8.JAN,2024

昨年末に中途半端なところで終わっていた作業を完遂させ、ひとまず研究室の改装が概ね完了。必要最低限の書架を既存ロッカーと窓に合わせて配置。壁はN85で塗装。シハチのテーブルは背面をアングルで補強しているので意外と揺れない。パンチカーペットの色はすでにすっかり慣れてしまった。数日で施工できる範囲ということで今回はこれくらいにしたんだけど、かなり居心地がよくなったと思う。ひとつの大きな机が部屋にぽんと置かれてるのは気持ちが良い。教員の個人デスクとゼミをやるときのミーティングテーブルを分けたくなかった。

カーテンもつけた(もちろんカーテンレールの取り付けから……)。安物のアルミ蒸着カーテンだが悪くない。日中は透過するが夜になるとけっこうぎらぎらになる。天井は宿題。

6.JAN,2024

アーキペラゴの畠山さんと会って久々に会う。実際に会うのは今や彼らの代表作となった「河童の家」のオープンハウスのとき(2021年?)以来だろうか(もしかしたら河童の家の模型を事務所で見せてもらった2020年以来かもしれない)。畠山さんにお子さんが生まれ、茨城県にある奥様のご実家にいるということで、僕が使っていた0歳児用の抱っこ紐を渡すついでに軽くご飯を食べることにしたのだった。こちらの近況を話しつつ、アーキペラゴの最近の仕事について聞くことができてよかった。今後のプロジェクトについて話しているうちに、円という幾何学がなぜ必要なのか?(自分たちは必然性を感じているが大村はどう思うか?)といった話になった(円が用いられているプロジェクトを見せてもらった)。円という幾何学がもたらす重要な点は、弧を知覚する際に、身体との相対性のなかで円のサイズを直観しうるとことだ、と、ざっくりだがそんなことを答えた。円のサイズが大きければ(すなわち曲率半径が大きければ)弧は直線に近似し、小さければ曲率は増加する。結果として、弧の部分的な知覚によって直接的には知覚しえない円全体のサイズを把握する可能性が生まれる、と。具体的には、壁に向かってPC作業をしているだけなのに、その壁の曲率から建物全体の大きさを想像しうる、みたいなことが想定できるわけだ。局所的な空間把握に対してより大域的な空間把握を重ねること。ふたつの場所を同時に知覚しうる、ということだ。単純な話だが、これは実はものすごいことだ。その他、ロードサイドの看板建築などについても話したが、畠山さんたちがヴェンチューリ的なものへの興味があるというのはちょっとだけ意外だった。とはいえヴェンチューリが試行していた「複数の論理の同時性」への共感だと考えれば納得する。

このあいだ、妻と子は水戸の千波湖まわりで時間をつぶしてくれていたようだ。千波湖の西側には子供のための公園があるらしい。千波湖まわりは緑が多くこのあたりに住むのは快適そうだという話をする。子は水鳥や鳩がたくさんいてかなりはしゃいでいたらしい。身のこなしが俊敏な他の子供を見かけて歓喜し、その子に石ころをあげたりもしていたらしい。日立市はこうした安全で快適な緑地のような場所が少ないので、かなり羨ましい……。帰ってご飯を炊き、牛肉としらたき、豆腐、長ネギなどを使ってすき焼き風煮込みをつくった。まず牛肉を焼き、そこに思ったよりもどっさりと砂糖と酒を入れて煮込み、最後に他の具材も入れて醤油で味を整えるだけ。ご飯が進む。

3.JAN,2024

能登の大地震、津波の動向を追っていたらあっという間に新年明けてから三日が経ってしまった。富山の実家・親族は無事。できるだけ多くの命が助かることを祈りつつ、冷静に状況判断しようと努める。旧友たちは無事だろうか。

積雪地域特有の、ある程度勾配をとった屋根(4寸以上はあるだろう)に瓦屋根を乗せた(どうしても小屋組の重量が大きくなってしまう)屋根形状は、断続的に大きな揺れが群発する今回のような地震とあまりに相性が悪いのだろうと、珠洲市、輪島市などの建物の損壊の凄まじさから思う。躯体が「徐々に損傷していく」という、時系列のなかで変動する倒壊リスクをどう捉えるのか。そしてそのリスクを、限られた予算のなかでいかに設計にフィードバックしていくのか。こうした視点を支える理論はいまのところ見受けられないように思う。とくに、「ある一定のリスク」ではなく、「リスク自体が時間とともに変動する」ことに関しては、複雑さのレベルが従来の想定とはあまりにかけ離れている。が、今回の被害を受けると、今後は想定せざるをえないだろうと思う。

北陸の家屋は年代の古いものがかなり残っていて、その多くが在来ではなく伝統工法で、接合金物すら用いられていないものもあるだろう。僕の実家がまさにそんな感じで、築150年くらいの伝統工法の古民家なのだけれど、そんなのざらにあるのだ(幸いなことに、最近その家は空き家バンク経由で別の引き取り手がみつかったところで、両親は安全なマンションに引っ越していたので本当によかった)。今回のような地震を受けて、こうした危険度の高い家屋を補強するとしても、現実的に考えるならば、建物全体を改修することはほぼ不可能だろう。しかしたとえば、減築と補強を組み合わせて局所的に介入することはありうる。その方法を考えないといけないと思う。

