180218

●恵比寿映像祭へ.永田康祐さんのトークと,高嶋晋一+中川周さんのトークを聞いた.永田さんの《Sierra》は去年の「Surfin’」で,高嶋さん中川さんの《standstill》は「引込み線」で,それぞれ観賞したことがあったのだけど,都写美での展示では両者とも全然違う印象を受けた.永田さんの作品は,「Surfin’」の展示空間(とそこに至るまでの状況)と不可避な内容だったと思うのだけど,今回はよりモニターと対峙するような,いわば絵画的な状況が作られていたように感じた.だから日常的な状況のなかで発生する不穏さ,みたいな感触は弱まっていたかもしれないけど,あのスケール感によって,ユーザーインターフェースがより強い他者として感じられて新鮮だった.そして永田さんのトークは相当におもしろかった.

   《standstill》は,「引込み線」では暗闇のなか大音量で観賞した記憶があるのだけど,今回は明るい空間で,モニターの映像を客観視するような展示のされ方だった.よりドライに,現象そのものを観察するような仕方で作品を観賞することができたので,個人的には今回のほうがより楽しめた.ディレクターの田坂さんが了二さんの映像との類似性を指摘されていたけれど,ぼくも同じことを感じていた.トークのなかでは「銃モデル」ではなく「弾丸モデル」あるは「乗り物モデル」としてカメラを扱うという話があったけど,了二さんはそれこそ「建築モデル」なのかもしれない.

●映像をひたすら見た結果、しかし結局一番心を打たれたのは,清野賀子さんの写真だったという.不穏だが非常に美しい写真で,ほんとうにすばらしいと思った.虚ろな眼差しで,環境を"凝視”することで見えてくる風景という感じ.眼差しの「虚ろさ」,「ぼんやり感」みたいなフラジャイルさと,「凝視」するというある種の強い意志が両立するということは,どういうことなんだろうと思った.強いfigureがなく,groundだけで成立しているのだけど,それでいて強いイメージ.清野さんの『The sign of life』が手元にあれば,自分は写真を撮らなくてもいいんじゃないか,と思うほど感銘をうけた.ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダの映像を中心に,清野さんの写真と高嶋+中川さんたちの映像が取り囲むという空間づくりは,特殊だとはおもうけれど,かなりうまくいっていたのではないか.

 

●さいきん撮った写真

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