170711

●好きな小説家は誰ですかと聞かれると、だいたい庄司薫だと答えている。とくに、「赤頭巾ちゃん気をつけて」に関しては、自分は日本でもトップレベルでこの作品のことを愛している人間ではないかと思ってしまうくらい好きだ(多分いまどき感があるだろうし)。この小説は客観的にみても十分名作なのだけど、高校時代のかなりきつかった時期に、恩師から勧められてたまたま読んで、感動したという経験が、ぼくがこの小説をあまりにも好きであるということの大きな理由になっていると思う。くり返し、くり返し読む小説や映画が、たぶん、誰にでもあるのだろう。そういう作品は、往々にして過去の思い出深い記憶をともなうもので、これからも大切にしていきたいなと、ふと思う。今日の夜はそういうわけで、とくに理由はないが、この小説を久しぶりに読み返していたのだった。以下、すごく好きな箇所。

《どう言ったらいいのだろう、たとえばぼくは、それまでにいろいろな本を読んだり考えたり、ぼくの好きな下の兄貴なんかを見ながら、(これだけは笑わないで聞いて欲しいのだが)たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものをめざしていくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、その夜ぼくたちを(というよりもちろん兄貴を)相手に、『ほんとうにこうやってダベっているのは楽しいですね。』なんて言っていつまでも楽しそうに話し続けられるそのすばらしい先生を見ながら、ぼくは(すごく生意気みたいだが)ぼくのその考えが正しいのだということを、なんというかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じとったのだ。そして、それと同時にぼくがしみじみ感じたのは、知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだというようなことだった。つまりその先生と話していると、このぼくまでがそのちっちゃな精神の翼みたいなのをぼくなりに一生懸命拡げてとびまわり出すような、そんな生き生きとした歓びがあったんだ。》(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』,pp.35-36)

●7月に撮った写真⑨

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Ektar 100)