同時に、道路の損壊についても大きな危惧を覚える。高低差がある地域などの、ライフラインが限られている住宅地に関しては、エネルギー・食料をある程度その区域内で生産しうる体制を確立しておくことが災害時のレジリエンスを確保する上でも重要なのだろうと思う(この意味で、災害対策は「反近代」のプロジェクトとなるだろう)。それにしても、液状化や地盤の隆起で損傷し交通不可能になってしまった路面の仮設的な修復方法に関しては、もっと一般化された方法があってもよいのではないかと思うのだが。

年末年始は、妻の実家で妻が子どもの頃に通っていた公園に行ったり、うまいうなぎ屋にいったり、家でだらだらしたりしてのんびり過ごしていたのだが、羽田空港の事故も含めた年始の災害の連続で状況が激変してしまった。そして明日茨城に戻るのだけど、僕は明日締め切りの原稿があるため、これからたぶん徹夜する。

DEC.29,2023

夜、スイス在住の建築家・中本さんと銀座でご飯を食べつつ情報共有。中本さんから提案があった店が銀座のビル群のはざまにある三州屋という居酒屋・定食屋で、こんな場所があったのかと驚きつつ、穴子のフライなどを食べた。良心的な価格にもかかわらず大きくておいしい。銀座で定食を食べたかったら間違いなくここだなと心に決める。中本さんとはざっくばらんに色々話したが、とりわけ自分にとっては、脱炭素の文脈がヨーロッパ(とりわけスイス)でどのように需要・展開しているのかについて、リアルな状況を知ることができてとても有意義だった。たとえば2022年にパリのPavillon de l'Arsenalで開催された展覧会「Housing Footprint」では、かつて軽量化・工業化を試みたモダニズム建築などを対象に、部材ごとの生産・運搬・廃棄のプロセスを加味した炭素排出量を可視化するようなことが試みられている(これは新しい歴史の反省の仕方だなと思う)。

www.pavillon-arsenal.com

そもそも建物のCO2排出量を正確に把握しようとすれば、建物の生産プロセス全般(材料の調達・輸送・加工・流通・施工)に費やされるエネルギーを評価する必要がある。必然的に、建物をある部材の集合体とみなし、各々の部材のLCA(Life Cycle Assessment)や炭素集約度(carbon intensity)を評価する必要がでてくる、と(この評価の一般化はBIMの普及によって現実味を帯びてきている)。このとき見過ごしてはいけないのは、「部材の組み立て」すなわちテクトニックという問題が脱炭素という文脈で批判的意味を帯びてくるということだ。どのような作業員が、どのような労働形態で、どのような方法で、どのような協働性のなかで建設をおこなうのか? を、脱炭素の文脈と結びつけるという発想は僕にはなかったから、かなりハッとした。イトゥルベの「カーボン・フォーム」*1やティモシー・ミッチェルの「カーボン・デモクラシー」*2をはじめとした炭素をめぐる様々な政治経済的問題も当然ここに関係してくるだろう。2010年以降に(再)活性し現在は少し落ち着いたように見える建築のエレメントに関する注目も、脱炭素の文脈で改めて検討しうるだろう。つまるところ、あらゆる政治経済的な、あるいはエコロジカルな問題が、「部材の結合」という即物的な問題(結局のところ建築家にできるのはこれだけだ、ともいえる)へと接続しうる、と。

ともすれば、スイスで(とりわけヴァレリオ・オルジアティやカルーソの影響下のなかで)熟成されてきた建築におけるフォルマリズムに関する実験的な試みがこうした脱炭素の文脈と合流する可能性もあって、そうなれば新たな現代建築の枠組みの誕生すら期待できる。

DEC.26,2023

岩波書店の『思想』2024年1月号に寄稿しました。12月26日発売。ぜひご笑覧ください。


僕は「重力と歴史──新宿ホワイトハウスの歪んだ立方体」と題して、磯崎さんの最初期の仕事である新宿ホワイトハウスの改修に携わった経験を起点に、建築にとって幾何学とはなんなのか、それが「歪みうる」とはどういうことなのか、といったことを書いてみた。商業誌に2万字弱の論考が載るのははじめてで、しかもあの『思想』ということで、気合を入れて書いた(『思想』は商業誌というかもはや紀要みたいなものだけれど)。思えば、修士〜博論のテーマであった「建築における幾何学と尺度」は、故・柄沢祐輔先生と、磯崎さんの現代的な可能性について議論するなかで生まれたものでもあった。なのでこれまで考えてきたこと・書いてきたことのまとめ的なものにもなっている。ぜひ読んでいただきたい。ちなみにタイトルはスティグレールの『技術と時間』のもじり。スティグレールはこの論考の肝の部分でちらっと出てきくる。

コレクティブを抜けたこともあって、新宿ホワイトハウスの一連の仕事(協働での仕事=コレクティブ・ワーク)を自分なりにどこかで決算しないといけないなと思っていたので、またとない機会になった(編集の押川さんはGROUP脱退を承知の上で依頼メールをくれたので、それもありがたかった)。内容としてはブログに当時書いたこととそんなに違わないとは思う。延長線上にあるはず。大きな違いがあるとすれば、磯崎さんのテキストを読めるものはすべて読んだことだろう。これに関しては原稿依頼がなければたぶんしんどくてやってなかったけれど、収穫はかなりあった。

o-tkhr.hatenablog.com

o-tkhr.hatenablog.com

 

