160403

ついに新年度が始まってしまった。大学院の1年目はものすごく早く過ぎる、とは聞いていたけど、実際ものすごく早くてびっくりしている。ただこの1年何もせずに過ごしてしまったというわけではなくて、思い返してみればいろいろやったなあとは思うのだけど、2年から卒業までの1年間はもっと早いという噂だから、時間を大切に過ごしていきたいと思う。このブログも含めて、できる限り色んなことをアウトプットしていければなと思う。

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年度終わりといえば、2016年の冬アニメもそろそろ全て終わったころだろうか。今期完走したのは、「灰と幻想のグリムガル」「この素晴らしい世界に祝福を!」「僕だけがいない街」「亜人」「GATE」。今期は僕の人生のなかでもかなり多忙な時期だったような気がするけど、それでも5作品くらいなら、就寝前の30分にご飯食べながらとか、空いた時間を使って見ることができた。

面白かったのは「グリムガル」と「このすば」かな。どちらもRPG的なゲームの世界に迷い込んでしまった、という最近ものすごく流行っている形式の物語で、そこは共通しているものの、内容は全く両極端だった。この形式が流行り始めたきっかけは、2012年の「ソードアート・オンライン」かなと思う。いわゆる「電脳世界」を題材にした物語は「攻殻機動隊」や「マトリックス」、「トロン」なんかはもちろんのこと、古くはウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を始めとしたサイバーパンク系のSFからの定番ネタだった。僕らの子供の頃を思い出しても、デジモンの劇場版やゲームで言えば「.hack」「ロックマンエグゼ」とか、言い出したらきりがない。( ちなみに僕の読んだことのある小説のなかで、情報社会を異化したものして思い浮かぶのはトマス・ピンチョンの「Ⅴ.」だ。いつかブログの題材にしよう。)

この、ある種手垢のついた題材がやたらと取り上げられ始めたのは、ヴァーチャルの世界や人工知能といったこれまでSFの世界の題材でしかなかったものが、近年身近で実現可能な未来として認知され始めたからかもしれない。人工知能をめぐる問題なんかは最近やたら取り上げられるしね。

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閑話休題、今期アニメの話に戻ろう。このようにいままでSFの定番だったVRネタが、「ソードアート・オンライン」を皮切りにラノベやアニメによって消費されているというのが現状。そこでは、これまでサイバーパンク等で割合ハードコアに、大真面目に語られてきた個人/集団・人間/機械・体制への反発、みたいな思想が徹底的に破壊されて、萌えとギャグに転化されている。その極北が「このすば」だとすれば「グリムガル」は、近年のそのような傾向に反発するするような作品となっている。といっても過去のサイバーパンク的ハードコアに回帰しているわけではなくて、「グリムガル」はヴァーチャルな世界で展開される日常系ともいえる作品で、そこでは世界を救うとか、隠された真実を暴きだすみたいな大掛かりな物語転回はなく、あくまで異世界に飛ばされた主人公たちがその場所でどう生き抜いていくのかというところに視点が置かれている。何気なく登場するコップや鍋、武器がどこで売っていて、いくらで買えて、誰が作っているのかという情報が、絵で伝わってくるのが素晴らしい。それが物語の、しかも深夜アニメの主題となりうるんだ、という気づきは一週回って大きな驚きである。もちろん絵のクオリティなんかは通常より要求されるだろうけども。あと「グリムガル」は明らかに「Wizardry」を背景に置いていて、これもポイントが高い。MMORPGというよりは、ゲームブック的。

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そういえばカンタン・メイヤスーはSFを「science fiction」ではなく「speculative fiction」として、SF論を書いていたような気がする。アシモフあたりを取り上げていたような気がするけど、どこで読んだんだったけ。。メイヤスーではなくグラハム・ハーマンだったかもしれない。

ちなみにこのページ(http://www.mot-art-museum.jp/music/FlorianHecker-textjp-121023-fix1_2.pdf)でメイヤスののSF論を少し読むことができる。とてもおもしろいので時間があればぜひ。