DEC.3,2018_南三陸→陸前高田

東北で撮った写真④

○南三陸から気仙沼を経由して陸前高田へ。陸前高田ではサイボーグ化した「奇跡の一本松」を見たが、それよりもベルトコンベア施設の名残がすごく印象に残った。陸前高田でおこなわれたのは市街地全体を12mかさ上げするというものすごい工事で、そのための土砂は山から巨大なベルトコンベアを用いて運搬されたのだけど、現在工事はほぼ完了しているので、ベルトコンベアの土台だけが墓標のように残っているという状況だった。

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南三陸町防災対策庁舎

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ベルトコンベアの土台

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○その他、サルハウス設計の「陸前高田市立 高田東中学校」も(外観だけだけど)見学させてもらった。建築物としての精度が高いことは外観からだけでもうかがえる。が、この特徴的な屋根形態の必然性はわからなかった。結局の所、できあがったモノを見ている限りではこの屋根の形態は理解できないのかもしれないとも思った。ワークショップで市民とともに提案を作り上げていく際の、その過程におけるひとつ道具、共通の道標のようなものとしてこの屋根形態のイメージが共有されていた、ということなのかなと予想する。ともすればまとまりのない要求をガタガタにつなぎ合わせたような結果に陥りがちなワークショップベースの設計に、ひとつの骨格をあたえるということ。「屋根」は計画が変化しても維持しうる建築エレメントなので、その点でも相性がよかったということかもしれない。これはとても現代的な「建築言語」の使い方と思う一方で、それが最終的にできあがる建築物に実装された際の効果をも期待してしまうのは欲張り過ぎだろうか。市民のバラバラな要求を受け入れつつ、何かしらの「代表」によってそれを統制すること。これは肯定的な意味なのだけど、建築のもつ抗いがたい”政治性”に設計者は自覚的だ。そしてその政治性をどういった技術で、あるいは素材で実現するのかという側面にも。これは公共建築という問題系の根本的な論点だ。

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)