180119_熊谷守一「生きるよろこび」

●午後、新幹線で黒部宇奈月温泉駅を出発し、17時ごろ東京駅に着く。そのまま、熊谷守一「生きるよろこび」展を東京国立近代美術館でみた(近美は金土、20時まで開館している)。1950年以降のモリカズがなぜこれほどまでに魅力的なのか、なんとか整理しないと今日は眠れない気がしている。それほどまでによかった。

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●なによりまず、色彩による経験がとても豊かだった。鮮やかな色彩が寄せ集められ、調和したり、対立したり、補色になったりしながらおどっていた。熊谷は色彩理論を緻密に探求したり、カメラのレンズの焦点距離や現像液を研究したり、音響学(!!)に熱中したりしたりと(1年間ほぼ絵を描かずに計算だけをしていた年もあったらしい)、研究者的な気質をもっていたのだけど、これは熊谷の制作への態度を端的に示しているように思う。すなわちそれは、ある対象が人体、眼、あるいは脳に与える感覚に対し、極めて科学的 / 現象学的な仕方でアクセスし、複数の異なるパターンを試行ながら追求しようとする態度だ。混色を避けながら併置される複数の色彩によって、例えば青のなかの黄が、中間色のなかの白が、おくゆきのない画面にイマジナリーな空間を現象させる。同時に、そこでの絵具の筆致や質感は強い物質感をもち、単に描かれたモチーフには従事せず、それ自体独立して存在しているような印象を受ける。

一方、独特の輪郭線も後期の熊谷絵画の特徴で、色彩による現象学的な経験とともに、フレーム内に極めて強い形態をつくる。この赤い輪郭線は1930年代、裸婦を描く際の逆光による身体の縁取り、すなわち光と影の結節線を表現するためにはじめて用いられた。この技法は驚くべきことに、「裸婦」と「山並み」がアナロジー的に結びつけられることで、動物や虫、植物、そして石ころや紙くずや土塊といった無機物の方へと、あらゆる「生きるもの」に「延長」されていく。

「景色をみてゐるでせう。そうすると、それが裸体になって見えるのです。つまり景色を見てゐて、裸体が描けるのです。同じやうにまた裸体を見てゐて、景色が描けるのです。」*1

これは本当に驚くべき感覚だと思う。赤い輪郭線による形態は、晩年にいくにしたがい、色彩とは別の自律した構成要素として、より幾何学的な厳密さを増しながら扱われていく。

「裸婦像の輪郭線」をあらゆる対象に「延長」していくような思想。これに加え、熊谷が描く世界からは、岩田慶治にも通じるようなアニミズム的感性を感じる*2。たとえば熊谷はよく虫を植物とセットで描くのだけど、ぼくには地蜘蛛と一緒に描かれるカタバミが、カタツムリと一緒に描かれるハルシャ菊が、蝶と一緒に描かれる松虫草が、蟻と一緒に描かれる豆が、地蜘蛛/カタツムリ/蝶/蟻にとっての「単なる人工物」ーー例えばのイスや家、階段や標識といったーーとして描かれているように思えてならない*3。各々の存在者、たとえば地蜘蛛には地蜘蛛のパースペクティブがあり、彼らがカタバミと独特の仕方、ぼくらが思いもしないような仕方で関係を結んでいるというリアリティが、とても緻密に表現されていると感じる。この熊谷のもつ独特のアニミズム的リアリズムが、色彩や形態といった絵画的な技法とはまた別の興味として、確固として存在しているような気がする。

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●色彩(筆致)=現象(質感)、形態=輪郭線(幾何学)、モチーフ=アニミズム的パースペクティブ。この3つの層は、極端ないい方をすれば、それぞれ熊谷の絵画において自律して存在している、と思える。たとえば冒頭で述べたように、個人的に熊谷の絵画でまず心奪われたのは、その色彩の鮮やかさだった。つまりぼくは、まず色彩を、あるいは単に絵具の質感を、「対象化」していた。一方でそのとき形態の愉快さやそこで描かれるモチーフに関してはほとんど意識していなかったと思う。このとき、これらは「対象」ではなく、「環境」へと退隠していたのだ。しかし描かれた内容、たとえば蟻と豆の独特で親密な関係に気づき、とたんに魅惑されてしまったとき、色彩や形態は意識から遠のいていき、次第に「環境」となっていった。各々の層は互いに調和しながらも空隙を挟み込み、なおかつ個別に対象化されうるに十分な強度をもつのだ。

ある層に注目したときに、他の層が「環境」化するという意味では、線と色彩とモチーフはそれぞれ「機能的」であるという言い方もできる。たとえばぼくが絵の具の見事な艶に魅了されているとき、赤い輪郭線によって描かれた形態は、極端に単純化されているがゆえに色彩とぼくの関係を邪魔しないけれど、それはまちがいなく「猫」を指示する機能を果たしていた。だから、それらは自律というよりも、互いに準-自律的な状態で布置されている、と表現した方がいいのかもしれない。

線と色彩とモチーフが、それぞれ調和して重なりながらも、互いに微妙なズレをもち、ギクシャクしながらもつながりあうことで、図(対象化された層)と地(環境として退隠する層)が絶え間なく反転するような構造をつくる。この「図と地の絶え間ない反転構造」が成立するのは、「色彩」と「形態」と「モチーフ」がそれぞれ準-自律的に併存している、すなわち各々が「強さ」をもって存在しているからに他ならない。あたかもラガーマンが、ラグビーボールというひとつのオブジェクトを奪い合いながらフィールドのなかを複雑に動きまわるように、「色彩」と「形態」と「モチーフ」は、ぼくの「眼」というひとつの、あるいはふたつのオブジェクトをどん欲に奪い合う。

