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●シャビロの「モノたちの宇宙」は平たくいえば、グラハム・ハーマンやレイ・ブラシエの哲学に代表される、近年発展が著しい「新しい唯物論」の流れを、ホワイトヘッドの思想と関連させてまとめた本なんだけど、そこではたびたび擬人化や生気論の話が出てくる。擬人化っていうのは改めて考えてみると面白い。擬人化表現の古典的な例は「鳥獣戯画 *1」だろう。これは動植物に「人間的な振る舞いをさせる」ことで、人間以外の存在の生き生きした姿を描いていて(鳥獣戯画に関しては、検閲化で幕府や権力者を批判する意味合いもあったみたい)、近年のマンガ表現でも多用される擬人化表現。他の例としては、たとえばハンプティーダンプティー *2のように、「とりあえず顔を書く」ということで成立している擬人化表現で、アンパンマンにつながる擬人化表現の系譜。「ふるまい派」と「顔派」。この両者は、動物ベースの擬人化表現。

*1 f:id:o_tkhr:20170630190417j:plain              *2  f:id:o_tkhr:20170630190422p:plain

次に、たとえば猫耳に代表される、特定の部位に元となった動物の特徴を持たせるたぐいの擬人化表現。擬人化表現のエレメント化、あるいは換喩としての部位の付加。大島弓子の「綿の国星 *3」は猫耳表現をかなり早い時期から実践した例だけど、耳や尻尾などによって擬人化をおこなう表現は、古くは鎌倉時代からあったものみたいだ。この辺に来るとぐっと抽象度が上がってくるけど、より擬人化が抽象的に、かつ過剰になってくると、生物ではない「モノ」を人間としてして見立てるという次元になってくる。たとえば「艦これ *4」がそうだろう。この「兵器の擬人化」みたいな流れは島田フミカネの「ストライクウィッチーズ」あたりが火付け役になったのかな思っているんだけど、あきらかにゼロ年代以降の新しい流れだと思う。年々過剰に、あらゆるものをキャラクター化してしまう、みたいな流れになってきている。「エレメント派」と「モノ派」。両者は似ているのだけど、「モノ派」に関しては、特徴的な部位を付加するようなこともせず、元となった物体の「イメージ」や「歴史的なストーリー」のようなものから、完全にゼロからカタチを構築しているものもあって、一見すると何を元ネタとしているのか全く不明なものも多い。共通しているのは、どちらも身体は人間ベースであること。

*3 f:id:o_tkhr:20170630192707j:plain                   *4 f:id:o_tkhr:20170630192928j:plain

●まとめてみると、「ふるまい派」と「顔派」は、動物の形態をベースとして、人間的な行動や表情をとらせたり、あるいは記号化された人間の顔を書き込むことで、人間と非人間の折衷を実現していた。対照的に「エレメント派」と「モノ派」は、人間の身体をベースとして、そこに元となった動物の部位を付加したり、元となったモノの史実やイメージを反映させることで、非人間の人間化を実現している。他にもまだパターンがあるかもしれない。

●6月に撮った写真⑮

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(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak ULTRA MAX400)