170918_シルバーハット

●瀬戸内で撮った写真⑪

●5日目つづき。こんぴらさんを登ったあと、銭形砂絵を見て、そのまま大三島へ向かう。銭形砂絵は、寛永通宝を模した巨大な砂絵なのだけど、楕円のかたちをしている。寛永通宝は円形なのになぜ楕円かというと、山の上、つまり斜め上からみて円形に見えるようにするため。ちなみに楕円の長手の直径は150mくらいあるらしい。

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●香川から愛媛へ向かい、今治を通過して、大三島へ。今夜はここで宿泊。宿のチェックインまで時間があったので、「伊東豊雄建築ミュージアム」を訪れる。

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手前に見えるのは、伊東さんの代表作のひとつで、かつては東京の中野に建っていた「シルバーハット」という住宅。たしか伊東さんの自邸だったはずで、1984年に建設された建物だけど、本ミュージアムの開館に合わせてここに移築(再建かな??)されている。個人的はミュージアムそのものよりも、このシルバーハットのほうが目的だったりする。

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●プランはもともとのものから変更されてしまっているけれど、この建築のもつ構造的な面白さ(力学という意味ではなく)は健在だった。敷地にかかる軽やかな「覆い」と、自由に組み換えることが可能なインテリア。建築そのものが何かを主張することはなく、その存在感は希薄で、大橋晃朗の家具と、ヴォールトによって切り取られるおおらかな風景だけが存在している感じ。

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●1970年代から1980年代というのは、いわゆる「ポストモダン」という時代に日本が突入していた時期で、伊東さんたちの世代は磯崎新をはじめとする一世代上の建築家とは距離をとりつつも、ポストモダン的なムードに少なからず影響を受けながら設計をおこなっていた。「すべてのかたちに記号的な意味がある」というアメリカの西海岸的な意識が問題の中心だった時期である。いまのぼくらからすればそれは“勘違い”であるといえるのだけど、当時の雰囲気というのはそうもいえないくらい強力だったみたいだ。伊東さんがそういう観念的・意味論的な枠組みから脱却するための第一歩となったのがこのシルバーハットだ。建築とはただの「覆い」であり、かたちに意味なんかなく、ただ建設的に合理的な形態であればいい。とにかく、設計者の恣意的なデザインや手の痕跡を消去し、おもっくるしい「意味」の世界から解放されたような軽やかな場所をつくる。そして、そのための重要なレファレンスとしてのバックミンスター・フラー。

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(伊東豊雄建築ミュージアム, 2015, 伊東豊雄)

 

●大三島はいいところだった。「しまなみ海道」は自転車コースもあるのでサイクリングしている若者とたくさん出会った。どうやら尾道で自転車をレンタルして、今治で乗り捨てられるようなサービスがあるみたいで、尾道と今治のちょうど中間地点の大三島で自転車乗りは一泊するみたいだった。しまなみ海道を自転車で走る、、、気持ちいいだろうなと思う。

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(Canon AE-1, New FD Zoom 35-70mm 1:3.5-4.5, FUJIFILM 記録用フィルム 100)