MAR.30,2018_幾何学の起源

○中田光雄の『現代思想と〈幾何学の起源〉 超越論的主観から超越論的客観へ』を読んでいる。幾何学をあつかった哲学者といえば『幾何学の起源』のフッサールが思い浮かぶけれど、実はミシェル・セールも同名の『幾何学の起源』という本を書いていたりする(こちらは結構マイナーな気が)。中田さんのこの著書は、この2人にメルロ・ポンティやデリダの論説を加え、現象学からポスト構造主義に至るまでの4つの「幾何学の起源論」をまとめ、論として織り上げた貴重な文献になっている。

 国際的な建築家による近代建築宣言である「アテネ憲章」が採択されたのが、1933年。1933年というのはナチス・ドイツが成立した年であり、原ゲルマン主義的な民族イデオロギーと、産業技術を過剰に称揚する雰囲気が世界を席巻していたころで、1935年のヒトラーによるニュルンベルク演説に対抗して、ハイデガーは『芸術作品の起源』を執筆し、フッサールは『ヨーロッパ諸学の危機』と『幾何学の起源』を執筆することになる。哲学者たちが「幾何学」を主題化した背景として、そうした時代の流れ、行き過ぎたイデオロギーや近代技術を過信する態度への危機感みたいなものがあったということはおさえておかなければならない。

 「アテネ憲章」の中心となったル・コルビュジエは、立方体とか円とか、純粋な幾何学形態を用いた形象を非常に重要視していた。以下、『建築をめざして』(1924)より。*1

初原的な形は、はっきりと読みとれるので、美しい形である(p.35)。

立体とその諸側面は、設計平面によって決定される(p.37)

現代の建築の大きな課題は、幾何学に立脚して実現されなければならない(p.41)。

建築とは、光のもとで、立体の持つ形の美しさを残すことだが、一方で多くの実務的な任務に合致させて側面を分割する際に、その形を〈生み出した力〉とそれを〈強調する力〉を活かすように努めなければならない。建築物の側面は、多くの場合、壁であり、そこに窓や出入り口の孔が空く。この孔はしばしば形を破壊する。それを逆に、形を強調するものに仕向けなれければならない。建築は、その根本が球や、円錐、円筒である場合にこそ、この形態を強調する力が純粋に幾何学に属するといえるものになるのだ(p.43)。

既存のヨーロッパ都市に現存・蔓延する未だバロック的な建築群に対抗し、現代的な機能性や活動性、開放性、陽光と風と緑といった要素を備えた近代都市の規範を明示するため、コルビュジエはこうしたマニフェストを打ち立てた。しかしこうして引用してみると、中田さんも指摘してるけれど、最後の記述はセザンヌの「自然を円筒と球と円錐で処理したまえ」という有名な言葉とすごく似ている。カウフマンは近代建築の先駆として、純粋幾何を積極的に用いた17世紀末ごろの新古典主義(ブレ、ルドゥー、ルクー)を位置づけているけれど、コルビュジエはもともと(というか最後まで)ペインターだったし、彼は純粋幾何学に関するアイデアを、新古典主義からの連続というよりも、案外セザンヌの絵画を分析するところから発想したのかもしれない。しかし、本書ではあたかもコルビュジエ幾何学絶対主義者のように扱われていたり(コルビュジエの建築は総じて豊かなシークエンス、時間性をもっている)、前述した新古典主義への記述がなかったりと、不満はあるのだけど、しかしコルビュジエの「平面」への記述に注目している点は鋭い。

コルビュジエにおいては、あるいは古代ギリシャにおいても、さらには幾何学一般においても、「平面」は、たんなる対象や視野であるにとどまらず、産出力、そこから立方体が、建築体が、それゆえ人間世界が、さらには世界一般が、「立ち上がってくる」、その原動力、創造的律動、でもある。時間性は空間性を前提として成り立つという命題はおそらくありえないが、幾何学的−空間性はどうやら時間性あるいは根源的時間性を孕んで成立する。現代思想家たちが「幾何学」を主題化するのは、どうやらこの種の(時空)混成態のダイナミックな開展−動態においてである。*2

 ロビン・エヴァンス(Robin Evans)の「The Projective Cast: Architecture and Its Three Geometries」や、岡崎乾二郎の「ルネサンス 経験の条件」で検討されている内容は、まさしく幾何学の、この発生論的な側面だろうと思う。

 

○青い箱のフィルム、HILLVALE SUNNY 16。最近よく見かけるので使ってみました。白っぽい感じ。

f:id:o_tkhr:20180316094221j:plain(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, HILLVALE SUNNY 16)

*1:ル・コルビュジエ: 建築をめざして, 吉阪隆正訳, 鹿島出版会, 1967

*2:中田光雄: 現代思想と〈幾何学の起源〉 超越論的主観から超越論的客観へ, 水声社, 2014, p.34