SEPT.15,2020

 展示の準備が終わり、少しずつ日常を取り戻している。

 作品の撮影現場になったので、それはもう悲惨な状態になっていた我が家を、今日はとりあえず一階だけ掃除した。床とテーブルのゴミを分別して、プリンターを定位置に戻し、本を少し片付けて、燃えるゴミをまとめて捨て、床を掃除し、洗い物はすべて片付け、ついでに洗濯もおこなった。地獄のような空間だったけれど、少しは人間性を取り戻したと思う。

 実際のところ、一階よりも二階の方が悲惨な状況なのだが、ぼくは問題は後回しにする派なので、いったんなかったことになっている。阿鼻地獄が叫喚地獄になったくらいのもので、相変わらず地獄は地獄なのだが、日中はだいたい一階にいるので大丈夫だと思う。ベッドが上にあるので、寝るときは二階(地獄)にいかざるをえないのだが、メガネを一階で外して階段を上がる、という対策をとっているので、たぶん大丈夫だと思う。

 先週までのバタバタが履歴として空間に残されているような気もして、それはそれで悪くはないので、このままは二階はちゃめちゃなままにしておいてもいいかなと、思ったりもしている。生活の流れの、いちばん表面に近いところは掃除できたので、今日のところはそれでよしとしよう。

 電車のなかで、『タコの心身問題』(ピーター・ゴドフリー=スミス著, 夏目大訳, みすず書房, 2018)を読む。年下の男の子と、コロナが落ち着いたころにでも読書会をやろうと話していて、その課題図書に指定していた本だ。ただ、自分が展示や論文や仕事でかなりバタバタしてしまっていたのと、コロナがいっこうに収束しないこともあり、会自体は開催を見送ってしまっている状況だ。でも、できれば10月中には開催できればと思っている。そんなこともあって、以前に少し読み進めていたこの本を、あらためて最初から読み直している。相変わらず、とても面白い本だなと思う。

 ちなみに読書会といっても、教室を借りて、レジュメを事前に作り、難しい本をみんなで読み進める感じの会を企画しているわけではない。当初はそういう感じでもいいかなと思っていたのだけど、コロナがあって、密室で長時間本を読むというのはなんか違うのでは、と考えたからだ。今想定しているのは、みんなで決めた本を事前に読んでおいて、喫茶店や公園で、あるいは散歩をしながら、その本の感想を共有するというものだ。できれば参加者の方と緊張せず話をできるような、ゆるゆるの会にしたい。室内でおこなうのではなく、出発地と目的地がある経路を複数人で歩く。その散歩のさなかで、あるいは目的地(喫茶店でも、レストランでも、公園でも、山の斜面でも、河辺でもかまわない)に滞在する最中でおこわれる会話、において、共通して読んだ本の話をする。そんな読書会を企画している。もちろん参加は自由なので、また告知しようと思う。

 そういえば、最近はぜんぜん写真を撮っていないので、こまっている。はてなブログは記事内の写真がサムネイルになるので、できれば毎回写真をのせたいと思っている。サムネイルがあったほうが、どんな内容の記事なのか一目瞭然だから、見直す際に便利なのだ。新しく買ったデジカメで撮っている写真は仕事用のものばかりなので、来週か再来週には、カメラを持ってぷらぷらと周辺を散策して、写真をたくさん撮りたいと思う。思えば海老名に引っ越してから、そういう日を一日も作れていないのだ。7月に引っ越してからだいたいいつも暑く、それどころじゃなかったというのがおおかたの理由なのだけど。