160329 存在論としての「建ち方」

f:id:o_tkhr:20160402010336j:image

去年取り組んだ、大学院後期の設計課題の成果が本としてまとめられた。過去の著名な住宅作品を各自選定し、そこに隣接して新たな住宅を設計するという課題。選定した、いわゆる名作と呼ばれる住宅(東孝光の「塔の家」や安藤忠雄の「住吉の長屋」、篠原一男の「上原通りの住宅」などである)を現代的に再解釈するのはもちろん、それらと周辺の町並みとの関係を再考する、ということも課題の主旨であった。H越くんがプロの編集顔負けの仕事をこなしてくれたおかげで、なかなか素晴らしい仕上がりになっていると思う。これにともなって僕は序文を寄稿させていただいたのだけど、せっかくだからここで紹介しておきたいと思う。以下、その全文。

 

序文:存在論としての「建ち方」

 建築は、それ単体として存在することはできない。周囲の環境との相互作用のなかで絶えずもまれ、ゆがみ、平衡することでその存在を世界に定着させる。「この建物は建ち方がいい」という場合、大抵はその建物と周辺の環境との関係を指して、そしてそれらが共同してつくる全体性を指していう。とはいえ、「建ち方」というのは実は、なかなか定義の難しい概念だ。あるときは「配置」であり、あるときは「構え」である。でも、それは「建ち方」のある断面を示しているにすぎない。たとえば、コンテクストが一切存在しない場所があったとする。それをひとまず〈原-砂漠〉と呼ぶことにしよう。〈原-砂漠〉には、文化も歴史も存在しない。周囲に建物はなく、光も影もない。しかしそれでも建築は、それ単体で存在することは許されない。それはたとえばその建築の架構が、事実どこかに存在する大工が加工した柱や梁であり、どこか特定の山林から切りだされた木材であるからだ。建築を構成する大量の部品は、それぞれが異なるコンテクストを内包した、どうしようもなく具体的なオブジェクトである。複雑に絡み合う産業構造の網の目の中で、種々雑多な特定の物・者の活動の果てに、その結節点として建築は存在する。だからこそ〈原-砂漠〉においても、建築の物質としての実在を認める限り、「建ち方」という議論は成立しうる。「建ち方」は「配置」のしかたや、「構え」のありかただけを問うものではない。「建ち方」は建物の“存在のしかた”を問うもの、つまり建築における存在論である。

* * *

 建築における存在論といえば、多木浩二の『生きられた家』が頭に浮かぶかもしれない。しかし多木がおこなったのは、建築を通して人間の生を、その存在の有様を考察することであった。一方、「建ち方」を考えるということは、「(人によって)生きられた家」ではなく、「(建築によって)生きられた都市」を考えるということになる。都市を通して、建築の存在を考察するのだ。このような〈建築〉を主語にするという態度は、一見すると奇妙である。それは無機物の集合体である建物に人格を与えるような態度であり、あたかも、世界における自立した存在者として建物を扱うような態度だからである。現状、そのような視点からの建築論はかなり稀少だろう。「建ち方」へのまなざしは、オブジェクト指向存在論を経由し、新たなしかたで建築を考察する可能性を秘めている。「建ち方」を建築それ自体の存在論として扱おう。簡単なことである。物事をよく見直そう。物と物の関係と無関係を、物と人の関係と無関係を、そのまま描きだし、考えてみよう。そこには建築家が思ってもいないような事態が、建築家も物・者の一つとしてはめこまれた景色があるはずだ。物質としての建築、それ自体を思考する可能性は、確かに存在している。僕たちが建物をどう捉えているか、ではない。僕たちの事情からはすっかり切り離して、〈無人の物自体〉に思考を及ばせること、だ。それは、カント以来の近現代哲学と、そこから多大な影響を受けているモダニズムの建築論一般においては、極めて困難な、いや、不可能なことになっている。しかし、「建築がどのようなしかたでそこに存在すればいいのか」という思考を巡らせたとき、僕たちは人間から見た建築の表象ではなく、物質としての建築それ自体の世界との関わりを考察している。そのとき僕たちはテクスチュアルな解釈の戯れを知らず知らずのうちに退け、相関主義をたやすく乗り越えてしまっているのだ。

* * *

 まとめよう。「建ち方」とは、建築における存在論であった。そして「建ち方」を考えるということは、建築それ自身の〈全き他者〉としての物質性を肯定し、それらの関係性をつぶさに考察することであった。そのとき僕たちは、建築と世界との関係における思考のもうひとつの次元を、開きうる地平に立っている。

* * *

 さて、「建ち方」へのまなざしということについてこれまで書いてきた。しかし今回僕たちが取り組んだのは、「建ち方」を考えるのと同時に、過去の住宅作品を再読することだった。この2つの、一見すると相容れない命題を同時に扱うということはどういうことなのだろうか。一方で特定の建物・建築家をリサーチし再読を試みながら、他方で〈外景〉としての建築のあり方を考えるということは、かなり矛盾した行為ではないだろうか。というのも、〈外景〉として建築を考えるということはつまり、建築家の設計した建物と、その隣に建つなんでもない民家を、どちらも等価な「周縁」として、まったくの同一平面上で捉えなければいけないということに他ならないからである。特殊なコンセプトで建てられた特定の建物を参照しつつ、しかしそのクリシェで終わってはいけない。あるいは、周辺の都市環境をよくリサーチしなければいけないけれど、単にコンテクストを丁寧に読み込んだだけの解答は認められない。その中庸を探り、矛盾と葛藤しながら各人が答えを見付け出す必要があった。しかも、時間が経てば環境は変わるから、その建物の周囲には、当初作家が意図していなかったものが建っていたりもして、その困難さをより際立てる。偶然に、なんの理由もなく、環境は変わる。しかし、現代建築を考える上でかなり重要な問題が、その矛盾と偶然性に潜んでいる。

* * *

 僕たちが、ある建築の空間とそこに込められたコンセプトを理解することは、たやすい。しかしそれらと高速道路を、木賃アパートを、悪趣味な成金住宅を、商業ビルを、建売住宅を、ひいては郵便ポストを、同一平面上で扱うことはとても難しい。でも、必要なのだ、絶対的に。都市の中では、それらは偶然にしてなんの理由もなく、しかも必然的に、隣り合ってしまうのだから。それらは、どうしようもなく確かに、今ここに存在しているのだから。少々大げさに言えばこのとき必要になるのは、ピラミッドとミースと洗濯機を、アアルトと目の前のコップとあなたを、正倉院と自転車と中性子を、篠原一男とアルミニウムと鳥小屋を、そしてそれら全てを、等価に測ることができる物差しであり、物差しになりうる軽やかな存在論である。僕たちの提案からは、そんな物差しの断片を垣間見ることができるはずだ。少なくともそのような読みを発生させる可能性を、それぞれの提案は持っている。

[ 編:大村高広 ]