JULY.19,2020

 以前住んでいたアパートの退去の立ち会いなどもあり、柏へ。ちょっとした旅くらい遠いなと思って調べてみると、ちょうど富山の実家から金沢くらいまでの距離があった。感覚としてはたしかに遠いけれど、旅行までは行かない感じ。2時間かからないくらいだから 、休日に遠出するならギリギリいけなくもない距離。通っている歯医者が柏にあるので、今後も3週間にいっかいくらいは行かなくてはならない。柏とさよならできない。

 せっかくだからどこかで外食しようと柏駅西口のボンベイというカレー屋(柏市民の定番)に行ったら、いつの間にか改装されていて、なんと店名も変わっていた。いつのまにかボンベイつぶれていた......?と衝撃を受けていたら、どうやら経営はボンベイのまま、店名とお店のコンセプトを一新した系列店としてリニューアルしたらしい。カレー屋はカレー屋なのだけれど、なんと、ビリヤニ専門店を掲げているではないか。ビリヤニ一本で勝負しているお店は少ないのでとても嬉しい(たしか北千住にもあって、そこもおいしい)。味もとてもよかった。ビリヤニ(インド風のスパイス炊き込みご飯)に数種類の少量のカレーと、タンドリーチキン、野菜のあえもの、ヨーグルトなどがついてきて、少しずつ混ぜながら食べていく。また行こうと思う。

 立ち会いで久しぶりに前の部屋に入ったら、よくこんなところに住んでいたなとびっくりするくらいにせまかった。とはいえ来年の4月にはたぶん都内に引っ越すので(本当?)、同棲でもしないかぎり、これくらい狭い部屋で再び暮らさなければいけないわけだけれど。とりあえず本をなんとか処理せなあかん。

 以前住んでいた、もぬけのからになった部屋は、なんともいえない切なさがあった。その切なさの原因は、おそらくだけれども、自分が傷をつけてしまった空間への責任、にあるのだと思う。傷つけてしまった責任を手放してしまうことへの罪悪感みたいなものだ。世界に自分の傷がつくこと。それは多分、愛(着)というやつとかなり密接な関係をもっているのだと、ぼくは睨んでいる。

 ところで海老名の家は裏が山なので虫がけっこう入ってきちゃったりする。でもあんまり気にならない。虫を不快に思う感情と、部屋のサイズはかなり関連がある気がする。小指の爪くらいの小型の甲虫がよく一階のリビングにいるのだけど、「いれば?」くらいの気持ち(でもさすがに、ゲジゲジとかムカデとかゴキブリとか、大きくて早いヤツらは怖いのでやっつけてしまうと思う)。以前のせまい部屋だと、こうはならなかったと思う。空間が自分ひとりでは完全にコントロールできないくらいに広いと、もういいかしょうがないし....という気持ちになるのかもしれない。狭いと徹底してコントロールしちゃいたくなる。ちなみに小さな甲虫たちはまったく害がないとはいえ、家のなかにいると多分死んでしまうので、見つけ次第つまんで庭にリリースしているのだけど、きりがない。今の家、入ってきちゃった虫を殺してしまうことになぜかすごい罪悪感があるのだけど、それは虫を愛おしむ善良な気持ちというよりも、自分が家賃を払わずに住んでいるということに起因していると思われる。お金を払わず部屋に居座ろうとする虫たちと自分は、権利的には同じような立場だよな......なあ兄弟......という気持ち。自分だけで空間を占有してはいけないような、そんな。

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Julian LageのEmilyがすばらしい。

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