厚木駅と海老名駅のあいだには、厚木駅という小さな駅があって(駅名は厚木なのに住所は海老名市)、この辺りは、以前に来たことがあるような、妙な親近感を感じる場所だった。少しずつ、このあたりでの生活を繰り返すうちに、いつのまにか、土地の雰囲気への愛着のようなものを感じているのかもしれない。海老名とか本厚木みたいな、いわゆる郊外であっても、場所特有の雰囲気みたいなものはやっぱりあって、そこに愛おしさを感じるということも当然あるわけだ。目に見えるのは、何の感動も場所の特異性もない雑多な風景なのに。この感覚が何に担保されているのか、いまいちわからない。たくさんの人がそこに存在している、生活を繰り返しているということに対するリアリティを、どこかのタイミングで感じ始めるのかもしれない。たとえばスーパーにいって、豚肉のこま切れが売り切れているようなときに。

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