僕が原稿にまとめたのは、磯崎さんが立方体に固執するのはなぜか、ということだ。何を書いたのかものすごくざっくりと要約しておく。まず、建築家を建築家たらしめている条件(建築家 architectと建設者 builderの峻別)は端的に知的労働と肉体労働の分離であり、ユークリッド幾何学をはじめとしたギリシアの公理主義の数学を導入したことがその契機となってる。では、建築家が苦心して設計プロセスに導入した幾何学的必当然性がもたらすのはなにか? 論理的推論と、因果関係の機械化だ。加えて、表象システム(図面)を用いた指示体系の構築である。これによって建築分野では施工のオートメーションすなわち建設労働の抽象化がもたらされる(労働の疎外)。建設の合理化にあたり、幾何学を通して、フッサールのいう「理念化」の作用が設計に組み込まれたわけだ。このとき、空間の生産に関わるヘゲモニーも同時に生じてしまう、と。パオロ・ヴィルノのいう「反革命」だ。重要なことは、スティグレールが指摘しているように、フッサールのいう理念化(経験的なものの排除)はつねに、技術的手段を通じた外在化がともなう、ということ(たとえば円の必当然的な性質を共有しうるのは、コンパスという道具を通した外在化がなされるときだけだ)。この外在化は単なる条件というわけではなく、とりわけ建築の設計プロセスにおいては、形式や形態のある種の発展力のようなものをもたらす。理念化による自生的秩序の排除は、タブラ・ラサからの生成を可能にするひとつのきっかけでもあるのだ。

以上のことを原稿では「革命と反革命」と表現した。磯崎さんは、建築の根源に、無根拠によってもたらされる政治的抑圧と生成力の両面があることを誰よりもよく理解していた稀有な建築家だった。とはいえ磯崎さんの変なところは、こうした根源的無根拠さを「設計プロセス」に埋め込もうとしたことだ(必然的に新はSHINとARATAに分裂する。この分裂の理論化がデミウルゴモルフィスムだ)。この訳のわからない試みは、ネオダダの方法論(宮川淳がいうところの、「マチエールとジェストとのディアレクティクにまで還元されることによって、表現過程が自立し、その自己目的化にこそ作家の唯一のアンガージュマンが賭けられるべきであった」もの*1)そのものだった。新宿ホワイトハウスに、ここでまた回帰することになる。

磯崎さんはおそらく、この反芸術的な身振りが、判断基準が喪失した時代における建築家の政治的決定権(プロジェクトをある局面での切断する権利)の確保に有効だと直感したのではないか。これは幾何形象を素朴に空間設計の道具とすることとはまるで次元の違うことだ。引き受けている歴史の重みがまったく違う。これを理解しない限り、磯崎さんの実践の評価が正当になされることはないだろうと思う。そして当然、立方体が「歪みうる」ことを引き受ける我々世代の仕事もまた、こうした認識を前提になされる必要があろう。詳細はぜひ『思想』で。

字数の関係で書けなかったことがけっこうあった。たとえば磯崎さんのデミウルゴモルフィスムがなぜパエストゥムではじまりハンネス・マイヤーで締められるのか? ということ。これはめちゃくちゃ重要なのだけど、泣く泣くカットした。もしいずれ単著を出す場合は今回の論考はしっかり加筆修正して入れたい(だれにも求められていないのだけど、いずれ文章をまとめた単著を出したいなと思って、ひとりで色々準備してみている……)。

*1:宮川淳『絵画とその影』みすず書房、二〇〇七年。六〇頁。

DEC.17,2023

アウレリの新刊‘Architecture and Abstraction’を少しずつ読んでいる(といってもすでに読んだことのある内容が多い)。

mitpress.mit.edu

アウレリが第一章の冒頭で計画=プランと企図=プロジェクトの違いについて触れている箇所が興味深く、引っかかった。まず、いうまでもなく建築設計という枠組みにおける創造性は、有形物の建設に携わるあらゆる人々が共有する「計画=プラン」として機能する。プランは、まずもって心象として、次に施工者が従うべき一連の指示・表記として、建築物を抽象化したものとして生じる(「抽象」という作用はあくまで結果として生じたのだ、という認識は重要だと思う)。プランは単に建築を抽象化したものではなく、一種のアルゴリズムあるいは指示書としての側面を担っている。建築の設計者はプランを用いることで指示体系を構築し、建設プロセスを組織化しようとする。つまるところ建築の歴史とは、人的・物的資源を動員した物理的構造物の建設における計画=プランの歴史として理解することができる。

当然のことながら計画=プランの重要性は建物の規模、複雑さ、あるいはその永続性が増大するにつれて高まっていく。そして高度な計画=プランに求められるのは、いうまでもなく、労働力と資源の正確な予測とその調整だ。ゆえに計画=プランの作成・遂行は、建築家の政治的決定権の前提条件となる。そして、タスクの複雑さが場当たり的な解決策では立ち行かなくなるとき、多数の計画の立案とその精密な戦略的実行が要請される。計画=プラン群は「企図=プロジェクト」となる。