さらにこのときには、支持体のスケールがとても大切な要素になることを指摘しておこう。絵画が十分に大きければ、「描かれたもの」を観賞する場合に、ある程度の距離が必要になる。このとき、「描かれた対象」と「絵の具の質感」は同時に知覚しえない。一方で熊谷の絵画はF1、F4、F6号といった小さな支持体によって描かれている。支持体が小さい場合、モチーフに対する絵の具の筆致が相対的に「大きく」なるのは自明である。この支持体の「小ささ」により(もちろんそれだけじゃ成立しないけれど)、作品の「内容」と「かたち」と「色」が、タイムラグなしに、つまり空間的なラグなしに、ほぼ同時に観賞者の知覚を奪いにやってきて、それらが入れ代わり立ち代わり主導権を握る。これは結構大事なポイントだと思う。

●ぼくが熊谷の絵画から感じた内容をなんとか言葉で定着させようとすると、たぶんこんな感じになるのだけど、もっとうまくいえるような気もする。さらに言えば、線と色彩とモチーフ、熊谷はこれらに対しそれぞれ異なった方向性の、すなわち専門化した興味をもっていて、これらをパラレルに走らせるフォーマットとしてあのスタイルーーまさに「塗り絵」ーーがあったんじゃないかと思ったりもする。

「まずスケッチを作り、それを元に型紙となるトレーシングペーパーに図を描く。次いで型紙の裏にカーボン紙をはさみ、油彩を描くためのF4号サイズ(約33×24cm)の板に線を転写する」*4

と、制作の方法も独特で、「図の作成」と「色彩のプラクティス」が意図的に分けられていた、と考えられなくもない。加えて、熊谷は1950年代以降、日中は庭で花や虫をひたすら観察し、そこではスケッチのみで油彩をおこなわず、油彩画の制作は夜8時くらいからアトリエでおこなっていたそうだ。つまり、自宅の庭の草木を観察し、主題=アニミズム的なパースペクティブを「見つけ出す」作業と、アトリエでの制作作業もまた、意図的に分けられていた。線と色彩とモチーフ、熊谷絵画におけるこれら3つの層は、それぞれ異なった仕方で、あるいはことなった時空間で思考され、練られ、制作された。それらはアドホックなかたちで統合され、ときに意外な出会い方をしながら、作品にある種のダイナミズムを与えていた、とは考えられないだろうか。

これほどまで単純化されたイメージによって、なぜここまで知覚が錯乱するのかと、とてもとても驚いたことがきっかけで、なんとかここまで考察してみた。熊谷の絵画、とくに1950年以降の仕事において、なぜこのような知覚のイリュージョンが発生するのか。これに関してはひとまず、「色彩と線とモチーフ、これら3つの層がフレームのなかに自律的に存在し、入れ替わり立ち替わり前景化する」ことで成立していると仮説したいと思う。そしてこの3層の緊張関係にこそ、絵画的な「空間」が発生するのだ、といいたい。こうした熊谷の仕事と比較して考察されるべきは、いうまでもなくマティスだろう。

どこまでも平面的。しかしそれをつきつめるが故に、イマジナリーな、遠近法的ではない空間のおくゆきが現象する。これはまさしく絵画におけるモダニズムであり、近代絵画が培ってきた豊かな技芸そのものだ。この豊かさを簡単に否定せず、肯定した上で乗り越えていくような試みを、ぼくは見てみたいとおもう。もっと言えば、それは「モダニズム」云々の問題ではなく、絵画そのものの問題、ある種の固有性に関わる問題だと感じる。つまり、絵画にはあまり「歴史」とは関係のない側面があるんじゃなかろうかということだ。絵画それ自体の深く仄暗い内奥に、それを成立させるある普遍性みたいなものが、古い / 新しいという評価軸とは無関係に、やっぱりあるんじゃないか。そしてそれは、ぼくの専門領域である建築でもきっと、、、。

こういう変な確信を深夜に感じたりするのだから、やっぱりモリカズはすごい(投げやり)。

*1:熊谷守一: 私の生ひ立ちと絵の話, 心, p.132, 1955.6

*2:岩田のアニミズム感に関しては「岩田慶治における「アニミズム」の構造」( http://animona.blog.jp/archives/742830.html )を参照。ものすごくおもしろかった。

*3:ヴィヴェイロスの指摘が補助線になるだろう。「[動物の]それぞれの種や存在には、活喩法的もしくは擬人法的な当覚作用が付与されており、自分自身を[人]だとみなしている。その一方で、生態系における他のアクタント(活動主体)たちを、被捕食者もしくは捕食者(誰にとっても固有のジャガーがいる)、(飽くことなく食人的か、性的に貪欲な)精霊、あるいは彼らの文化における単なる人工物といった非-人格、もしくは非-人間だとみなすのである。ジャガーは人間を猪だとみなし、仕留めた動物の血をチチャ(とうもろこし酒)とみなす。」(Viveiros: "Immanence and fear" in Nature Culture 01: The human and the Social, p.95 / 日本語訳は清水高志: 実在への殺到, p.20より)

*4:展覧会カタログ, p162