プロジェクトの遂行が建築家という職能を誕生させる。どういうことか。たとえばブルネレスキは本来100年はかかるであろう巨大なドーム(クーポラ)の建設を、多数の技術革新と画期的な現場管理手法の開発・遂行によって20年弱にまで「圧縮」してしまった。よく知られているが、ブルネレスキは単に設計図を書いただけではなくて、企図=プロジェクトを成立させるためにありとあらゆることをした。建設時間の圧縮は、巨大建築物の「作者」を個人名に帰する重要な動機となる。

NOV.20,2023

子は絵本にはそれほど執着しないのだが、なぜか最近、井筒俊彦の『イスラーム哲学の原像』をよく手にとり、読んでいるようなそぶりを見せる。井筒はやばいぞ井筒は、とツッコミながら見ている。そういえば晩年の磯崎さんも井筒をかなり読み込んでいたらしい、ということを、絶筆となった連載をまとめた遺作『デミウルゴス 途上の建築』か2019年の『瓦礫の未来』かどちらかで読んだような気がする。僕はあまり深くタッチできていないけどかなり興味はあるので、来年集中して読んでみようと密かに思っている。

私たちは、桂もパルテノンも、カンピドリオもファテプール・シクリも、いずれも等距離にみえる時代と場所を生きている、ということだ。そこでは全建築史、いや全地球史さえ引用の対象たり得るのだが、問題は、あくまで引用されることによって本来の意味は失われ、新たなに投げこまれた文脈のなかに、それが波紋のように別種の意味を発生させる、その作用こそが注目されているのであって、引用は本来的に恣意的なのである。

磯崎新『散種されたモダニズム』(岩波書店)、243頁、2023年。

磯崎さんが明確に「引用」について意識し始めたころの、宮川淳との共鳴について気になっている。引用論が重要というわけではなく、むしろ引用論だけで磯崎・宮川の関係を理解してしまうと片手落ちという認識。磯崎さんにとって引用はあくまで手法(マニエラ)の延長にあり、立方体→手法→引用→テンタティブ・フォームという展開は「デミウルゴス」(デミウルゴモルフィスム)へと結実する一貫したものだと僕は考えている。要するにこれらは、それ自体に根拠のない形態あるいは形式を選択し、物質的組成をそれに従属させること、だ。なぜそんなことを磯崎さんは思考し、実行せざるをえなかったのか? ということが最大の問題。デミウルゴス論は引用云々よりも、むしろ初期の宮川が展開していた主体性に関する議論と極めて高い親和性があると思う。そのあたりを整理するためにも、磯崎・宮川が引用をどう捉えていたのかをあらためてキチンと整理したい。というのも、宮川の引用に関する文章はまだまともに呼んだことなくって。これに関してはいずれどこかで。

NOV.13,2023

すごく寒くなる予感を感じたのでホットカーペットの購入を決めた。買いものは割合悩むタイプの家族なのだが、寒さ対策グッズに関しては迷わない。妻が率先して動く(寒いの苦手)。アイリスオーヤマで買ったホットカーペットは注文したこの日に届き、物流網の過剰性におののく。これがフルフィルメント。いそぎ、この上に引くカーペットも必要だということで、しまむらに向かった。実はしまむらのカーペットはお得で、格段に安く、なおかつ格段にあったかい。いうまでもなく子育てをしていると床に大量の食品が散布される。ゆえにカーペットなど消耗品という意識があるので、しまむらで即決する。無事暖かい床を手に入れた。

あたたかくなった床の上で、妻子が寝た後、少しだけ起きて資料をあさる。磯崎さんのテキストを改めて読み直しているところ。

それぞれの近代において、建築が産業のレベルにおいてねらった技術的な解法は当然のことながら、違っていた。ヨーロッパでは、石造、煉瓦造それに鋳鉄造で軀体をつくるのが一般的だったときに、 造園用の植木鉢をつくるアイデアとして、鉄筋コンクリートが発明された。オーギュスト・ペレがそれを、建築的なデザインと工法に応用した。それを学んだル・コルビュジエが、水平スラブと支持柱だけの簡略化工法に整理して、新案特許とした(「ドミノ・システム」一九一四年)。いっぽう、シカゴ大火の後に、都市内の土地利用効率を高め、合理的なオフィスビルの型の基本形として、鋼鉄のフレ ーム構造の接合ジョイントが開発された。 鉄骨造のフレーム工法である。ヨーロッパのコンクリート工法、USAの鉄骨フレーム造、この地域的特性はその後一世紀にわたる近代建築の展開のなかでも保持されてきた。超高層建築が建てられるようになってからも、それぞれが百年前に開発採用した基本的な工法の違いはそのままである。デザインは恣意的にどんな風にもやれるとみえるが、建築的工法は、その社会の生産形態、さらには都市的な形式を規定する法と結びついて、はじめて社会化され一般化される。つまり、 その技法的なシステムが法制化されたときに、はじめてその社会がうみだす都市的建築の基本構造となり、広義の「制度」となる。

磯崎新「堀口捨巳の「非都市的なるもの」」『散種されたモダニズム』(岩波書店)、124〜125頁、2023年。

このあたりの記述、非常に重要な歴史認識が圧縮されている気がする。技術革新(生産体制の確立)と法整備が形式の制度化をもたらし、最終的に近代都市の生成へと結実する。このあたりを押さえておかないと、たとえば20世紀初頭の分離派建築会が、佐野利器、内田祥三、後藤清ら「構造派」の何に対抗しようとしていたのか、つかみ見損ねる。たとえば佐野は伝統的な木造建物で構成される日本の都市を改造するため、RCによる不燃性の耐震工法を開発し、簡略計算法を確立する。これは区画割などの伝統的な木造の構成システムを現存させたまま、新しい工法を適応する試みだったはず。後藤清は無限に横並びする水平フレームの計算法を生み出し、それを垂直に転換して日本初の超高層「霞が関ビル」(1968年)の構造設計を実現する。さらに内田は法制化を推進。要するに構造派はヨーロッパのコンクリート工法とアメリカの鉄骨フレーム造をひとつ技術体系として輸入し、それを地震国用に簡略化・量産化しつつ、さらにこれを都市の建設方策として法制度化したわけだ。分離派が抵抗していたのは、構造派の工学を偏重する態度というよりも、むしろこうした制度化の危険性だったのだと思う。

NOV.9,2023

TOTOギャラリー・間で開催中の西澤徹夫さんの個展「偶然は用意のあるところに」の展覧会レポートを寄稿しました。鑑賞前後のおともにぜひ、です。様々な角度から語ることのできる展示だったけれど、コンパクトな展評なので(これでも依頼があったときの文字数よりは倍以上ある)自分なりに要所と思ったところを抑えつつまとめることにした。ギャラ間の展評は展示の記録みたいなところもあるので、自分自身の観賞時の肌触りみたいなものを、できるだけ残しつつ。

jp.toto.com

10 JAN. 2022 「手入れ/Repair」展について

個展について振り返らねば、と思いつつ、一ヶ月以上が過ぎてしまった。というか二ヶ月くらいが過ぎようとしている。展示は7週間ほど前に終わった。正確には、11月21日に終わった。でも、展示室への手入れが会期中に終わらずもう数日続いたり、25日に「竣工式」と称して展示の振り返りトークイベントをやったり、撤収が27日だったりしたので、21日に終わったという気はしていない。むしろ28日くらいに終わったという気がしている。だから僕は今、一ヶ月半くらい前に展示は終わった、という気持ちでいる。

 

「手入れ/Repair」は何をやった展示だったのか。以下、ステイトメント。

床を剥がして建物の手入れ(Repair)をする。床下には真っ黒い土が見え、これが約60年間封じ込められていた地面だと気づかされる。人が集まるための物質的条件である地面は、手入れの解体と再構築に常に関わり、そのたびことに現れる。

不具合や動作不良に追いつめられた人間は、自らの身体とありあわせの道具を用いて、手入れをおこなう。不具合はふとした瞬間に生じ、そこに蓄積した時間をあらわにするものだ。手入れは、具合の悪さをさしあたり乗り切るために行われるが、それは同時に、対象が抱え込んでいる忘却された時間への介入でもある。居たくないところから逃げ出すにしろ、集まるところをつくるにしろ、居場所にまつわる不具合やトラブルは、地面に対する何らかの身ぶりや工作を通して解決されるほかなく、自らで選び取った場で生き通すための創造行為は、地面と身体の接面において様々な葛藤と工夫を生じさせる。

60年代のフーテン族、新左翼暴動事件、唐の状況劇場。90年代のダンボール村。現在のトー横キッズたち。新宿は断続的かつ局所的に、自治的な場の確保に向けた出来事が生じ続けている稀有な土地だ。しかし、居場所をつくるための地面との接点の新たな発明は、法の整備と取り締まりの制度へとプログラムされ、再帰的なものとして、繰り返し都市の構造に組み込まれてきた。集合し、現れるための形式は、即座に、「壊す」ための口実へ成り代わる。

この展示は、建物への物質的な介入と、建物が存在している土地の歴史や記憶への応答を、手入れというフォームのもと、ひとつながりの工程のなかで、入り混じった仕方で開示する試みである。展示室の床板を一旦すべて取り外してから、床下の基礎を補強し修繕した床板を取り付けるまでの一連の工程が、約二週間の会期を通して公開される。

露出した約60年前の地面が再び閉じられるまでのこの一連のプロセスのなかに、60年代から現在にかけて新宿で発生した5つの事件が、儀礼的な修復の身ぶりとして織り込まれる。都市空間での居場所の確保にむけた“危険”な身体はここで、「壊す」ための口実から、「直す」ための身ぶりへと転じる。

展示に際して、キュレーターからはふたつの条件が出された。ひとつは、図面や模型によってここにない構築物について代理表象するたぐいの、いわゆる建築展のフォーマットは採らないこと。もうひとつは、現代美術から展示や表現の方法を借りるということもしないこと。徹底して建築ということに固執しつつも、従来の建築展とは別の仕方での展示のあり方を考案すること。そのための「フォーム」をつくること。

そんな難しい課題に対して、僕らは「手入れ」(Repair)という解答をした。展示室の床を剥がして、床下の補修をし、再び床を閉じるという過程を開示する。加えて、その土地の歴史や事件をリサーチし、改修の身振りや工程のなかに取り込む。今回は新宿で過去に発生した仮設的な場所の確保を目的とした事件について、そこでの工作行為や法律の問題などに注目して、写真家の高野ユリカさんや弁護士の飯野さんとともに調べた。そしてその結果を劇作家の三野新さんと共有し戯曲を制作してもらい、改修の行為者である僕たちが、建物の改修と同時並行で上演を行った。改修過程で発生するさまざまな物品や補修中の床板などは改修過程に応じた相応しい位置に配置されるが、その結果として、上演の舞台装置ができあがってくる。舞台装置ができたら、30分ほどの短い戯曲を上演し、また釘を打ちはじめる。戯曲=フィクションを介して、土地のリサーチと建物の改修が結びつけられる。舞台の組み立て(=フィクションの準備)と展示空間=支持体の手入れ(現実的な問題の解決)の同時性が、今回の展示のコアにあったと思う。この「研究」と「建築すること」を設計図や模型といった媒介物なしに結びつけるという試みは、博士号をとったばっかだけど大学には所属していなくて、同時にまともに設計事務所で務めることなくいきなり独立しちゃったという、自分自身のリアルな現状の反映でもあったと思う。

この方法はどんな土地でも(権利的には)展開できる可能性があるから、建築展の新しいフォームといっていいはずだ。釧路の展示室であれば釧路の、ベルリンの展示室であればベルリンの歴史をリサーチすることになるし、その結果を踏まえた仕方で展示室の改修を行うことになるだろう。それと、今後は500キロの彫刻をここにおけますよ、といった具合に、僕らが展示のルーティンのなかに入ることで展示室自体が(ちょっとだけ)アップグレードするということが発生するのだけど、これは美術の展示の場に建築家が介入する新しい意義でもあると思えた。また、今回は床の改修だからその土地の歴史を調べて、改修に(改修=リアルな現実、に対する上演=フィクションとして)取り入れたけれど、壁であれば壁なりの、階段であれば階段なりの、天井であれば天井なりのリサーチの対象と、建築行為へのフィクションの介入経路があるだろう。そうした建築の部位ごとの展開も可能だと考えている。

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建築工事にまつわる各々の作業員は、基本的には指示されたことだけをやっている(だれも全体像を把握していない)けれど、数ヶ月経つとなぜかひとつの統一されたオブジェクトができあがってしまう。この不思議な出来事の指示書が工程表だ。人やモノの動きや場所を厳密な日割りのもとで指示する工程表は、だから、スコアや戯曲台本といったものときわめて近しいものだといえるだろう。数十分か、数時間か、数ヶ月か、という時間スパンの差異でしかない。僕らは建築というプロジェクトを、電気屋や大工だけではなく、劇作家や写真家、グラフィックデザイナー、弁護士、ファッションデザイナーなど、様々な専門の人々が出会うためのひとつの機会として、すなわち仮設的な共同体の立ち上げの場として、捉えようとした。工程表という表象はその試みをあらわすための適切なグラフィックだったと思う(時間がなさすぎてこれしか用意できるグラフィックがなかった、ということではあったのだけど、、)

建築をつくることにおいて、何が代替可能で、何が代替不可能なのか。作業員は代替可能で、建築家は代替不可能なものだ、という認識が、少なくとも建物を「作品」と位置づける際には働いているだろう。しかしはたして、それは本当なのだろうか? そうした(とても素朴な)疑問がベースにあって、今回のような展示を企画したし、実際にそれを実行した。きっかけになったのは今回の展示場所が新宿ホワイトハウスだったことだと思う。半年前の改修の際にも感じていたことだけれど、新宿ホワイトハウスという分厚い歴史的なコンテクストをいかに相手取るか、という問題には悩まされた。自分たちの専門が建築である以上、オリジナルの設計が磯崎新であるという過去にどういった態度を取るのか、という引力はどうしてもでも生じてしまう。だけど、意外なほど、改修時に僕らは磯崎さんのことを意識していなかった。もちろん磯崎さんの存在を蔑ろにしていたわけではない。そうではなく、自分が作業員になって労働をしているときには磯崎さんを感じなかった、ということだった(当たり前と言えば当たり前だ)。これがヒントになった。自分の身体が、あるときには設計者になり、あるときには作業員になる。これが、「磯崎を忘れる」ためのひとつの形式的な方法だと思えた。だからこそ、僕たち自身が改修行為の主体になる必要があった。床板を解体しているとき、そこに磯崎さんはいない。目の前にあるのは床板だけだ。

現状のポストモダン的な状況で僕らが生きていくために重要なことは、部分的な歴史の忘却だと思う。意識的な、と同時に一時的な、文脈の切断(cutting context)のための方法。あらゆることに文脈があり、先例があり、ウェブで調べれば簡単に膨大な情報にアクセスできてしまうとき、結果として手も身体も頭もすっかり動きが鈍くなってしまう、なんてことが、デザインにしろ、執筆にしろ、あらゆるところで起こっている。「理論」は、歴史を軽くするためのひとつの方法だ。もうひとつ、たんなる「労働」も、たぶん歴史を軽くするために役に立つ。今回であれば、物理的な解体によって磯崎新を僕らが一時的に忘却したように。そこではたぶん、代替可能だとされてきた建物を作るための様々な作業を、もう一度代替不可能なものとして位置づけ直す必要が出てくるだろう。それが今回の展示の、裏側にあったひとつのテーマだと思う。

30 DEC. 2021

実家に帰省する電車のなかで、今年中にやっておかねばと思いCVページ(jp/en)と仕事のページを更新したら、急に今年が納まったような感覚になってきた。今年は成り行き的にGROUPという場所を立ち上げたり、雑誌を刊行したり、博士論文の提出・審査があったり、個展があったりとバタバタしっぱなしだったけれど、ここ数年で準備してきたものが世に出た年でもあったりして、充実感はある。来年はじっくり腰をすえて新築の建物を設計したい気持ちでいる。長い文章(論文じゃないやつ)も書きたいし、会場構成もしたいし、写真もたくさんとりたいと思う。でものんびりもしたいとも思う……(欲深)

www.ohmura-takahiro.com

昨日は自宅に人が集まる日だったので、午前中にスーパーに買い出しに行った。鶏のもも肉を1キロ。野菜いろいろ。生春巻きの材料。帰ってから仕込みをはじめる。ローズマリーとにんにくで香りをつけたオリーブオイルのなかに鶏肉をいれてしっかりと焼いてからビネガーと白ワイン。水分が飛んだら水を入れて30分煮込み、塩で味をととのえたらカチャトーラができている。となりの鍋ではミネストローネがことこと煮込まれている。人が集まってきたら生春巻きをつくろうと話す。料理のコンセプトが謎だと指摘をされる(たしかに!)。共用棟で音楽イベントがはじまり、僕が住んでいる棟にも少しずつ人が集まりはじめる。だいたい8人くらいでおだやかにご飯を食べたりお酒を飲んだりしていた。今年に入って出会った人ばかりだし、今日はじめて会った人もいたけれど、気楽に楽しく過ごせて居心地がよかった。日が暮れてきたので、焚き火をはじめ、さつまいもを仕込んだ。窓から焚き火が明るい。さつまいもを食べたのは19時くらいだったような気がする。

時間を逆行していく。28日は窓研究所の仕事納めの日で、この日はGROUPで改修をおこなった「三岸アトリエ」へと午後から取材に向かった。自分たちで改修をおこなった物件を自分で取材するというのも変なはなしだが、これは窓研のウェブサイトで三岸アトリエを記事にしてもらえることになったからだ。信頼できる写真家と研究者に協力をお願いできたから、とても楽しみにしている。

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photo: yurika kono

NOV.6,2021_「手入れ/Repair」展

 バタバタしすぎててまったく更新できてないけれど、個展があります!

 来週から、新大久保のWHITEHOUSEで展示をします。「手入れ」をキーワードに、2週間かけて床を直します。詳しくはステイトメントをば。(けっきょくまだやっていない)庭のオープンハウスも兼ねて、13日と20日は非会員の方にも開廊します。ぜひお越しください。

 ブログの更新をしていないあいだに、野外美術展「のけもの」の会場空間設計と三岸アトリエの窓の改修という、ふたつの大事な仕事が無事完了しました。これについても後々書きます。

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GROUP 個展『手入れ/Repair』

会場: WHITEHOUSE(東京都新宿区百人町1丁目1-8)

会期: 2021年11月8日(月)〜11月21日(日)
開廊: 13:00 - 20:00、火・金は休廊
※非会員の方は13日、20日限定
ステイトメント: https://docs.google.com/document/u/0/d/11VmvVltrsgGTsA50BeyvOBxwwcA4atelnnaPuLlenLc/mobilebasic

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OCT.6,2021_Ph.D.

 9月30日、つまりは先週の木曜日、神楽坂で学位授与式があって、東京理科大学から博士号を授かった。いろいろとまわり道ばっかりで、とても時間がかかってしまったけれど、無事に学位をとることができて、今はすごくほっとしている。胸のつっかえがひとつ取れた感じ。ちなみに博士後期課程は3年間で、私は単位取得満期退学してから学位取得まで1年半かかってしまった(だから課程博士ではなく、いちおう論文博士ということになる)。大学に入学してからは──信じられないのだけれど──12年が経ってしまっている……!が、もはや驚きすぎて驚かないというか、そういう感じの域に入っている。ひとまず、あまりにも長い学生生活を支えてくれた両親に、限りない感謝の気持ちでいっぱいだ。また、岩岡先生をはじめ、長い学生生活のなかで出会い、支えてくれたすべての人に、改めてお礼を言いたい。ありがとうございました。

 ここ数年、修士2年からの5年くらいは、研究やら何やらを言い訳に、大切な人との連絡や一緒に過ごす何気ない時間のことごとくを、ないがしろにしてきてしまったと思う。そういうものを、少しずつ取り戻していきたいなと思っている。

 

 ところでこの日は午後から学位授与式があったのだが、午前は朝一番から自主施工改修中の「三岸アトリエの窓」の現場で塗装をしていた*1。証書授与のとき手にペンキが付いているとわりかし恥ずいのでは、と思い、最新の注意を払って塗っていたのだが、けっきょくついてしまった。軍手を突き抜けてくるとは!むむむ……という気持ちでごしごし洗ったのだけど、油性なのでなかなか落ちないのだ。けっきょくこのまま賞状をもらうはめになってしまった。また、ネクタイピンがないことに気づいたのは前日のことだった。買いに行く時間はなかったので、家にあるモノのなかでいちばんネクタイピンに近いものをがんばって探した。結果「本にペンをはさむやつ」がとても似ている気がしたので、これを付けた。以外とばれないのでは、とちょっと自信アリ。

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*1:↓このときちょろっとかいたやつ。

www.ohmura-takahiro.com

 

SEPT.25,2021

 今週の月曜日に、下北沢のB&Bさんで岡崎さんとのトークイベントがあった。先週の木曜はミサワAプロジェクトのレクチャーがあって、これでトーク系のイベントはひと段落。聞いてくださった皆様、本当にありがとうございました。こういう地道なトークイベントを続けていって、いつかお仕事を頼んでくださる方と出会えたら最高だな、と思う(来年以降の新しい仕事がなくて、本当に大変な状況なので、、)

 山田紗子さん、市川紘司さん、澤田航さんとともに登壇させていただいたミサワのイベントは、「庭と建築」(+裏テーマとして「参照」について)というお題があったので、まさに庭をタイトルに組み込んでいる「新宿ホワイトハウスの庭」を中心にお話した。この仕事で何をやったのか、ある程度簡潔にまとめることができて良い機会だったと思う。私たちからは、「継続的な手入れによって仮止めされた風景こそが庭」という考え方が建築にも接続しうる、ということを話してみた。植物をはじめとした諸事物が能動性を発揮し、勝手に遷移していく。そうした状況に抵抗するように、人間が手入れによって「時間の巻き戻し」のような作業をおこなう(それは枝の剪定かもしれないし、部屋の掃除かもしれない)。その緊張関係によって生じる人工とも自然ともいえないような状況に、私たちは「庭」という呼び名を与えようとしている、と。これに関連して、終盤、手入れを設計に組み込んでいく際には時間的な参照点が必要だ、という話になった。「竣工」というものや、建築家の記名性みたいなものは、手入れをうまく稼働させていく際の「戻しどころ」として機能するものだ。植物を、人間を、事物を巻き込みながら常に変化していく環境をつくろうとしたとき、翻って竣工という仮止めの完成形が、写真に記録される「この地点」が、手入れの際に参照すべき状態として重要な意味をもつ。ディスカッションの最後で市川さんが、こうした話題の流れで、山田さんの「daita2019」で竣工年がタイトルに入っている重要性を指摘されたことで議論がうまく落ちて、めちゃ感動した。庭、建築、参照というテーマがその一点にすべてつながったような気がしたのだった。さすが市川さん!と思った。

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対してB&Bの方は「ノーツ」のことを中心に事務所のプロジェクトを紹介するというものだった。おもしろいことに、インディペンデントマガジンであるノーツの制作を通した方が、自分たちのやっていること(建築のプロジェクトであれ展示物の制作であれ)を説明しやすいな、と感じたのだった。ノーツをなぜ自分たちで企画し、なれない自主製本で作っているのか、ということが、他の諸々の仕事にも通じている、ような気がする。

vimeo.com

 このトークは公開打ち合わせのような雰囲気を意識して臨んだ。岡崎さんとのお話のなかで、次号に向けて、いくつか重要なルールを決めることができたと思う。たとえば、本の高さは変えない。幅はもしかしたら変更するかも。フォントやタイトルのグラフィックは第一号を継承。左:インタビュー/右:注、というルールは大まかには継承するが、はっきりと左右で分けるのではなく、注の文量に合わせて調整するように変更。合わせて、裏表のある紙は無理に使う必要はないのかもしれない。写真はやっぱりカラーがいいので、リソにこだわらず、グラフィックを差し込んでいくことも考える。折作業がとても大変だったので、次回の製本は中綴じではなく、リング製本などにする、など。

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◯本日のタブ

(RE)PICTUREja.twelve-books.com

本といえば、この本すごーくほしかったやつだ。我らが(?)OK-RMがデザインを担当していて、編集は「Moder-n」の高宮啓さん。思い出してよかた!

SEPT.7,2021

 もうすっかり寒く、ひと雨ごとに夏が遠のいていくみたいだ。今年もまた、夏っぽいことはあまりできなかった。今まさに雨が降っている。秋ってこんなに雨ばっかりだったかな、と思う。

 先月の日記で書いた*1、お盆くらいに見た館林美術館と太田市美術館・図書館の写真のネガをスキャンした。今思えばこの日も雨だった気がする。そしていつに間にか一ヶ月が過ぎようとしている……(衝撃)。9月〜10月あたりがマッハで過ぎ去っていくというのは毎年感じることだ。今思えば昨年も一昨年も展示の準備や設営で追われていた。3年前は国際学会でてんやわんやしていた。4年前は…5年前は…よくわからない。けれど、一ヶ月どころか、年単位であっというまに時間が過ぎてしまっていることに気が付き、だんだんと衝撃がそちらにシフトしてきている。こういうときに過去の日記を読み漁るとなかなか帰ってくれなくなるので、ほどほどにしておこうと思いつつ、2017年のこの時期の日記を読み返してしまう。まだこのころはフィルムカメラを使いはじめたころで、というか意識的に写真を撮影すること自体はじめたばかりで、なかなか味わい深い。

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